1977年の野球

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1977年の野球(1977ねんのやきゅう)では、1977年野球界における動向をまとめる。

競技結果

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日本プロ野球

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ペナントレース

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セリーグ
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1977年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 80 46 4 .635 優勝
2位 ヤクルトスワローズ 62 58 10 .517 15.0
3位 中日ドラゴンズ 64 61 5 .512 15.5
4位 阪神タイガース 55 63 12 .466 21.0
5位 広島東洋カープ 51 67 12 .432 25.0
6位 大洋ホエールズ 51 68 11 .429 25.5
パリーグ
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前期最終成績
順位 球団 勝率
1位 阪急ブレーブス 35 25 5 .583 優勝
2位 南海ホークス 33 26 6 .559 1.5
3位 近鉄バファローズ 31 26 8 .544 2.5
4位 日本ハムファイターズ 31 29 5 .517 4.0
5位 ロッテオリオンズ 27 33 5 .450 8.0
6位 クラウンライターライオンズ 20 38 7 .345 14.0
後期最終成績
順位 球団 勝率
1位 ロッテオリオンズ 33 24 8 .579 優勝
2位 阪急ブレーブス 34 26 5 .567 0.5
3位 南海ホークス 30 29 6 .508 4.0
4位 日本ハムファイターズ 27 32 6 .458 7.0
5位 クラウンライターライオンズ 29 35 1 .453 7.5
6位 近鉄バファローズ 28 35 2 .444 8.0


1977年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 阪急ブレーブス 69 51 10 .575 優勝
2位 南海ホークス 63 55 12 .534 5.0
3位 ロッテオリオンズ 60 57 13 .513 7.5
4位 近鉄バファローズ 59 61 10 .492 10.0
5位 日本ハムファイターズ 58 61 11 .487 10.5
6位 クラウンライターライオンズ 49 73 8 .402 21.0

*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定


パシフィック・リーグプレーオフ

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1977年 パシフィック・リーグプレーオフ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月9日(日) 第1戦 ロッテオリオンズ 1 - 18 阪急ブレーブス 阪急西宮球場
10月10日(月) 第2戦 ロッテオリオンズ 3 - 0 阪急ブレーブス
10月11日(火) 移動日
10月12日(水) 第3戦 阪急ブレーブス 1 - 3 ロッテオリオンズ 県営宮城球場
10月13日(木) 第4戦 阪急ブレーブス 4 - 2 ロッテオリオンズ
10月14日(金) 第5戦 雨天中止
10月15日(土) 阪急ブレーブス 7 - 0 ロッテオリオンズ
年間優勝:阪急ブレーブス

日本シリーズ

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1977年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月22日(土) 第1戦 読売ジャイアンツ 2 - 7 阪急ブレーブス 阪急西宮球場
10月23日(日) 第2戦 読売ジャイアンツ 0 - 3 阪急ブレーブス
10月24日(月) 移動日
10月25日(火) 第3戦 阪急ブレーブス 2 - 5 読売ジャイアンツ 後楽園球場
10月26日(水) 第4戦 阪急ブレーブス 5 - 2 読売ジャイアンツ
10月27日(木) 第5戦 阪急ブレーブス 6 - 3 読売ジャイアンツ
優勝:阪急ブレーブス(3年連続3回目)

個人タイトル

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  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 王貞治 巨人   山田久志 阪急  
最優秀新人 斉藤明雄 大洋   佐藤義則 阪急  
首位打者 若松勉 ヤクルト .358 有藤道世 ロッテ .329
本塁打王 王貞治 巨人 50本 L.リー ロッテ 34本
打点王 王貞治 巨人 124点 L.リー ロッテ 109点
最多安打 若松勉 ヤクルト 158本 福本豊 阪急 165本
盗塁王 柴田勲 巨人 34個 福本豊 阪急 61個
最多出塁数(セ)
最高出塁率(パ)
王貞治 巨人 272個 加藤秀司 阪急 .405
最優秀防御率 新浦寿夫 巨人 2.32 山田久志 阪急 2.28
最多勝利 高橋里志 広島 20勝 鈴木啓示 近鉄 20勝
最多奪三振 池谷公二郎 広島 176個 村田兆治 ロッテ 180個
最高勝率 新浦寿夫 巨人 .786 稲葉光雄 阪急 .739
最優秀救援投手 鈴木孝政 中日 23SP 江夏豊 南海 22SP

ベストナイン

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  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 小林繁 巨人 山田久志 阪急
捕手 木俣達彦 中日 加藤俊夫 日本ハム
一塁手 王貞治 巨人 加藤秀司 阪急
二塁手 高木守道 中日 B.マルカーノ 阪急
三塁手 掛布雅之 阪神 有藤道世 ロッテ
遊撃手 河埜和正 巨人 石渡茂 近鉄
外野手 若松勉 ヤクルト 福本豊 阪急
山本浩二 広島 門田博光 南海
張本勲 巨人 L.リー ロッテ
指名打者   高井保弘 阪急

ダイヤモンドグラブ賞

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  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 堀内恒夫 巨人 山田久志 阪急
捕手 大矢明彦 ヤクルト 加藤俊夫 日本ハム
一塁手 王貞治 巨人 加藤秀司 阪急
二塁手 高木守道 中日 山崎裕之 ロッテ
三塁手 高田繁 巨人 島谷金二 阪急
遊撃手 山下大輔 大洋 大橋穣 阪急
外野手 山本浩二 広島 福本豊 阪急
柴田勲 巨人 弘田澄男 ロッテ
若松勉 ヤクルト 大熊忠義 阪急

オールスターゲーム

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高校野球

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大学野球

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社会人野球

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メジャーリーグ

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できごと

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1月

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2月

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  • 2月2日 - 野球殿堂に森茂雄西村幸生が特別表彰として殿堂入り[7]
  • 2月16日 - 株式会社横浜スタジアムの創立総会が開かれ、新役員が選出されて新会社として発足[8]
  • 2月25日 - 中日はキャンプ地の浜松市営球場にて、トレードを拒否して球団からキャンプへの自費参加と開幕からの出場停止処分を受けていた藤波行雄について、反省の態度が見られるとして4月7日までに短縮すると発表[9]

3月

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4月

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5月

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  • 5月3日 - 巨人の柴田勲が対大洋戦4回戦の一回裏に二盗を決め、プロ通算500盗塁を達成[19]
  • 5月8日 - 大洋のジョン・シピンが甲子園球場での対阪神8回戦の二回表に6号本塁打を放ち、プロ野球通算150本塁打を達成[20]
  • 5月15日 - 阪急の福本豊が大阪球場での対南海8回戦の九回表に三遊間安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[21]
  • 5月19日
    • ロッテのレロン・リーが後楽園球場での対阪急前期9回戦の九回裏に中前適時打を打ち、プロ野球タイ記録の11試合連続打点を達成[22]
    • 日本ハムの宮本幸信が日生球場での対近鉄前期8回戦の八回裏に小川亨梨田昌孝石渡茂に死球を与え、プロ野球新記録の1イニング3与死球[23]
  • 5月22日 - 広島の山本浩二が後楽園球場での対巨人6回戦の9回表に定岡正二から右前安打を放ち、プロ通算1000安打を達成。史上101人目[24]
  • 5月24日 - 阪神の池辺巌が川崎球場での対大洋9回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[25]
  • 5月29日 - 巨人の張本勲が甲子園球場での対阪神9回戦の一回表に安打、四回表に安打を放ち、プロ通算4500塁打を達成[26]

6月

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  • 6月5日 - ヤクルトの大杉勝男がナゴヤ球場での対中日7回戦の四回表に2点適時打を放ち、プロ通算1000打点を達成[27]
  • 6月9日 - 野球解説者の小西得郎が自宅で心筋梗塞で死去[28]
  • 6月13日
    • 巨人の松本匡史が川崎球場での対大洋14回戦の九回表に淡口憲治の代走で出場し、さらに二死満塁の場面で打席に立ち4号満塁本塁打を打つ。代走で出場した選手がその後に打席に発ち満塁本塁打を打ったのはプロ野球史上初めて[29]
    • ヤクルトの若松勉が神宮球場での対広島13回戦の九回裏一死一塁の場面で渡辺進の代打で出場し、10号2点サヨナラ本塁打を打つ[30]。前日12日の対広島12回戦でも十回裏に代打サヨナラ本塁打となる9号2点本塁打を打っており[31]、プロ野球史上初の2試合連続代打サヨナラ本塁打を記録。
  • 6月14日
    • 巨人は後楽園球場での対広島11回戦の七回裏二死から吉田孝司の代打・山本功児が2号本塁打、続く西本聖の代打・淡口憲治が2号本塁打を打ち、プロ野球史上初の2者連続代打本塁打[32]
    • 巨人の柴田勲が後楽園球場での対広島11回戦の六回裏一死の場面で9号本塁打を打ち、プロ通算1000得点を達成[33]
    • 中日の高木守道がナゴヤ球場での対大洋10回戦の一回裏に8号本塁打、二回裏に9号本塁打を放ち、12日の対阪神ダブルヘッダー第一試合の最終打席で6号本塁打、第二試合で7号本塁打を放っており、4打席連続本塁打のプロ野球タイ記録[34]
  • 6月26日 - 仙台宮城球場での大洋対阪神ダブルヘッダー第2試合の13回戦は阪神が3-1とリードした六回裏大洋の一死満塁の場面で濃霧のため6回途中でコールドゲームとなり、阪神が3-1で勝利[35]
  • 6月29日 - ナゴヤ球場での中日対ヤクルト11回戦で中日の井上弘昭が五回裏に8号2点本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[36]。中日の谷沢健一が七回裏に左前安打を打ちプロ通算1000安打を達成[37]

7月

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  • 7月2日 - 阪急対ロッテ13回戦が西宮球場で行われ、阪急がロッテを2-1で下し、前期優勝を達成[38]
  • 7月4日 - パ・リーグの後期が開幕[39]
  • 7月5日
    • クラウンの土井正博が仙台宮城球場での対ロッテ後期1回戦の九回表に中前安打を放ち、プロ通算2000安打を達成[40]
    • ロッテの有藤通世が宮城球場での対クラウン後期1回戦の四回裏に7号本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[41]
  • 7月6日 - 阪急の福本豊が西宮球場での対南海の後期1回戦の四回裏に二盗に成功し、通算597盗塁のプロ野球記録を達成[42]
  • 7月8日 - 中日の星野仙一がナゴヤ球場での対阪神12回戦に先発して3失点で完投して今季6勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[43]
  • 7月14日
    • 巨人の王貞治がナゴヤ球場での対中日11回戦の一回表に星野仙一から21号本塁打を放ち、通算5000塁打を記録[44]
    • 阪神のハル・ブリーデンが甲子園球場での対大洋15回戦の七回表に27号本塁打を放ち、これで阪神は21試合連続本塁打となり、ロッテが1971年に記録した20試合連続本塁打を抜くプロ野球新記録[45]
  • 7月16日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対広島16回戦の五回表に松原明夫から四球を選び、通算で2056四球となりベーブ・ルースの記録に並ぶ[46]
  • 7月19日 - 阪急の福本豊が西宮球場での対クラウン後期1回戦の三回裏に二盗を決め、通算600盗塁を達成[47]
  • 7月20日
    • 巨人の張本勲が後楽園球場での対中日13回戦の二回裏に星野仙一から14号本塁打を放ち、プロ通算450本塁打を達成[48]
    • クラウンの東尾修が西宮球場での対阪急後期3回戦に救援登板して今季6勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[49]
    • 大洋の高橋重行が川崎球場での対ヤクルト13回戦の三回表から救援登板して今季3勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[49]
  • 7月21日 - 近鉄の鈴木啓示が神宮球場での対ロッテ後期2回戦に先発してロッテを4-0と無四球完封勝利を収め、プロ通算47無四球試合となり、土橋正幸の46を更新するパ・リーグ新記録[50]
  • 7月31日 - 近鉄の米田哲也が対クラウン後期7回戦の四回表から登板し、金田正一のプロ野球記録を更新する通算945試合登板を達成[51]

8月

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9月

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  • 9月1日 - 中日の高木守道がナゴヤ球場での対広島23回戦の六回裏二死で二塁盗塁を決め、プロ通算350盗塁を達成[60]
  • 9月3日
    • 巨人の王貞治が後楽園球場での対ヤクルト23回戦の三回裏に鈴木康二朗から40号本塁打を放ち、ハンク・アーロンのMLB本塁打記録を上回る通算756号本塁打[61][62]
    • 巨人の張本勲が対ヤクルト23回戦の八回裏に22号本塁打を放ち、プロ通算1500打点を達成[63]
  • 9月6日 - 広島の池谷公二郎が広島球場での対中日23回戦に先発登板し、三回表に大島康徳に、7回表に田尾安志に本塁打を打たれ、これでシーズン被本塁打が44本となり、金田留広が1971年に記録したシーズン最多被本塁打の記録42を更新する[64]
  • 9月14日
  • 9月16日 - 南海の広瀬叔功が大阪市難波の球団事務所を訪れ、今季限りでの現役引退を申し入れる[67]
  • 9月23日 - 広島球場で広島対ヤクルト24回戦でヤクルトが広島に0-7で敗れたため、巨人のリーグ優勝が決まる[68]
  • 9月25日 - 南海の江夏豊が後楽園球場での対日本ハムダブルヘッダー第2試合の後期12回戦の九回裏一死から登板し、プロ入り通算500試合登板達成[69]
  • 9月27日 - ロッテの村田兆治が西京極球場での対阪急後期12回戦の六回裏に島谷金二から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[70]
  • 9月28日 - 南海は選手兼任監督の野村克也に対して監督を解任したと電話で通告[71]

10月

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  • 10月1日
    • 南海は15時から大阪市南区のホテル南海にて記者会見し、広瀬叔功が監督に就任したと正式に発表[72]
    • 阪神は甲子園球場での対広島23回戦に1-2で敗れ、球団タイ記録の9連敗[73]
  • 10月5日
    • 西京極球場での阪急対近鉄のダブルヘッダー第1試合の後期12回戦で阪急が2-4で敗れたため、ロッテのパ・リーグ後期優勝が決定[74]
    • 南海の監督を解任された野村克也が大阪市のロイヤルホテルで記者会見し現役続行を表明。また、自身が解任された背景について、南海OBからの圧力があったと主張する[75]
  • 10月7日 - 近鉄の米田哲也が対阪急後期13回戦の4回裏から登板して2イニングを投げて勝利投手となり、通算350勝を達成[76]
  • 10月8日 - 【MLB】ナ・リーグのプレーオフ第4戦が行われ、ロサンゼルス・ドジャースフィラデルフィア・フィリーズを4-1で破り、1974年以来通算15度目のリーグ優勝決定[77]
  • 10月13日 - クラウンは15時より東京・赤坂の球団東京事務所にて記者会見し、監督の鬼頭政一が辞任したと発表[78]
  • 10月14日 - 近鉄は投手コーチの杉浦忠を解任を発表[79]
  • 10月15日 - パ・リーグプレーオフの第5戦で阪急がロッテに7-0で勝利し、パ・リーグ優勝を決める[80]
  • 10月17日
    • 阪神は監督の吉田義男が大阪市北区の阪神電鉄本社をにオーナーの野田誠三と球団社長の田中隆造を訪ね、成績不振の責任を取るため辞任したいと申し出、了承される[81]
    • 中日は16時より名古屋市にある中日ビル「クラブ東海」で記者会見を行い、中利夫の監督就任を発表[82]
  • 10月18日
    • 近鉄の米田哲也が大阪市森之宮にある球団事務所を訪れて引退を申し入れ、了承される[83]
    • セ・リーグの公式戦全日程が終了[84]
  • 10月19日 - 沢村賞選考委員会が東京・数寄屋町のニュートーキョーにて12時から選考を行い、巨人の小林繁を選出[85]
  • 10月20日 - オーナー会議が東京・九段下のホテルグランドパレスにて行われ、ロッテのフランチャイズを神奈川県に移転することを了承[86]
  • 10月27日 - 日本シリーズの第5戦が後楽園球場にて13時から行われ、阪急が6-3で勝利し、4勝1敗で3年連続日本シリーズ優勝達成。MVPは阪急の山田久志[87]
  • 10月28日 - 1977年度のプロ野球の表彰選手を決めるプロ野球担当記者投票の開票が東京・銀座のコミッショナー事務局で行われ、最優秀選手にセ・リーグは巨人の王貞治、パ・リーグは山田久志が選出される。最優秀新人にセ・リーグは大洋の斎藤明夫、パ・リーグは阪急の佐藤義則を選出[88]

11月

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12月

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  • 12月3日 - クラウンライターからドラフト1位指名された法政大学の江川卓が15時より平河町の全共連ビル4階の会議室にて記者会見し、入団拒否を正式表明、江川は高校卒業時に続いて2度目の入団拒否[100][101]
  • 12月9日 - 元巨人の投手中尾碩志が入院先の川崎市内の病院で急性胆嚢炎で死去[102]
  • 12月15日 - 大洋の杉山知隆・間柴茂有と日本ハムの野村収のトレードが成立し、両球団が発表[103]
  • 12月16日 - 日本ハムと南海は小田義人杉田久雄柏原純一のトレードで合意しそれぞれ選手に通告するが、柏原は野村克也が入団したロッテへのトレードを主張する[104]
  • 12月22日
    • プロ野球実行委員会が東京・九段のホテル・グランドパレスにて12時から開かれ、大洋の横浜スタジアム、ロッテの川崎球場移転、ジュニア・オールスターの単独興行を決定[105]
    • 南海の球団代表の森本昌孝と広島の球団代表の重松良典がロ野球実行委員会の後会談し、江夏豊を南海から広島へ金銭トレードすることで合意[106]
  • 12月26日 - 広島は先に南海ホークスと金銭トレードで獲得した江夏豊の入団発表を広島市の球団事務所の会議室にて行う[107]

誕生

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1月

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2月

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3月

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4月

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5月

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6月

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7月

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8月

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9月

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10月

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11月

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12月

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死去

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出典

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  1. ^ 朝日新聞1977年1月6日15面「日本初の20万ドルプレーヤー 巨人、王選手、10%アップ」縮刷版p131
  2. ^ 読売新聞1977年1月12日17面「最古参選手、坂井引退」読売新聞縮刷版1977年1月p325
  3. ^ 朝日新聞1977年1月15日23面
  4. ^ 読売新聞1977年1月22日17面「水原、西沢氏 殿堂入り」読売新聞縮刷版1977年1月p653
  5. ^ 読売新聞1977年1月27日17面「"ポパイ"長田引退」読売新聞縮刷版1977年1月p817
  6. ^ 朝日新聞1977年1月29日15面「球団維持はプラス 大洋オーナーに中部新次郎氏」縮刷版p861
  7. ^ 読売新聞1977年2月3日「森氏、故西村投手野球殿堂入り」読売新聞縮刷版1977年2月p81
  8. ^ 読売新聞1977年2月17日17面「『横浜スタジアム』発足」読売新聞縮刷版1977年2月p513
  9. ^ 読売新聞1977年2月26日17面「藤浪の出場停止短縮 反省認め4月7日まで」
  10. ^ 読売新聞1977年3月15日17面「ヤクルト 新代表に相馬氏」読売新聞縮刷版1977年3月p487
  11. ^ 読売新聞1977年4月1日19面「笹本⇄竹村・新井 神・急がトレード」読売新聞縮刷版1977年4月p17
  12. ^ 読売新聞1977年4月1日夕刊7面「V2熱気プレーボール 後楽園は超満員」読売新聞縮刷版1977年4月p67
  13. ^ 毎日新聞1977年4月8日1面「箕島、2度目の優勝 センバツ 健闘の中村くだす」毎日新聞縮刷版1977年4月p211
  14. ^ 読売新聞1977年4月11日17面「巨人・柴田が通算150号ホーマー」読売新聞縮刷版1977年4月p353
  15. ^ 読売新聞1977年4月19日17面「阪急山田で負ける クラウン東尾、今季初勝利」読売新聞縮刷版1977年4月p623
  16. ^ 読売新聞1977年4月23日17面「広島・衣笠祥雄三塁手(三〇)が800試合出場」読売新聞縮刷版1977年4月p759
  17. ^ 読売新聞1977年4月25日17面「阪急・笹本捕手が盗塁阻止のパ新記録」読売新聞縮刷版1977年4月p827
  18. ^ 毎日新聞1977年4月30日15面「佐野、激突して転倒 ナインがかけ寄る間に野口生還して同点」毎日新聞縮刷版1977年4月p885
  19. ^ 読売新聞1977年5月4日15面「柴田”足の勲章”500盗塁 王は7号 さあ量産だ!」読売新聞縮刷版1977年5月p91
  20. ^ 読売新聞1977年5月8日17面「大洋・シピンが通算150本塁打」読売新聞縮刷版1977年5月p219
  21. ^ 読売新聞1977年5月16日17面「阪急・福本が通算1000本安打」読売新聞縮刷版1977年5月p453
  22. ^ 読売新聞1977年5月20日18面「ロッテ・リーが11試合連続打点の日本タイ記録」読売新聞縮刷版1977年5月p590
  23. ^ 読売新聞1977年5月20日18面「日本ハム・宮本幸投手がプロ野球初の1イニング3死球」読売新聞縮刷版1977年5月p590
  24. ^ 「山本浩、千本安打」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 1977年(昭和52年)5月23日付朝刊、14面(スポーツ面)。
  25. ^ 読売新聞1977年5月25日17面「大洋猛攻何と17点 田代は久々、14号」読売新聞縮刷版1977年5月p759
  26. ^ 読売新聞1977年5月30日17面「巨人・張本が通算4500塁打」読売新聞縮刷版1977年5月p935
  27. ^ 読売新聞1977年6月6日17面「ヤクルト・大杉が1000打点」読売新聞縮刷版1977年6月p183
  28. ^ 読売新聞1977年6月9日夕刊11面「『何と申しましょうか』あの名調子 野球解説小西得郎さん死去」
  29. ^ 読売新聞1977年6月14日17面「代走で"満塁"史上初」読売新聞縮刷版1977年6月p457
  30. ^ 読売新聞1977年6月14日17面「若松、連夜代打サヨナラアーチ」読売新聞縮刷版1977年6月p457
  31. ^ 読売新聞1977年6月13日17面「若松、代打サヨナラ本塁打」読売新聞縮刷版1977年6月p423
  32. ^ 読売新聞1977年6月18日17面「巨人 もう一つの看板 快走支える代打トリオ ここ一番痛打連発」読売新聞縮刷版1977年6月p595
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外部リンク

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