17ヒッピーズ | |
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基本情報 | |
出身地 | ドイツ |
ジャンル |
ワールドミュージック ポップ |
活動期間 | 1995年 - |
公式サイト | [1] |
メンバー |
Antje Henkel (クラリネット、サックス ) Daniel Cordes (コントラバス) Christopher Blenkinsop (ウクレレ、ブズーキ、歌 ) Daniel Friederichs (ヴァイオリン) Dirk Trageser ヴァイオリン) Elmar Gutmann (トランペット) Henry Notroff (クラリネット) Kerstin Kaernbach ヴァイオリン、シンギング・ソー Kiki Sauer (アコーディン、歌) Lutz Ulbrich バンジョー、ギター) Uwe Langer(トロンボーン、ユーフォニアム) Volker Rettmann (アコーディオン) |
17ヒッピーズ(17 Hippies)は12人からなるベルリン出身のバンド。アコースティック楽器を主体に、世界中の様々なスタイルの音楽を発掘し、ロックやポップミュージックと融合させ演奏している。
17ヒッピーズが演奏する音楽は、東ヨーロッパを起源とする音楽のメロディーとリズムに、フランスのシャンソンやアメリカのフォークソングを組み合わせたものである。ドイツ語、英語、フランス語の歌詞による曲や、楽器だけの演奏がある。17ヒッピーズが演奏する音楽は、“ベルリンスタイル”の発祥とも言われている.
17ヒッピーズは1995年の春、クリストファー・ブレンキンソップ (Christopher Blenkinsop), カーステン・ヴェーゲナー(Carsten Wegener)、ルッツ・ウルブリッヒ (Lutz Ulbrich)、クリスティン・ザウアー ( Kristin Sauer)、ラインハート・リュダーリッツ (Reinhard Luederitz)によって結成された。1995年の秋、初めて17ヒッピーズという名を名乗るが、この名前に特に大きな意味はないという。1996年には、アンティエ・ヘンケル (Antje Henkel)、エルマー・グートマン(Elmar Gutmann)、ウルリケ・ラウ (Ulrike Lau)がメンバーに加わる。公開リハーサルとして 『Hippie Haus Tanz(ヒッピーハウスダンス)』という名のオリジナルコンサートを行う。1997年ヘンリー・ノートロフ (Henry Notroff)とデューク・トラーゲザー (Dirk Trageser)がメンバーに加わる。Rock’n’roll 13 (ロックンロール13) と題するCDにはライブやリハーサルルームでの様々な演奏が収録されている。
1998年、17ヒッピーズはアメリカ、テキサス州のオースティンで行われるSXSWフェスティバルに招待され、その後テキサス州とルイジアナ州でコンサートツアーを行う。17ヒッピーズにとり、初めてドイツ以外の国の音楽家達と交流する機会となる。パリでの音楽祭Fête de la Musiqueへの出演がこれに続く。ウヴェ・ランガー (Uwe Langer)がメンバーに加わる。
1999年、2作目となるCD『Wer ist das?』(これは誰だ?) が発売される。これら最初の2作のCDは当時、彼ら自身のレコード会社によってのみ販売が行なわれていた。フランスのレコード会社、Buda Musiqueはフランスでこれら2作のCDから選曲し、『Berlin Style(ベルリンスタイル)』 という名でCDを発売。1999年、フォルカー“クルイスコ”レットマン (Volker „Kruisko“ Rettman) がメンバーに加わる。
2001年、アンドレアス・ドレーゼン (Andreas Dresen) 監督の映画、『Halbe Treppe(階段の途中で)』 の音楽を作曲、映画自体にも出演している。ブダペスト、プラハ、ウィーンでのツアーを行い、フランスでは定期的にツアーを行う。フランスでは、前出のCD、Wer ist das? とサウンドトラック 『Halbe Treppe』から選曲し作成したアルバム、『Sirba(スルバ)』が発売される。ケアスティン・ケルンバッハ (Kerstin Kaernbach) がメンバーに加わる。
2004年、初めてのスタジオアルバム、『Ifni(イフニ)』 が発売される。この年およびその後の数年間はヨーロッパの国々とモロッコでのツアーを行う。ダニエル・フリードリッヒス (Daniel Friedrichs) がメンバーに加わる。2006年、ベルリンのドイチェテアター(Deutsches Theater Berlin) において、再びアンドレアス・ドレーゼンの演出による、『エデン・フォン・ホルバート(Ödön von Horvath)』の舞台劇、Kasimir und Karoline (カシミールとカロリーネ) の音楽を担当する。
2007年春には、二作目となるスタジオアルバム、『Heimlich(秘密に)』を発表する。このアルバムはアメリカとカナダでも初めて発売され、同年、両国でツアーを行った。12月、パリのオランピア劇場で演奏する。
2008年、アメリカ、ヨーロッパ、アルジェリアでのツアー、および中国でのコンサートを行う。アドルフ・グリム賞の授賞式に出演する。2008年末には、第三作目となるスタジオアルバム El Dorado (エルドラド) を収録し、2009年1月に発売される。2009年1月より、ライブ演奏ではダニエル・コルデス (de:Daniel Cordes) がカーステン・ヴェーゲナーに変わりバスを担当する。
2009年は、第三作目となるアルバム、『El Dorado』の発売開始とともに始まり、アメリカ、カナダ、そしてドイツの各都市でコンサートを行う。ヨーロッパにおいては活動の地域を広げ、ルクセンブルク、フランス、スペイン、イギリス、ウェールズ、アイルランド、ベルギー、スイスなどでコンサートを行った。また6月には2008年に続き二度目の訪問となる中国にてコンサートを行い、11月にはイスラエルにてライブ、またヨルダンの首都アンマンでは、ベルリンの壁崩壊20周年を記念したAl Hussein Cultural Centerでのコンサートに招待され、ヨルダンのバンドZaman Al Zatarとの共演が実現した。
2004年、芝居公演のためドイツ、ミュンヘンを訪問中だった俳優、イッセー尾形に出会う。フランスのクータンス市(Coutances)で行われたフェスティバル、Sous les Pommiersでは、日本のバンドCICALA-MVTAの大熊ワタルとジャムセッションを行う。2006年2月、東京、足立区のTheatre1010で行われたイッセー尾形の公演「太宰治を読む!書く!創る!」に参加。CICALA-MVTAとは東京のライブハウスClub Rootsで即興ライブを行う。2007年には、イッセー尾形が公演のため、17ヒッピーズの活動拠点であるベルリンを訪問、17ヒッピーズの曲に日本語の歌詞をプレゼントした。イッセー尾形・らとの交流は続き、2009年には・らのスタッフがベルリンの17ヒッピーズを訪れている。
1997 年以降、DJやエレクトロといわれるジャンルの音楽家達とのコンサート Sexy Ambient Hippies が時々行われている。2002年8月31日にベルリンのコンサートホール世界文化の家で行われたコンサートが収録され、 17 Hippies play Sexy Ambient Hippies 2003 として発売された。Carsten Daneおよび Robert Cummingsなどが参加している(サンプリング)。
フランス、ボルドー地方のバンドLes Hurlements d’Léoとのアンサンブルが実現、6曲を収録し、Hardcore Trobadors というタイトルのシングル盤CDがフランスで発売される。Les Hurlements d’Léoとのアンサンブルはモスクワでのコンサート、および2004年に行われたフランスでのツアーで頂点に達した。
2004年12月19日、ケルンにおいて、放送局WDRによるラジオ放送、フンクハウスヨーロッパの製作により、ギタリストMarc RibotとJakob Iljaとのコンサートが収録された。2006年、17 Hippies play Guitar のタイトルによるCDが発売された。
2008年9月、ロンドンのバンドDhol Foundationのパーカッショニスト、Johnny Kalsiをベルリンへ招待し、9月12日、ドルトムントで行われたコンサートを放送局WDRが収録、コンサートの一部が生放送された。