2002年の日本プロ野球(2002ねんのにほんぷろやきゅう)では、2002年の日本プロ野球(NPB)における動向をまとめる。
- 1月7日 - 中日の二軍監督の島野育夫が阪神の一軍ヘッドコーチに就任するため名古屋市の球団事務所を訪れ球団社長の西川順之助に対し退団を申し入れ、了承される[1]。
- 1月11日 - 野球体育博物館は競技者表彰で山内一弘、鈴木啓示、福本豊、田宮謙次郎、特別表彰で元パ・リーグ会長の中沢不二雄、元ロサンゼルス・ドジャースの球団職員の生原昭宏、新世紀特別表彰で元サンフランシスコ・シールズ監督のフランク・オドール、歌人の正岡子規が殿堂入りしたと発表[2][3]。
- 1月15日 - 横浜ベイスターズは臨時取締役会を開き、マルハの所有する球団の株式(53.8%)を全てTBSと関連会社のビーエス・アイに譲渡することを全会一致で可決。日本野球機構に筆頭株主の変更を申請[4]。
- 1月17日 - パ・リーグのオーナー懇談会が赤坂プリンスホテルにて開かれ、ダイエーのオーナーの中内㓛が球団の売却を否定[5]。
- 1月18日 - ダイエー本社は経営再建策「新再生三か年計画」を発表、ダイエー・ホークスについて売却を見送ることが正式に決定[6]。
- 1月19日 - 広島東洋カープが新ユニホームを発表
- 1月22日 - プロ野球実行委員会が開かれ、横浜ベイスターズの筆頭株主のマルハが所有する全株式をTBSとその関連会社のビーエス・アイに売却することを全会一致で承認[7]。
- 1月24日 - 近鉄は前日本ハムのナイジェル・ウィルソンの入団を正式に決定[8]。
- 1月26日 - 日本プロ野球オーナー会議が帝国ホテルで開かれ、野球協約第36条の6で規定されている「加盟料30億円」について「存続」「撤廃」「減額」のいずれかを挙手で意見を求めたところ近鉄、オリックス、ロッテ、日本ハムが「撤廃もしくは減額」、残る8球団が「存続」となり、変更はしないと全会一致で承認。また、横浜ベイスターズの筆頭株主のマルハが所有する全株式をTBSとビーエス・アイに売却することを全会一致で承認[9][10]。
- 1月31日 - 横浜は株主総会と取締役会を開き、TBS社長の砂原幸雄が球団のオーナーに就任する事を決定[11]。
- 4月6日
- 阪神タイガースが神宮球場での対ヤクルト2回戦に3-1で勝ち、1938年の球団記録に並ぶ開幕7連勝[14]。
- ダイエーはグリーンスタジアム神戸での対オリックス1回戦に10-3で勝ち、球団タイ記録に並ぶ開幕6連勝[15]。
- 4月7日 - ロッテは千葉マリンスタジアムでの対近鉄2回戦に3-7で敗れ、1967年の球団記録を更新する開幕7連敗[16]。
- 4月8日 - ダイエーの小久保裕紀が福岡ドームでの対近鉄1回戦の七回裏に5号本塁打を打ち、プロ通算200号本塁打を達成[17]。
- 4月12日 - ロッテはグリーンスタジアム神戸での対オリックス1回戦に1-4で敗れ、プロ野球史上4チーム目となる開幕10連敗を記録[18]。
- 4月14日 - ロッテはグリーンスタジアム神戸での対オリックス3回戦に4-1で勝ち、開幕からの連敗を11で止める[19]。
- 4月21日 - 大阪近鉄バファローズの五十嵐章人が大阪ドームでの対ダイエー6回戦に8番・二塁で先発出場し5回裏に1号2点本塁打を打ち、史上6人目となる全打順での本塁打[20]。
- 4月22日 - 近鉄のタフィー・ローズが東京ドームでの対日本ハム4回戦の一回表に9号本塁打を打ち、プロ野球通算200号本塁打を達成[21]。
- 4月28日 - ヤクルトの高津臣吾が甲子園球場での対阪神6回戦に登板し今季6セーブ目を挙げ、史上2人目となるプロ通算200セーブを達成[22]。
- 4月29日 - ダイエーのロドニー・ペドラザが千葉マリンスタジアムでの対ロッテ4回戦に登板し4セーブ目を挙げ、プロ野球通算100セーブを達成[23]。
- 5月3日 - ロッテの喜多隆志が千葉マリンスタジアムでの対西武5回戦の10回裏無死満塁の場面でサヨナラ適時打を打ち、新人ではパ・リーグ史上初の2試合連続サヨナラ打を記録[24]。
- 5月4日
- ヤクルトの古田敦也が神宮球場での対中日6回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[25]。
- 日本ハムの小笠原道大が東京ドームでの対ダイエー7回戦の2回裏二死一、三塁の場面で11号3点本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[26]。
- 西武の西口文也が千葉マリンスタジアムでの対ロッテ6回戦の二回裏に初芝清から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[27]。
- 5月6日
- オリックスのフェルナンド・セギノールがグリーンスタジアム神戸での対ロッテ7回戦の一回裏に左打席で12号3点本塁打、三回裏に右打席で13号2点本塁打。プロ野球史上初の2試合連続左右両打席本塁打を記録[28]。
- ダイエーの城島健司が福岡ドームでの対近鉄7回戦の六回裏に8号2点本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[29]。
- 5月7日 - 巨人の武田一浩がナゴヤドームでの対中日7回戦に先発して今季1勝目を挙げ、史上3人目の全球団勝利を達成[30]。
- 5月11日 - 西武の松井稼頭央が西武ドームでの対オリックス7回戦の10回裏に6号サヨナラ2点本塁打を打ち、プロ野球史上7人目の2試合連続サヨナラ本塁打を記録[31]。
- 5月14日 - 日本プロ野球史上初の台湾での公式戦となるダイエー対オリックス6回戦が台北市の天母球場で行われ、5対4でダイエーが勝利。アメリカ占領下時の沖縄県での試合を除き、日本以外の国で試合が行われたのは1940年の満州国での試合以来62年ぶり[32]。
- 5月15日 - 西武の松井稼頭央が西武ドームでの対8回戦に出場し、パ・リーグ新記録となる889試合連続出場を達成[33]。
- 5月22日 - 巨人の武田一浩が甲子園球場での対阪神9回戦でデリック・ホワイトから三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[34]。
- 5月24日 - 西武の橋本武広と阪神のトム・エバンスのトレードが成立したと西武、阪神両球団が発表[35]。
- 5月28日 - 読売新聞社が臨時株主総会を開き、持ち株会社「読売新聞グループ本社」を軸に「読売新聞東京本社」「読売新聞大阪本社」「読売新聞西部本社」「中央公論新社」「読売巨人軍」の中核5社に再編成することを正式に決定。巨人はこれに伴い、7月1日付で会社名を「東京読売巨人軍」から「株式会社読売巨人軍」に名義変更し、球団社長に読売新聞社専務取締役編集主幹の堀川吉則が就任すると発表[36]。
- 5月29日 - 近鉄の中村紀洋が大阪ドームでの対ロッテ10回戦の五回裏に19号3点本塁打を打ち、プロ通算1000本安打を達成[37]。
- 7月3日 - 巨人の清原和博が東京ドームでの対中日13回戦の三回裏に8号本塁打を打ち、プロ通算450号本塁打を達成[45]。
- 7月4日 - プロ野球実行委員会が開かれ、2004年に日本ハムが本拠地を東京ドームから札幌ドームへ移転することを全会一致で承認[46]。
- 7月6日 - 西武の伊東勤が札幌ドームでの対近鉄12回戦の六回裏に5号3点本塁打を打ち、プロ通算150号本塁打を達成[47]。
- 7月9日
- オーナー会議が都内のホテルで開かれ、野球協約に関し、球団の保有者を明らかにするため球団の株主構成をコミッショナーに届け出る規定を設ける事、球団の経営権の移転に関する条文を合併、経営権の譲渡などのあらゆる形に対応する改正案を全会一致で可決。また、日本ハムが本拠地を東京から札幌へ移転することを全会一致で承認[48]。
- 広島市民球場での広島対巨人15回戦で、松井秀喜が九回表に18号本塁打を打ち、プロ通算300号本塁打を達成[49]。巨人の工藤公康が2打席2三振を記録し、セ・リーグタイ記録の79打席無安打となる[50]。
- 7月10日 - 広島のオーナーの松田耕平が午後4時51分、胃がんのため死去。80歳[51]。
- 7月15日
- オリックスはメジャー・リーグのドラフト会議でシンシナチ・レッズから1巡目指名を受けたマーク・シュメラックの入団テストを行うと発表[52]。
- 広島は、10日に死去したオーナーの松田耕平の後任に球団常務の松田元が就任すると発表[53]。
- 7月17日 - 近鉄の大塚晶文が大阪ドームでの対オリックス14回戦で2セーブ目を挙げ、プロ通算100セーブを達成[54]。
- 7月18日 - 日本ハムは東京都内のホテルでアリゾナ・ダイヤモンドバックスとの業務提携の調印式を行う[55]。
- 7月21日 - ロッテの小林雅英が東京ドームでの対日本ハム14回戦で18セーブ目を挙げ、パ・リーグ新記録の13試合連続セーブを達成[56]。
- 7月27日 - 横浜のボイ・ロドリゲスが函館での対広島15回戦にてサイクル安打を達成、通算52人目、史上56度目[57]。
- 7月28日
- 横浜の鈴木尚典が函館での対広島16回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[58]。
- ロッテの初芝清が西武ドームでの対西武17回戦の一回表に二塁打を打ち、プロ通算300二塁打を達成[59]。
- 7月29日 - オリックスの山口和男がグリーンスタジアム神戸での対ダイエー15回戦に登板し、プロ野球最速記録タイの158km/hをマーク[60]。
- 9月2日
- 横浜の石井浩郎が横浜市の球団事務所にて記者会見し、今季限りでの現役引退を正式に表明[71]。
- 日本ハムは東京・六本木の球団事務所にて記者会見し、オーナーの大社義規が辞任し球団社長の小嶋武士が代行と務めると発表[72]。
- 9月3日
- ロッテの小林雅英が大阪ドームでの対近鉄22回戦に9回裏から登板して今季27セーブ目を挙げ、プロ野球新記録となる23試合連続セーブポイント[73]。
- 中日の山本昌が静岡での対横浜21回戦に先発し今季6勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[74]。
- 9月4日 - 広島の佐々岡真司が広島市民球場での対阪神23回戦の8回表に片岡篤史からこの試合4つ目の三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[75]。
- 9月7日 - 日本ハムの田中幸雄が千葉マリンスタジアムでの対ロッテ21回戦の2回表に二塁打を打ち、プロ通算3000塁打を達成[76]。
- 9月9日 - 阪神の星野伸之が西宮市の球団事務所にて記者会見し、今季限りでの現役引退を正式に表明[77]。
- 9月11日 - 近鉄の吉岡雄二が東京ドームでの対日本ハム24回戦の9回表に23号本塁打を打ち、プロ通算100号を達成[78]。
- 9月19日 - 横浜の野村弘樹が今季限りで現役引退すると正式に表明[79]。
- 9月21日
- 西武は千葉マリンスタジアムでの午後2時からの対ロッテ25回戦に0-4で敗れるも、2位のダイエーが東京ドームでの午後6時からのの対日本ハム25回戦に延長12回1-1で引き分けたため、西武の4年ぶり19回目のパ・リーグ優勝達成[80]。
- 中日の井端弘和がナゴヤドームでの対横浜25回戦でサイクル安打を達成[81]。
- 9月24日 - 2位ヤクルトがナゴヤドームでの対中日26回戦に4-9で敗れたため、巨人が2年ぶり30度目のセ・リーグ優勝を達成[82][83]。
- 9月26日 - 横浜は監督の森祇晶を解任すると発表[84]。
- 9月28日
- 10月1日 - ヤクルトの池山隆寛が今季限りで現役引退すると表明[87]。
- 10月6日 - 西武の豊田清が東京ドームでの対日本ハム28回戦でパ・リーグのシーズン最多セーブの新記録となる今季36セーブ目を挙げる[88]。西武の松井稼頭央が1000試合連続出場を達成[89]。
- 10月9日 - 西武の西口文也がグリーンスタジアム神戸での対オリックス27回戦に先発し今季15勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[90]。
- 10月15日 - 横浜はヘッドコーチの黒江透修を横浜市内の球団事務所に呼び、今季限りで解任すると通告[91]。
- 10月16日 - 中日の大豊泰昭が名古屋市の球団事務所にて記者会見し、今季限りで現役引退すると正式に発表[92]。
- 10月17日 - 横浜は横浜市のホテルにて記者会見し、野球評論家で球団OBの山下大輔が監督に就任すると正式に発表[93]。
- 10月18日 - 日本ハムは臨時取締役会を開き、球団社長兼オーナー代行の小嶋武士が社長を辞任し、後任に日本ハム本社監査役の今村純二が就任する人事を承認[94]。
- 10月28日 - 沢村賞の選考が都内のホテルで開かれ、巨人の上原浩治を選出[95]。
- 10月30日 - 日本シリーズの第4戦が西武ドームで行われ、巨人が6対2で西武に勝利し巨人がストレート4連勝(4タテ)で通算20度目の日本一。ストレート4連勝(4タテ)は巨人としては球団史上初で、シリーズとしては1990年の西武以来、12年ぶり。西武の日本シリーズでの5連続敗退は阪急と並ぶ当時のワーストタイ記録[96]
- 10月31日 - 西武は一軍打撃コーチの金森栄治に対し解任を通告[97]。
2002年5月31日から6月30日にかけて2002 FIFAワールドカップ(日韓W杯)が開催された(W杯については該当記事参照)。
そのためプロ野球の試合日程が変則的(6月中)になっており、グループリーグのサッカー日本代表試合日である6月4日、9日、14日は休養日になっていた[115][116][117]。
決勝トーナメント1回戦の日本vsトルコ戦が行われた6月18日は、中日対ヤクルトの1試合が行われた[115][116]。
また、日韓W杯開催に伴い野球人気も高めようとのことから日本6大都市(札幌、東京、名古屋、大阪、広島、福岡)で開幕戦を行う企画を行ったため、翌2003年シーズンから開幕権は2年前の順位が反映されることになった(実質繰り越し)[118]。前年度を踏襲して開幕戦が行われていた場合、上位からセは神宮(ヤクルト)、東京ドーム(巨人)、横浜(横浜)、パは大阪(近鉄)、福岡ドーム(ダイエー)、西武ドーム(西武)で行われていた。
2002年よりストライクゾーンが高めに広がった[119][120][121]。セ・リーグ、パ・リーグ共に四死球が減少、三振数は増加。特に四死球の減少が顕著となった[119]。得点も両リーグ減少し、防御率も良化[119]。パ・リーグは全チームが防御率3点台を記録した[119]。
ストライクゾーン変更は打者有利の現状や試合時間が長くなることへの反省から行われたものである[120]。上記の通り投低打高化しており、また試合時間についても2002年の平均試合時間は両リーグとも昨年より短縮された[119]。しかし翌年の2003年には見直される[122]。
2002年 日本シリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
|
10月26日(土) |
第1戦 |
西武ライオンズ |
1 - 4 |
読売ジャイアンツ |
東京ドーム
|
10月27日(日) |
第2戦 |
西武ライオンズ |
4 - 9 |
読売ジャイアンツ
|
10月28日(月) |
移動日
|
10月29日(火) |
第3戦 |
読売ジャイアンツ |
10 - 2 |
西武ライオンズ |
西武ドーム
|
10月30日(水) |
第4戦 |
読売ジャイアンツ |
6 - 2 |
西武ライオンズ
|
優勝:読売ジャイアンツ(2年ぶり20回目)
|
|
---|
1930年代 | |
---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|