2001年ブルガリア国民議会選挙は、ブルガリア共和国の立法府である国民議会を構成する議員を選出するため、2001年6月18日に投票が行われた選挙である。
ブルガリア国民議会の議員任期(4年)が満了したことに伴って実施された選挙である。民主化後のブルガリアにおいて交互に政権を担ってきた2大政党(民主勢力同盟、ブルガリア社会党)を押さえ、1996年にブルガリアに帰国した元ブルガリア国王であるシメオン2世が選挙直前に結成した新党「シメオン2世国民運動」(以下、国民運動)が、最多得票を得て第一党となった。
政党(連合) | 得票数 | 得票率 | 議席数 | 占有率 |
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シメオン2世国民運動 НДСВ | 1,952,513 | 42.74 | 120 | 50.00 |
民主勢力同盟 СДС | 830,338 | 18.18 | 51 | 21.15 |
ブルガリアのための連合 Коалиция за България | 783,372 | 17.15 | 48 | 20.00 |
権利と自由のための運動 ДПС | 340,395 | 7.45 | 21 | 8.75 |
ゲオルギーの日-内部マケドニア革命組織 | 165,927 | 3.63 | 0 | 0.00 |
同盟「シメオン2世」 | 157,141 | 3.44 | 0 | 0.00 |
シメオン2世のための国民同盟 | 77,671 | 1.70 | 0 | 0.00 |
諸党派 | 260,834 | 5.50 | 0 | 0.00 |
合計 | 4,568,191 | 100 | 240 | 100 |
「解説」でも説明したとおり、選挙直前に結成された国民運動が4割以上の得票を得て議席数でも半数の120議席を得て第1党となった。民主勢力同盟と社会党を押さえて、国民運動が第一党になった理由としては、①過去10年間における既存の政治体制に国民が変化を求めた事、②構造的な汚職に対する国民の不満、③前回選挙で政権についた民主勢力同盟が推し進めた急進的な経済改革の結果、貧困と失業者の増大を招いたことに対する強い不満に対し、シメオン2世が打開してくれるのではないかとの国民の期待が寄せられた事が指摘されている。