1980年の野球(1980ねんのやきゅう)では、1980年の野球界における動向をまとめる。
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
1980年 パシフィック・リーグプレーオフ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
|
10月15日(水) |
第1戦 |
近鉄バファローズ |
4 - 1 |
ロッテオリオンズ |
川崎球場
|
10月16日(木) |
第2戦 |
近鉄バファローズ |
4 - 2 |
ロッテオリオンズ
|
10月17日(金) |
移動日
|
10月18日(土) |
第3戦 |
ロッテオリオンズ |
4 - 13 |
近鉄バファローズ |
大阪球場
|
年間優勝:近鉄バファローズ
|
1980年 日本シリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
|
10月25日(土) |
第1戦 |
近鉄バファローズ |
6 - 4 |
広島東洋カープ |
広島市民球場
|
10月26日(日) |
第2戦 |
近鉄バファローズ |
9 - 2 |
広島東洋カープ
|
10月27日(月) |
移動日
|
10月28日(火) |
第3戦 |
広島東洋カープ |
4 - 3 |
近鉄バファローズ |
大阪球場
|
10月29日(水) |
第4戦 |
広島東洋カープ |
2 - 0 |
近鉄バファローズ
|
10月30日(木) |
第5戦 |
広島東洋カープ |
2 - 6 |
近鉄バファローズ
|
10月31日(金) |
移動日
|
11月1日(土) |
第6戦 |
近鉄バファローズ |
2 - 6 |
広島東洋カープ |
広島市民球場
|
11月2日(日) |
第7戦 |
近鉄バファローズ |
3 - 8 |
広島東洋カープ
|
優勝:広島東洋カープ(2年連続2回目)
|
- 2月4日 - 野球体育博物館の特別表彰委員会が開かれ、千葉茂を特別表彰者として選出[12]。
- 2月9日 - 横浜大洋ホエールズは球団初となる日本国外でのキャンプ地となる米アリゾナ州メサ市に到着[13]。
- 2月13日 - プロ野球実行委員会が東京・芝の東京グランドホテルにて開かれ、来年1月より外国人選手の枠を現行の1球団2人から3人へ増やすことを正式に決定。一軍出場は従来通り2人まで[14]。
- 2月15日 - 阪神は米アリゾナ州メサキャンプの宿舎「ホリデーイン」にて、前ヤクルトのデーブ・ヒルトンの入団を発表[15]。
- 2月18日 - 巨人は前ニューヨーク・ヤンキースのロイ・ホワイトの入団が正式に決定。球団常務の佐伯文雄がアメリカに渡り、ホワイトの代理人と契約書に調印[16]。
- 5月3日
- ロッテの村田兆治が川崎球場での対阪急5回戦で8四球、3死球の計11四死球を記録し、パ・リーグ新記録[31]。
- 広島の渡辺秀武が広島球場での対ヤクルト4回戦の8回表に大杉勝男から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[32]。
- 5月15日 - 阪神は甲子園球場にて16時より記者会見を行い、監督のドン・ブレイザーが退団し後任の監督に中西太が就任したことを発表、またデーブ・ヒルトンの解雇を発表[33]。
- 5月27日 - 巨人の柴田勲が後楽園球場での対大洋9回戦の1回裏に二塁打を放ち、プロ通算300二塁打を達成[34]。
- 5月28日 - ロッテの張本勲が川崎球場での対阪急11回戦の6回裏に山口高志から6号2点本塁打を放ち、プロ野球史上初の通算3000安打[35][36]。
- 6月1日
- 西武の土井正博が西武球場での対阪急6回戦の5回裏に安打を放ち、プロ通算4000塁打を達成[37]。
- 広島の衣笠祥雄が広島球場での対中日9回戦の1回裏に13号本塁打を放ち、プロ通算300本塁打を達成[38]。
- 6月2日 - 巨人の堀内恒夫が後楽園球場での対ヤクルト7回戦に先発して6回降雨コールドゲームで勝ち投手となり、プロ通算200勝を達成[39]。
- 6月6日
- 近鉄が日生球場での対ロッテ前期7回戦の1回裏に得点し、1979年5月19日の対西武前期7回戦から通算144試合連続得点のプロ野球新記録を達成[40]。
- 阪急の福本豊が後楽園球場での対日本ハム10回戦の6回表に安打を放ち、プロ通算1500安打を達成。史上38人目[41]。
- 6月8日 - 阪神の江本孟紀が甲子園球場での対広島7回戦の5回表に衣笠祥雄から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成。史上59人目[42]。
- 6月11日 - 巨人のジョン・シピンが後楽園球場での対広島8回戦に出場し、プロ野球通算1000試合出場達成[43]。
- 6月12日
- 巨人の王貞治が後楽園球場での対広島9回戦の一回裏に12号2点本塁打を打ち、プロ通算850本塁打を達成[44]。
- 近鉄の羽田耕一が西武球場での対西武11回戦の5回表に9号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成。史上111人目[45]。
- 6月14日
- 阪神の掛布雅之が広島市民球場での対広島8回戦の七回表に6号本塁打を打ち、プロ通算150本塁打を達成[46]。
- 日本ハムの加藤俊夫が日生球場での対近鉄9回戦の9回表に2点本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成。史上112人目[47]。
- 6月19日 - 阪急の松本幸行が大阪球場での対南海11回戦に先発して勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[48]。
- 6月22日 - ロッテの村田兆治が川崎球場での対南海11回戦の五回表に久保寺雄二から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[49]。
- 6月23日 - 南海の杉田久雄と広島の岡義朗の交換トレードを両球団が発表[50]。
- 6月25日
- 6月26日 - 日本ハムの冨田勝が西宮球場での対阪急12回戦の一回表に3号本塁打を打ちプロ通算100本塁打、七回表に安打を打ちプロ通算1000安打を達成[53]。
- 6月27日 - 川崎球場でのロッテ対日本ハム13回戦でロッテが日本ハムに3-1で勝ち、西京極球場での阪急対近鉄12回戦で近鉄が阪急に10-12で敗れたため、ロッテの前期優勝が決定[54]。
- 6月28日
- 近鉄のチャーリー・マニエルが日生球場での対ロッテ10回戦の七回裏に21号2点本塁打を打ち、プロ野球通算150本塁打を達成[55]。
- 中日は梅田邦三を日本ハムへ金銭トレードすると発表。
- 7月1日 - 西武の土井正博が西武球場での対ロッテ前期13回戦の四回裏に13号本塁打を放ち、プロ通算450本塁打を達成[56]。
- 7月4日
- パ・リーグの後期が開幕[57]。
- 日本ハムのトニー・ソレイタが川崎球場での対ロッテ後期1回戦でパ・リーグ新記録となる5打席連続三振[58]。
- 7月5日
- 南海対阪急の後期2回戦が大阪球場で行われ、南海の山内新一が先発し200試合連続先発を記録[59]。七回裏南海の攻撃で二死二塁の場面で片平晋作が打席に立ちカウント2-2からの5球目を球審の寺本勇はストライクと判定し片平は見逃しの三振となるが、片平と監督の広瀬叔功がこの判定に怒って寺本に抗議、寺本は広瀬を暴力行為を働いたとして退場処分とする。八回表片平が守備についた際、片平も寺本に対し暴行を働いていたと他の審判が指摘し、審判団が協議の末、片平も退場処分。今度はコーチの新山隆史がこの宣告に怒り寺本を殴りつけたため退場を宣告。プロ野球史上初めて一度に3名の退場者が出る[60]。
- 7月7日 - 西武球場での西武対近鉄の後期4回戦の六回裏西武の攻撃中に、近鉄の監督の西本幸雄が球場で打ちあげられた花火の煙でボールが見えないと抗議し、試合が5分中断[61]。中断後、一死一、二塁でジム・タイロンの打席でカウント2-1となった時、西本が再び濃霧でボールが見えないので試合ができないと抗議、試合が29分中断[62]。
- 7月10日
- 阪急の福本豊が後楽園球場での対日本ハム後期2回戦の七回表に一塁走者として簑田浩二の適時打で生還し、プロ通算1000得点を達成[63]。
- ヤクルトの松岡弘が神宮球場での対阪神11回戦に先発して5勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[64]。
- 7月17日 - 近鉄の平野光泰が西宮球場での対阪急後期3回戦でサイクル安打を達成。史上32人目(33度目)[65]。
- 7月19日 - オールスターゲーム第1戦(西宮)で阪神の岡田彰布が、日本ハムの間柴茂有からオールスター史上初の新人初打席初本塁打[66]。
- 7月29日
- 大阪球場での南海対日本ハム後期4回戦で南海の伊藤勲が2回裏に3号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成。史上57人目[67]。日本ハムの大宮龍男がこの試合でサイクル安打を達成。史上33人目(34度目)[68]。
- 阪急が阪急電鉄本社で臨時株主総会と取締役会を開き、森薫オーナーの辞任を承認、新オーナーに阪急電鉄社長の柴谷貞雄の就任を発表[69]。
- 8月1日 - 西武の野村克也が西武球場での対南海後期4回戦に先発出場し、日本プロ野球史上初の通算3000試合出場[70][71]。同年の現役引退時の記録は3017試合。
- 8月4日 - 広島の衣笠祥雄が後楽園球場での対巨人14回戦に先発出場し、飯田徳治の1246試合連続出場を更新する1247試合連続出場のプロ野球新記録[72]。
- 8月5日 - PL学園硬式野球部の新監督にコーチの中村順司が就任。
- 8月7日
- 8月8日 - 日本ハムの木田勇が後楽園球場での対西武後期2回戦で、プロ野球史上初の2試合連続の毎回奪三振となる12奪三振を記録[76]。
- 8月10日
- 8月12日 - 西武の田淵幸一が西武球場での対ロッテ後期11回戦の三回裏に29号本塁打を放ち、西武はこれで日本プロ野球新記録の24試合連続本塁打[80]。
- 8月13日 - 南海の藤原満が大阪球場での対近鉄後期3回戦の六回裏に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[81]。
- 8月16日 - 後楽園球場での巨人対阪神17回戦で、巨人の江川卓、阪神の小林繁が先発登板して両者の投げ合いが実現、試合は5対3で巨人が勝利。江川は176球を投じて完投して10勝目、小林は5回3失点で降板し、敗戦投手となる[82]。
- 8月19日 - 阪神の岡田彰布が広島市民球場での対広島15回戦の二回表に13号本塁打を放ち、これがセ・リーグ通算2万本塁打となる[83]。
- 8月20日 - 中日は兼任コーチの高木守道の現役登録を抹消して一塁ベースコーチとする[84]。
- 8月22日 - 第62回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、エース愛甲猛を擁する神奈川県代表の横浜が東東京代表の早稲田実業を6-4で破り初優勝。※容姿端麗な荒木大輔(早実)が注目を集め、その悲劇性と相まって空前の「大ちゃんフィーバー」を巻き起こした[85]。
- 8月30日
- 中日の大島康徳がナゴヤ球場での対阪神19回戦の九回裏に12号2点本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[86]。
- 阪急のボビー・マルカーノが西宮球場での対近鉄後期7回戦の四回裏に22号本塁打を放ち、通算150本塁打を達成[87]。
- 9月2日 - 日本ハムの木田勇が日生球場での対近鉄後期9回戦で毎回奪三振16を記録、日本プロ野球初のシーズン3度目の毎回奪三振[88]。
- 9月5日
- 日本ハムのトニー・ソレイタが西武球場での対西武後期7回戦で35号、36号3ラン、37号と3打数連続本塁打。4日の対近鉄後期11回戦の九回32号とあわせ、プロ野球タイの4打数連続本塁打を記録[89]。
- ロッテの張本勲が西宮球場での対阪急後期8回戦の五回表にレオン・リーの二塁打で生還し、プロ通算1500得点を達成。巨人・王貞治、西武・野村克也に次いで史上3人目[90]。
- 9月6日 - 広島の衣笠祥雄が広島球場での対阪神18回戦の1回裏に阪神の江本孟紀に三振を喫し、プロ通算1000三振を記録[91]。
- 9月7日 - 広島の山本浩二が広島球場での対阪神19回戦の2回裏に安打を放ち、プロ通算1500安打を達成[92]。
- 9月11日 - 広島の山本浩二がナゴヤ球場での対中日23回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成。史上64人目[93]。
- 9月13日 - 阪急の福本豊が日生球場での対近鉄後期9回戦の1回表に三盗を成功させ、プロ通算800盗塁を達成[94]。
- 9月23日 - 中日の木俣達彦がナゴヤ球場での対巨人23回戦で12号、13号本塁打を放ち通算269本塁打を記録し、江藤真一の持つ268本塁打の球団最多本塁打の記録を更新[95]。
- 9月28日 - ロッテの張本勲が川崎球場での対近鉄ダブルヘッダーの第1試合の後期10回戦の1回裏に11号本塁打を放ち、日本プロ野球史上3人目の通算500本塁打を達成[96]。
- 9月30日
- 近鉄が西京極球場での対阪急後期12回戦で0-5で敗れ、1979年5月19日の対西武前期7回戦から続いていたチーム連続得点試合記録が「215試合」で途切れた[97]。
- ロッテの弘田澄男が川崎球場での対日本ハム後期13回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成。史上220人目[98]。
- 10月2日 - 南海の金城基泰が大阪球場での対阪急後期12回戦で9回表二死一、二塁の場面でリリーフ登板し、初球を投げる前に一塁走者の福本豊を牽制球でタッチアウトしてゲームセットとなり「0球セーブ」を記録[99]。
- 10月3日 - 西武の東尾修が後楽園球場での対日本ハム後期13回戦に先発して完投で16勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[100]。
- 10月4日
- 近鉄の佐々木恭介が日生球場での対南海後期11回戦の九回裏に18号サヨナラ本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[101]。
- ロッテの弘田澄男が川崎球場での対西武後期11回戦の3回裏に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成。史上119人目[102]。
- 10月5日
- 巨人の王貞治が広島球場での対広島22回戦の7回表に安打を放ちシーズン100本目の安打となり、21年連続100安打を達成。張本勲の持つ20年連続100安打のプロ野球記録を更新[103]。
- 近鉄の栗橋茂が日生球場での対南海後期12回戦の7回裏に27号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成。史上116人目[104]。
- 10月7日 - 日本ハム対近鉄の後期13回戦が後楽園球場にて行われ、日本ハムはこの試合が後期最終戦で、勝てば後期優勝が決定したが、近鉄が日本ハムを6-5と下し、パ・リーグ後期優勝の決定は持ち越しとなる[105]。
- 10月10日 - 西武の山下律夫が西宮球場での対阪急後期13回戦に先発して勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[106]。
- 10月11日
- 南海は13時より大阪市南区の南海電鉄本社四階会議室にて記者会見し、球団OBで前阪神監督のドン・ブレイザーが監督に就任すると正式に発表[107]。
- 近鉄対西武の後期13回戦が藤井寺球場にで行われ、近鉄が西武に10-4で勝利し、後期優勝を達成[108]。
- 10月17日 - 阪神対広島の26回戦が甲子園球場で14時より行われ広島が阪神を6-3と下し、2位のヤクルトが神宮球場での対中日20回戦で1-4と敗れたため、広島のリーグ優勝が決定[109]。
- 10月18日 - パ・リーグプレーオフ第3戦が大阪球場で行われ、近鉄がロッテに13-4で勝利し、3勝0敗でパ・リーグ優勝[110]。
- 10月21日 - 巨人は東京・大手町の読売新聞社会議室にて17時より記者会見し、監督の長嶋茂雄が辞任し、野球評論家の藤田元司が新監督に就任したと発表[111][112]。
- 10月23日 - 大洋はフェリックス・ミヤーンの自由契約を決定。また一軍守備・走塁コーチの森下整鎮が球団に辞表を提出し、受理された[113]。
- 10月24日 - 中日は球団OBで野球評論家の近藤貞雄が新監督に就任したと発表[114]。
- 10月27日 - 巨人はジョン・シピンを自由契約とした[115]。
以下の選手は松坂世代を参照
|
---|
野球の歴史 |
1870年代 | |
---|
1880年代 | |
---|
1890年代 | |
---|
1900年代 | |
---|
1910年代 | |
---|
1920年代 | |
---|
1930年代 | |
---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|