アラド Ar 66
アラド Ar 66は1930年代のドイツで製造された単発・複座・複葉の基本練習機である。
1931年にアラド社の主任設計者 ヴァルター・レーテルによって設計が始められたが、途中で彼がバイエルン航空機製造に移籍した為に、ヴァルター・ブルーメに引き継がれた。よって本機がレーテルのアラド社での最後の設計となった。
最初の試作機 Ar 66aは1932年に初飛行した。
1933年に運用開始され、第二次世界大戦まで使用された。1942年末からドイツ空軍は東部戦線において活動する攪乱作戦部隊(後に夜間戦闘攻撃隊と改称)を設立することにし、Ar 66はGo 145と共に、ソ連軍への夜間嫌がらせ攻撃部隊の主要装備となった。
機体構造は、胴体と尾翼が鋼管溶接骨組みに羽布張り、主翼は木製骨組みに羽布張りだった。上下の主翼はともに、同じ幅で、8度の上反角で、エルロンがついていた。上翼のみ後退翼だった。
開放式のタンデムシートには複操縦装置と計器飛行装置を備えていた。機体にはオプションでカメラを装備することもできた。
2.5 mの固定ピッチ2翅プロペラと、固定式の主脚と尾そりを備えていた。