AKIRA | |
---|---|
プロフィール | |
リングネーム |
AKIRA 野上 彰 |
本名 | 野上 彰 |
ニックネーム |
リングのムササビ 山猫 |
身長 | 180cm |
体重 | 90kg |
誕生日 | 1966年3月13日(58歳) |
出身地 | 千葉県習志野市 |
所属 |
MAKAI 浅井企画 |
トレーナー |
山本小鉄 坂口征二 |
デビュー | 1984年10月12日 |
AKIRA(アキラ、1966年3月13日 – )は、日本の男性プロレスラー、俳優。本名:野上 彰(のがみ あきら)。プロレスラーとしてはMAKAIに所属、俳優としてはアキラノガミの名前で浅井企画に所属している。千葉県習志野市出身。血液型O型。
1984年、新日本プロレスに入門する。同期には、武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋、船木誠勝らがいた。福岡県立久留米体育館における武藤敬司戦でデビュー。船木誠勝と組み、タッグでU.W.F.の安生洋二・中野龍雄組と好試合を連発し、前座を沸かせる。その後欧州武者修行を経て、凱旋帰国と同時に第16代IWGPジュニアヘビー級王座を奪取。この頃、東京ドーム大会で、連獅子風のコスチュームで隈取を施しAKIRAとして試合を行ったこともある。その後、体重を上げてヘビー級に転向、飯塚高史と「J・J・JACKS」を結成した(さらにエル・サムライを加え、「新世代闘魂トリオ」の名を付けられた時期もある)。1996年にコンビを解消し、平成維震軍の一員となった。
1998年以降、試合(主に橋本の蹴り)の影響で網膜剥離を患う。レスラーとしてはセミリタイア状態となり、俳優業を開始(後述)。しかし、当時欠場中だった蝶野に誘われ、TEAM 2000に「ムービースター」の二つ名で参加。AKIRAと完全に改名し、オブジェを顔面に接着したような風変わりな覆面で試合に乱入、俳優経験を生かした高いアピール力と弾けたファイトぶりで、高い会場人気を得た。その後はジュニア戦線に主戦場を移し、金本浩二や稔(当時は田中稔)との対決は常に名勝負となった。
2004年には新日本プロレスから離脱、フリーとなって全日本プロレスにスポット参戦し、当時カズ・ハヤシが保有していた世界ジュニアヘビー級王座のタイトルに挑戦した。AKIRAが初めて全日マットに上がった際、二足の草鞋を履いているからといってどちらもおざなりにせずプロレスをしていた姿を見た渕正信は絶賛しきりであった。それ以後は週刊プロレスの当時のインタビューコーナー『蝶野王国』で司会の蝶野に対し「全日本で自分の居場所を見つけた」と発言、全日マットをメインに活躍した。
その後和泉元彌のプロレス進出にあたりトレーナーとなった。これを足がかりとしてハッスル・マニアでセッチー鬼瓦軍団の一人としてハッスルに初上陸、クリスマススペシャルでハッスルに正式参戦した。
2006年に近藤修司の保有する世界ジュニアタイトルに挑戦、敗退するもののその日のベストバウトとして高い評価を受けた。ビッグマウス・ラウドにも参戦している。また、知人の紹介でマッスル坂井、鶴見亜門と遭遇しマッスル名物のスローモーションを見て「俺ならもっと上手くできる」と発言し、「マッスル11」にも参戦した。
2007年8月26日に行われた新日本プロレスのC.T.U解散興行で3年ぶりに新日本に参戦。また蝶野正洋、長州力率いる新たなユニットの『レジェンド軍』のメンバーとして活動している。
2008年2月17日、フリーとなってから初タイトルとなるIWGPジュニアタッグ王座を奪取(獣神サンダー・ライガーとのタッグ)。2008年4月、内藤哲也、裕次郎組から防衛するも、現在はタイトルを落としている。
2010年5月29日に新宿FACEで行われたSMASH.3より、TAJIRIからの要請で「ワールド・トライアウト・マッチ」の査定官役を任されることになり、以降SMASHにレギュラー参戦。同年9月24日に同じ新宿FACEで行われたSMASH.8ではメインイベントに出場し、スターバックの保持するFCF王座に挑戦するも敗れた。
2010年12月にはフィンランドに遠征し、11日にヘルシンキで行われたFCFの大会「Talvisota V」にてスター・バックと再戦し、勝利する。
2011年6月、「初代SMASH王座決定トーナメント」1回戦で、J・J・JACKS時代のパートナーだった飯塚高史とまさかの再会を果たす。試合が決まった後、AKIRAは「俺の中に悪魔がいる」など、明らかに平常心ではない行動や発言が目立っていたが、試合当日は頭髪の右側半分のみ剃り上げ、顔には白(ベース)と、青(ライン)の「悪魔ペイント」を施した姿で登場し、見るものの度肝を抜いた。試合でも普段とは異なる狂乱ファイトで飯塚を圧倒するも、結局飯塚が「ヒールの名誉」と言える「反則負け」を選び(飯塚がレフェリーを暴行)、「試合に勝って勝負に負けた」かたちとなってしまった。
2012年4月5日、TAJIRI以下元SMASH所属全選手、レフェリー、練習生と行動をともにし、新団体「Wrestling New Classic」に参加した。現在はWNCのほか他団体にも出場中のいまだ健在の選手でもある。
2014年6月、音楽とプロレスと演劇を融合したイベント「魔界」スタート、7月1日よりTAJIRI、児玉裕輔、土肥孝司、黒潮"イケメン"二郎、藤原ライオンとともにWRESTLE-1に移籍[1]した。
10月10日、AKIRA30周年記念生前葬としてプロレスと演劇を組み合わせた「地獄から来たチャンピオン」を新宿FACEで開催した。
2015年11月、劇団「撃弾☆ボディプレス」を主宰することを発表。記者会見を行った[2]。
2016年6月30日、契約満了につきWRESTLE-1を退団。
2017年2月よりプロレス活動における所属をMAKAIとする[3][4]。
持ち前の柔軟で伸びのあるバネを活かした跳躍力と、美しいフォームから繰り出す飛び技がクローズアップされがちだが、一点集中攻撃や相手を光らせる術にも長けた試合巧者でもある。また、人一倍研究熱心で一つ、一つの技にこだわりを持っている。
プロレスの試合の影響で網膜剥離となって以降、当時の妻の勧めもあり役者を志す。1998年から役者として数多くの舞台、映画、ドラマに出演している。2000年に放送した特撮ドラマ、「仮面ライダークウガ」ではその屈強な体を生かし、サイ種怪人「ズ・ザイン・ダ」の人間体を演じた。
プロレスラー復帰後も芸能活動は続けており、プロレスラーのH(エイチ)・ファッションブランドのZUCCaとのコラボレートユニット「ZAH(ザッチ)」の結成、パラパライベントのプロデュースなど、多方面にわたり活躍している。
2006年度のNHK外国語講座スペイン語会話に生徒役の一人として出演していたが、面接試験が苦手だったことが響き5月25日付の放送で2人目(長谷川恵美に次ぐ)の追放者に決定してしまった。