2007年ウクライナ最高議会選挙は、ウクライナの立法府であるウクライナ最高議会(ヴェルホーヴナ・ラーダ。一院制)を構成する議員を選出するため2007年9月30日に投票が行われた選挙である。
前年3月に行われた議会選挙では、ヤヌコーヴィチ元首相が率いる地域党とティモシェンコ前首相が率いる「ティモシェンコ・ブロック」が躍進した。与党連合を結成するための交渉は難航し、選挙から5ヶ月後の8月、ユーシェンコ大統領の支持母体である「我らのウクライナ」と地域党、ウクライナ社会党、ウクライナ共産党の4党による大連立政権が発足し、ヤヌコーヴィチが首相に任命された。しかし大統領と首相の権限を巡ってユーシェンコとヤヌコーヴィチの間で対立が生じ始め、10月には「我らのウクライナ」が連立政権からの離脱を表明し、同会派出身閣僚の多くが12月末までに解任される事態となった。しかも翌2007年3月の与党による野党議員の引き抜きをきっかけに、ユーシェンコ大統領とヤヌコーヴィチ首相間の対立は先鋭化し、政治的危機を迎えた。この事態を収拾するため両派は5月27日、議員任期満了前の解散総選挙を同年の9月30日に行うことで合意し、政治的危機はとりあえず終息できた。このような経緯を経て9月30日に最高議会選挙が行われた。
ここでは前回選挙で議席を獲得した政党及び選挙連合で今回も候補者を擁立した政党及び選挙連合を紹介する。
ウクライナ語:Партія регіонів。英語:Party of Regions
ウクライナ語:Блок Юлії Тимошенко。英語:Block of Yulia Tymoshenko
ウクライナ語:Блок "НАША УКРАЇНА – НАРОДНА САМООБОРОНА。英語:"Block “Our Ukraine – Peoples’ Self-Defense”
前回は選挙連合「我らのウクライナ」で選挙戦を戦い、得票13.95%で第3党となった。
ウクライナ語:Комуністична партія України。英語:Communist Party of Ukraine
ウクライナ語:Соціалістична партія України。英語:Socialist Party of Ukraine
ウクライナ語:Прогресивна соціалістична партія України。英語:Progressive Socialist Party of Ukraine
投票日:2007年9月30日
登録有権者 | 37,588,040 |
投票数 | 23,315,257 |
投票率 | 62.02% |
政党及び選挙連合 | 得票数 | 得票率 | 議席数 | 議席率 |
---|---|---|---|---|
地域党 | 8,013,895 | 34.37 | 175 | 38.04 |
ティモシェンコ・ブロック | 7,162,193 | 30.71 | 156 | 33.91 |
「我らのウクライナ・人民自衛」連合 | 3,301,282 | 14.15 | 72 | 15.65 |
ウクライナ共産党 | 1,257,291 | 5.39 | 27 | 5.87 |
リトヴィン連合 | 924,538 | 3.96 | 20 | 4.35 |
ウクライナ社会党 | 668,234 | 2.86 | 0 | 0.00 |
急進社会党 | 309,008 | 1.32 | 0 | 0.00 |
その他の政党及び選挙連合 | 661,928 | 2.78 | 0 | 0.00 |
全党派合計 | 22,298,369 | 450 | 100.00 | |
支持無し | 637,185 | |||
無効票 | 379,658 |
選挙の結果、ヤヌコーヴィチ首相が率いる与党地域党は第一党を維持したものの、連立与党の社会党が議席阻止線である有効投票3%を超えることが出来ず全議席を失い、与党連合は過半数を下回る結果となった。これに対しティモシェンコ元首相が率いる「ティモシェンコ・ブロック」は得票と議席を大幅に増やして躍進した。選挙後の11月28日、「ティモシェンコ・ブロック」と「我らのウクライナ・人民自衛」との間で与党連合(オレンジ連合)を結成。翌月18日にティモシェンコが首相に任命され、両政治勢力からなる新内閣が発足した。
2010年2月8日閲覧。
2010年2月10日閲覧
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