EF-111 レイヴン
EF-111Aは、アメリカ空軍が運用していた電子戦機である。愛称は「レイヴン」(Raven:ワタリガラスの意)。非公式な愛称として「スパークバーク」(Spark Vark)や「エレクトリック・フォックス」(Electric Fox)がある。F-111A アードバーク戦闘爆撃機の改造型であり、1977年3月10日に初飛行した。
1960年代-1970年代にかけて、アメリカ空軍はEB-66 デストロイヤーを電子戦機として運用しており、ベトナム戦争において電子妨害を行っていた。EB-66の性能が陳腐化し、1972年にアメリカ海軍がEA-6B プラウラーをベトナムに投入すると、空軍も新型電子戦機の開発を検討するようになった。当初はEA-6Bの採用も考えられたが能力的に不十分であるとされ、十分な機内容量と航続性能および速度を有するF-111A アードバークをもとに電子戦機を開発することとされた。
EF-111Aの製造にはジェネラル・ダイナミクスとグラマンが名乗りを上げ、検討の結果、1974年12月にグラマン案が採用され、1975年1月に契約が結ばれた。42機が1985年までにEF-111Aに改修され、総改修費用は約150億USドルであった。
EF-111Aに搭載する電子妨害装置はEA-6Bに搭載されていたものの改良型であるAN/ALQ-99Eを使用することとされたため、電子戦機材に関する開発期間は短く、機体形状の変化による空力特性の研究に時間が費やされた。空気抵抗を抑えるため、電子機器やアンテナ類は爆弾槽や胴体下部、垂直尾翼先端に収納しており、EA-6Bのような主翼下の外部ポッドは使用していない。そのため、F-111Aとの外見上の相違は、腹部のカヌー型レドーム(4.8m長)と垂直尾翼先端のポッド程度である。また、電子機材の増加に伴い、発電能力も増強されている。電子機器や機体改修に伴う重量増加は4t近くにもおよんでいる。
乗員はF-111Aと同じ2名で、兵装システム士官(Weapon System Officer, WSO)の代わりに電子システムを扱う電子戦士官(Electric Warfare Officer, EWO)が搭乗する。コックピットのWSO席がEWO席に改装されたことに伴い、複操縦装置も撤去されている。AN/ALQ-99EはEA-6Bと基本的な能力は変わらないが、乗員は半分の2名であり、しかも、電子戦に専従するのは1名である。高度な自動化が図られているとはいえ、この相違は、電子戦を全面的にオールインワンで担わなければならない海軍機と、そうせずともよい空軍機との相違による。自衛用電子装備としてAN/ALQ-137やAN/ALR-62が装備された。また、同じ電子戦機とはいえ、EA-6Bとは違い、AGM-88 HARMなどの対レーダーミサイルは運用できず、自衛火器も有さない。EF-111Aは、改修による飛行性能の低下は少なく、優秀な高速性能を保持していたため、運用形態として遠距離からの電子妨害(スタンドオフ・ジャミング)のほか、攻撃部隊とともに目標に接近しての電子妨害(エスコート・ジャミング)も行えることが考慮されていた。
1981年、第390電子戦闘飛行隊(390ECS)に配備が開始された。EB-66 デストロイヤー退役後は空軍唯一の電子戦機となり、初の実戦は1986年のリビア爆撃(エルドラド・キャニオン作戦)である。その後も1989年のパナマ侵攻や1991年の湾岸戦争などで活躍した。1995年のボスニア・ヘルツェゴビナ空爆(デリバリット・フォース作戦)が最後の参戦となった。損失は、湾岸戦争中の1機のみ。なお、湾岸戦争中に火器を一切装備していないにもかかわらず、イラク空軍のミラージュF1を1機撃墜している。これは、ミラージュF1に追尾されたEF-111Aが、地形追随モードによる超低空飛行で回避しようとした結果、ミラージュF1を地面に激突させたもので、「マニューバーキル」として公式に撃墜と認定されている。
1990年代にはGPS搭載を含む近代化改修が行われたものの、維持費がかさむため順次退役し、アリゾナ州のデビスモンサン空軍基地にあるAMARGでモスボールされるなどした。1998年には全ての機体の運用を終了した。アメリカ空軍はEF-111Aの後継機を開発していなかったため、現在、空軍には専用の電子戦機は存在しておらず、電子戦は海軍のEA-18 グラウラーに頼っている。なお、2008年時点では国立アメリカ空軍博物館をはじめとして4機が展示保存されている。