1992年の野球(1992ねんのやきゅう)では、1992年の野球界における動向をまとめる。
1992年 日本シリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
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10月17日(土) |
第1戦 |
西武ライオンズ |
3 - 7x |
ヤクルトスワローズ |
明治神宮野球場
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10月18日(日) |
第2戦 |
西武ライオンズ |
2 - 0 |
ヤクルトスワローズ
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10月19日(月) |
移動日
|
10月20日(火) |
第3戦 |
雨天中止 |
西武ライオンズ球場
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10月21日(水) |
ヤクルトスワローズ |
1 - 6 |
西武ライオンズ
|
10月22日(木) |
第4戦 |
ヤクルトスワローズ |
0 - 1 |
西武ライオンズ
|
10月23日(金) |
第5戦 |
ヤクルトスワローズ |
7 - 6 |
西武ライオンズ
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10月24日(土) |
移動日
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10月25日(日) |
第6戦 |
西武ライオンズ |
7 - 8x |
ヤクルトスワローズ |
明治神宮野球場
|
10月26日(月) |
第7戦 |
西武ライオンズ |
2 - 1 |
ヤクルトスワローズ
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優勝:西武ライオンズ(3年連続11回目)
|
- 9月1日 - 西武球場での西武対近鉄21回戦で西武が近鉄に22-0で勝利し、パ・リーグ最多得点差[54]。
- 9月2日 - 大洋の長内孝が横浜スタジアムでの対広島23回戦に6番・一塁で先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[55]。
- 9月4日 - ダイエーの門田博光が福岡市内の球団事務所にて記者会見し今季限りで現役引退すると発表[56]。
- 9月11日 - 阪神対ヤクルト19回戦が甲子園球場にて行われ、9回裏阪神の攻撃で二死一塁から八木裕が左翼へライナーを打ち、二塁塁審の平光清は本塁打と判定したが、ヤクルト側が打球がフェンスに当たってスタンドに入ったのでエンタイトル二塁打だと抗議。平光はこれを受けいれ本塁打を二塁打へ訂正したが、今度は阪神の監督の中村勝広が抗議し、試合が約37分中断[57]。試合は延長十五回、3-3の引き分けとなり、試合時間はプロ野球史上最長の6時間26分となった[58]。
- 9月12日
- 巨人の原辰徳が東京ドームでの対広島23回戦の七回裏に2点適時打を打ち、プロ通算1500安打を達成[59]。
- ヤクルトの西村龍次が甲子園球場での対阪神20回戦に先発し、四回裏に木戸克彦に2号満塁本塁打を打たれ、1シーズン4被満塁本塁打のプロ野球新記録[60]。
- 9月16日 - ヤクルトの角富士夫が神宮球場での対横浜大洋26回戦の七回裏に代打として出場し、プロ通算1500試合出場を達成[61]。
- 9月22日 - ヤクルトの広沢克己が神宮球場での対広島20回戦の四回裏に安打を打ち、プロ通算1000安打を達成[62]。
- 9月25日 - 巨人の原辰徳が東京ドームでの対中日24回戦の六回裏に27号2点本塁打を打ち、プロ通算350本塁打を達成[63]。
- 9月27日 - ヤクルトの広沢克己が神宮球場での対阪神23回戦に四番・一塁で先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[64]。
- 9月29日 - 西武のオレステス・デストラーデが東京ドームでの対日本ハム21回戦の九回表に29号本塁打を打ち、通算150本塁打を達成[65]。
- 9月30日
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