カテゴリー | F1 | ||||||||
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コンストラクター | ブリティッシュ・レーシング・モータース | ||||||||
デザイナー | レン・テリー | ||||||||
先代 | P126 | ||||||||
後継 | P138 | ||||||||
主要諸元[1] | |||||||||
シャシー | アルミニウム製モノコック | ||||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン | ||||||||
サスペンション(後) | コイルスプリング、ダンパー | ||||||||
トレッド |
前:1,575 mm (62.0 in) 後:1,575 mm (62.0 in) | ||||||||
ホイールベース | 2,375 mm (93.5 in) | ||||||||
エンジン | BRM P142 2,998 cc (182.9 cu in) V12 自然吸気, ミッドエンジン | ||||||||
トランスミッション | ヒューランド DG300 5速 マニュアル | ||||||||
重量 | 565 kg (1,246 lb) | ||||||||
燃料 | シェル | ||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | オーウェン・レーシング・オーガニゼーション | ||||||||
ドライバー |
ペドロ・ロドリゲス ジャッキー・オリバー | ||||||||
コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||
初戦 | 1968年スペイングランプリ | ||||||||
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BRM・P133 は、ブリティッシュ・レーシング・モータースが1968年および1969年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。レン・テリーが設計し、3.0リッターの自社製V12エンジンを搭載した。P133の最高成績は1968年ベルギーグランプリでの2位であった。1968年フランスグランプリではファステストラップも記録したが、いずれもペドロ・ロドリゲスが達成した[2]。
ロドリゲスは1968年シーズンに2戦を除く全てのレースでP133をドライブした。スペインでは予選2位、モナコでは予選9位となったが、いずれもクラッシュのためリタイアしている。ベルギーグランプリでは予選8位、決勝は2位に入った。オランダグランプリでは予選11位、決勝は3位でフィニッシュしている。フランスグランプリでは予選10位となり、決勝は非完走扱いとなった。イギリスグランプリでは予選13位、決勝はエンジンブローのためリタイアとなった。続くドイツグランプリでは予選14位、決勝は6位となっている。第9戦イタリアグランプリでP133は使用されず、カナダグランプリで再びP133が使用され予選12位、決勝は3位に入った。アメリカグランプリでは予選11位となり決勝はサスペンショントラブルのためリタイアとなった。最終戦のメキシコグランプリでは予選12位、決勝4位となった。
1968年シーズンが終了するとBRMのチームマネージャーであるルイス・スタンレーはロドリゲスを好成績を残したにもかかわらず、BRMを使用するプライベーターのレグ・パーネル・レーシングに放出した。チームは1969年シーズン、ロドリゲスに代えてジャッキー・オリバーを起用した。開幕戦の南アフリカグランプリでオリバーは予選14位、決勝7位となった。スペイングランプリでは予選10位、決勝はオイルパイプの破損でリタイアした。モナコグランプリでは予選13位、決勝はリチャード・アトウッドのロータスに追突してリタイアした。オランダグランプリでは予選13位、決勝はギアボックストラブルでリタイアとなった。チームはフランスグランプリを欠場し、続くイギリスグランプリでオリバーは予選13位、決勝はトランスミッションのトラブルでリタイアとなった。オリバーはこの後P138、P139を使用した。
P133はレン・テリーが設計し、トランスアトランティック・オートモーティヴ・コンサルタンツ(テリーのワークショップ)で製作されたBRM・P126のワークスバージョンであった。
(key)(太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
年 | チーム | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | ポイント | 順位 |
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1968年 | オーウェン・レーシング・オーガニゼーション | BRM V12 | G | RSA |
ESP |
MON |
BEL |
NED |
FRA |
GBR |
GER |
ITA |
CAN |
USA |
MEX |
28† | 5位† | |
ペドロ・ロドリゲス | Ret | Ret | 2 | 3 | NC | Ret | 6 | 3 | Ret | 4 | ||||||||
1969年 | オーウェン・レーシング・オーガニゼーション | BRM V12 | G | RSA |
ESP |
MON |
NED |
FRA |
GBR |
GER |
ITA |
CAN |
USA |
MEX |
7‡ | 5位‡ | ||
ジャッキー・オリバー | 7 | Ret | Ret | Ret | Ret | |||||||||||||
Source:[3]
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‡ ポイントはP138とP139が獲得した。
† ポイントはP126が獲得した。