BEYOND | |
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出身地 | イギリス領香港 |
ジャンル |
ポップ・ロック C Rock J Rock ヘヴィメタル |
活動期間 |
1983年 - 1999年 2003年 - 2005年 |
レーベル |
ワーナー・ミュージック・グループ ロックレコード Cinepoly ファンハウス |
メンバー |
黄家駒(1983–1993) 黄貫中(1985–1999、2003–2005) 黄家強(1984–1999、2003–2005) 葉世栄(1983–1999、2003–2005) |
旧メンバー |
鄧煒謙(1983) 李栄潮(1983) 関宝璇(1983–1984) 陳時安(1983–1985) 劉志遠(1986–1988) |
BEYOND(ビヨンド)は、香港のロックバンド。現在は活動休止中。
1983年、黃家駒(リーダー、ボーカル、リズムギター)、鄧煒謙(リードギター)、李榮潮(ベース)、葉世榮(ドラムス)の4人により初代Beyondが結成される。
「Beyond」という名前は鄧煒謙により名付けられた。意味は「超越」。
同年、鄧煒謙(初代リードギター)が脱退し、關寶璇(2代目リードギター)が代わりに加入。
その後、關寶璇(2代目リードギター)が脱退し、陳時安(3代目リードギター)が代わりに加入。
この年はさらに李榮潮(初代ベース)が脱退する。
1984年、黃家強(2代ベース)が李榮潮に代わり加入。
1985年、陳時安(3代目リードギター)が脱退、代わりに黃貫中(4代目リードギター)が加入。
1986年、劉志遠(リードギター、コーラス、キーボード)が5人目のメンバーとして加入。
1986年~1988年の間は、黃家駒、黃貫中、黃家強、葉世榮、劉志遠の5人での活動を行っていたが、1988年に劉志遠が脱退。この後にもメンバーが何人か入れ替わり、現在の体制となった。
1988年に「大地」がヒットし、香港を代表するロックバンドとなる。
1991年に来日し、アミューズのマネジメントで日本へ進出を試みた。
1992年、BMGファンハウス(現在のソニー・ミュージックレーベルズ内のAriola Japanレーベル)から作品をリリースし、日本でのデビューを果たす。
彼等が歌う「THE WALL 〜長城〜」のイントロ部分が、『進め!電波少年』(日本テレビ系)のオープニングテーマ曲にも使われ、日本でも徐々に知名度が上がりつつあった。
日本のロックバンド爆風スランプとも親交があり、メンバーのサンプラザ中野は彼らに「リゾラバ〜international〜」の詞を提供している。爆風スランプがカバーした同曲は、1992年に発売された『アジポン』に収録されている。
1993年には「海闊天空」と「かなる夢に 〜Far away〜」(海闊天空の日本語歌詞)が、『驚きももの木20世紀』(テレビ朝日系・朝日放送制作)の初代・2代目エンディングテーマ曲に続けて起用された[1][2]。
1993年6月24日、バラエティ番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(フジテレビ系)の収録中にリーダーの黃家駒がセットから転落し6月30日に死亡したため、日本からの撤退を余儀なくされた[3]。同時にこの番組も打ち切られた。
1993年7月18日 カレッジタウン八王子、7月27日大阪 千里セルシー、8月23日 東京 日清パワーステーション、8月24日 大阪 Coke Step Hallでコンサートを行う予定だったが、リーダーの黄家駒が急逝したため行われなかった。
残されたメンバー3人はその後も香港を拠点に、台湾・中国大陸などでバンド活動を続けたが、1999年12月にバンドとしての活動を休止し各自ソロ活動に入る。2003年に結成20周年を記念したワールドツアーを行いバンドの活動を再開するが、2005年10月のシンガポールでのライブをもって再び活動休止に。
解散後、各メンバーがソロ活動を行っていたが、残されたメンバー3人のいずれかの2人がコンサートを開催し、Beyondの楽曲を演奏する。
2008年6月10日に開催されたコンサート《別了家駒十五載 海闊天空音樂會》には、残されたメンバー黃家強 、黃貫中、葉世榮の3人が再度全員集合。
2009年7月に開催された《黃家強 x 黃貫中 This is Rock & Roll Live In Hong Kong 2009》のコンサートで、黃家強 、黃貫中がソロ活動の楽曲のほか、Beyondの楽曲も半分ほど演奏する。
2016年6月10日に開催された《家駒……愛心延續慈善演唱會2016》のコンサートで、黃貫中、葉世榮、また旧メンバーの劉志遠も出演。
広東語アルバム