1977年の野球(1977ねんのやきゅう)では、1977年の野球界における動向をまとめる。
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
1977年 パシフィック・リーグプレーオフ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
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10月9日(日) |
第1戦 |
ロッテオリオンズ |
1 - 18 |
阪急ブレーブス |
阪急西宮球場
|
10月10日(月) |
第2戦 |
ロッテオリオンズ |
3 - 0 |
阪急ブレーブス
|
10月11日(火) |
移動日
|
10月12日(水) |
第3戦 |
阪急ブレーブス |
1 - 3 |
ロッテオリオンズ |
県営宮城球場
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10月13日(木) |
第4戦 |
阪急ブレーブス |
4 - 2 |
ロッテオリオンズ
|
10月14日(金) |
第5戦 |
雨天中止
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10月15日(土) |
阪急ブレーブス |
7 - 0 |
ロッテオリオンズ
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年間優勝:阪急ブレーブス
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1977年 日本シリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
|
10月22日(土) |
第1戦 |
読売ジャイアンツ |
2 - 7 |
阪急ブレーブス |
阪急西宮球場
|
10月23日(日) |
第2戦 |
読売ジャイアンツ |
0 - 3 |
阪急ブレーブス
|
10月24日(月) |
移動日
|
10月25日(火) |
第3戦 |
阪急ブレーブス |
2 - 5 |
読売ジャイアンツ |
後楽園球場
|
10月26日(水) |
第4戦 |
阪急ブレーブス |
5 - 2 |
読売ジャイアンツ
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10月27日(木) |
第5戦 |
阪急ブレーブス |
6 - 3 |
読売ジャイアンツ
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優勝:阪急ブレーブス(3年連続3回目)
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- 5月3日 - 巨人の柴田勲が対大洋戦4回戦の一回裏に二盗を決め、プロ通算500盗塁を達成[19]。
- 5月8日 - 大洋のジョン・シピンが甲子園球場での対阪神8回戦の二回表に6号本塁打を放ち、プロ野球通算150本塁打を達成[20]。
- 5月15日 - 阪急の福本豊が大阪球場での対南海8回戦の九回表に三遊間安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[21]。
- 5月19日
- 5月22日 - 広島の山本浩二が後楽園球場での対巨人6回戦の9回表に定岡正二から右前安打を放ち、プロ通算1000安打を達成。史上101人目[24]。
- 5月24日 - 阪神の池辺巌が川崎球場での対大洋9回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[25]。
- 5月29日 - 巨人の張本勲が甲子園球場での対阪神9回戦の一回表に安打、四回表に安打を放ち、プロ通算4500塁打を達成[26]。
- 6月5日 - ヤクルトの大杉勝男がナゴヤ球場での対中日7回戦の四回表に2点適時打を放ち、プロ通算1000打点を達成[27]。
- 6月9日 - 野球解説者の小西得郎が自宅で心筋梗塞で死去[28]。
- 6月13日
- 巨人の松本匡史が川崎球場での対大洋14回戦の九回表に淡口憲治の代走で出場し、さらに二死満塁の場面で打席に立ち4号満塁本塁打を打つ。代走で出場した選手がその後に打席に発ち満塁本塁打を打ったのはプロ野球史上初めて[29]。
- ヤクルトの若松勉が神宮球場での対広島13回戦の九回裏一死一塁の場面で渡辺進の代打で出場し、10号2点サヨナラ本塁打を打つ[30]。前日12日の対広島12回戦でも十回裏に代打サヨナラ本塁打となる9号2点本塁打を打っており[31]、プロ野球史上初の2試合連続代打サヨナラ本塁打を記録。
- 6月14日
- 巨人は後楽園球場での対広島11回戦の七回裏二死から吉田孝司の代打・山本功児が2号本塁打、続く西本聖の代打・淡口憲治が2号本塁打を打ち、プロ野球史上初の2者連続代打本塁打[32]。
- 巨人の柴田勲が後楽園球場での対広島11回戦の六回裏一死の場面で9号本塁打を打ち、プロ通算1000得点を達成[33]。
- 中日の高木守道がナゴヤ球場での対大洋10回戦の一回裏に8号本塁打、二回裏に9号本塁打を放ち、12日の対阪神ダブルヘッダー第一試合の最終打席で6号本塁打、第二試合で7号本塁打を放っており、4打席連続本塁打のプロ野球タイ記録[34]。
- 6月26日 - 仙台宮城球場での大洋対阪神ダブルヘッダー第2試合の13回戦は阪神が3-1とリードした六回裏大洋の一死満塁の場面で濃霧のため6回途中でコールドゲームとなり、阪神が3-1で勝利[35]。
- 6月29日 - ナゴヤ球場での中日対ヤクルト11回戦で中日の井上弘昭が五回裏に8号2点本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[36]。中日の谷沢健一が七回裏に左前安打を打ちプロ通算1000安打を達成[37]。
- 7月2日 - 阪急対ロッテ13回戦が西宮球場で行われ、阪急がロッテを2-1で下し、前期優勝を達成[38]。
- 7月4日 - パ・リーグの後期が開幕[39]。
- 7月5日
- クラウンの土井正博が仙台宮城球場での対ロッテ後期1回戦の九回表に中前安打を放ち、プロ通算2000安打を達成[40]。
- ロッテの有藤通世が宮城球場での対クラウン後期1回戦の四回裏に7号本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[41]。
- 7月6日 - 阪急の福本豊が西宮球場での対南海の後期1回戦の四回裏に二盗に成功し、通算597盗塁のプロ野球記録を達成[42]。
- 7月8日 - 中日の星野仙一がナゴヤ球場での対阪神12回戦に先発して3失点で完投して今季6勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[43]。
- 7月14日
- 巨人の王貞治がナゴヤ球場での対中日11回戦の一回表に星野仙一から21号本塁打を放ち、通算5000塁打を記録[44]。
- 阪神のハル・ブリーデンが甲子園球場での対大洋15回戦の七回表に27号本塁打を放ち、これで阪神は21試合連続本塁打となり、ロッテが1971年に記録した20試合連続本塁打を抜くプロ野球新記録[45]。
- 7月16日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対広島16回戦の五回表に松原明夫から四球を選び、通算で2056四球となりベーブ・ルースの記録に並ぶ[46]。
- 7月19日 - 阪急の福本豊が西宮球場での対クラウン後期1回戦の三回裏に二盗を決め、通算600盗塁を達成[47]。
- 7月20日
- 巨人の張本勲が後楽園球場での対中日13回戦の二回裏に星野仙一から14号本塁打を放ち、プロ通算450本塁打を達成[48]。
- クラウンの東尾修が西宮球場での対阪急後期3回戦に救援登板して今季6勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[49]。
- 大洋の高橋重行が川崎球場での対ヤクルト13回戦の三回表から救援登板して今季3勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[49]。
- 7月21日 - 近鉄の鈴木啓示が神宮球場での対ロッテ後期2回戦に先発してロッテを4-0と無四球完封勝利を収め、プロ通算47無四球試合となり、土橋正幸の46を更新するパ・リーグ新記録[50]。
- 7月31日 - 近鉄の米田哲也が対クラウン後期7回戦の四回表から登板し、金田正一のプロ野球記録を更新する通算945試合登板を達成[51]。
- 10月1日
- 南海は15時から大阪市南区のホテル南海にて記者会見し、広瀬叔功が監督に就任したと正式に発表[72]。
- 阪神は甲子園球場での対広島23回戦に1-2で敗れ、球団タイ記録の9連敗[73]。
- 10月5日
- 西京極球場での阪急対近鉄のダブルヘッダー第1試合の後期12回戦で阪急が2-4で敗れたため、ロッテのパ・リーグ後期優勝が決定[74]。
- 南海の監督を解任された野村克也が大阪市のロイヤルホテルで記者会見し現役続行を表明。また、自身が解任された背景について、南海OBからの圧力があったと主張する[75]。
- 10月7日 - 近鉄の米田哲也が対阪急後期13回戦の4回裏から登板して2イニングを投げて勝利投手となり、通算350勝を達成[76]。
- 10月8日 - 【MLB】ナ・リーグのプレーオフ第4戦が行われ、ロサンゼルス・ドジャースがフィラデルフィア・フィリーズを4-1で破り、1974年以来通算15度目のリーグ優勝決定[77]。
- 10月13日 - クラウンは15時より東京・赤坂の球団東京事務所にて記者会見し、監督の鬼頭政一が辞任したと発表[78]。
- 10月14日 - 近鉄は投手コーチの杉浦忠を解任を発表[79]。
- 10月15日 - パ・リーグプレーオフの第5戦で阪急がロッテに7-0で勝利し、パ・リーグ優勝を決める[80]。
- 10月17日
- 阪神は監督の吉田義男が大阪市北区の阪神電鉄本社をにオーナーの野田誠三と球団社長の田中隆造を訪ね、成績不振の責任を取るため辞任したいと申し出、了承される[81]。
- 中日は16時より名古屋市にある中日ビル「クラブ東海」で記者会見を行い、中利夫の監督就任を発表[82]。
- 10月18日
- 近鉄の米田哲也が大阪市森之宮にある球団事務所を訪れて引退を申し入れ、了承される[83]。
- セ・リーグの公式戦全日程が終了[84]。
- 10月19日 - 沢村賞選考委員会が東京・数寄屋町のニュートーキョーにて12時から選考を行い、巨人の小林繁を選出[85]。
- 10月20日 - オーナー会議が東京・九段下のホテルグランドパレスにて行われ、ロッテのフランチャイズを神奈川県に移転することを了承[86]。
- 10月27日 - 日本シリーズの第5戦が後楽園球場にて13時から行われ、阪急が6-3で勝利し、4勝1敗で3年連続日本シリーズ優勝達成。MVPは阪急の山田久志[87]。
- 10月28日 - 1977年度のプロ野球の表彰選手を決めるプロ野球担当記者投票の開票が東京・銀座のコミッショナー事務局で行われ、最優秀選手にセ・リーグは巨人の王貞治、パ・リーグは山田久志が選出される。最優秀新人にセ・リーグは大洋の斎藤明夫、パ・リーグは阪急の佐藤義則を選出[88]。
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