FKコペトダグ・アシガバート FK Köpetdag | |||
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原語表記 | Köpetdag Futbol Kluby | ||
創設 | 1947年 | ||
所属リーグ | トルクメニスタン・リーグ | ||
ホームスタジアム | コペトダグ・スタジアム | ||
収容人数 | 26,000 | ||
Tofik Şükürow | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
フットボールクラブ・コペトダグ・アシガバート (トルクメン語: Köpetdag Futbol Kluby ) [1] は、トルクメニスタン・アシガバートに本拠を置くサッカークラブ。トルクメニスタン・リーグ所属。ホームスタジアムは、26,000人収容のコペトダグ・スタジアム。 チームカラーは青と白。トルクメニスタン・リーグ及びトルクメニスタン・カップで優勝各6回を誇る古豪である。
クラブは44年間(1947–54、1956–91)にわたりソビエト連邦サッカーリーグに参戦。参加時期により、ロコモティフ(1947–49)、スパルタク(1950–54)、コルホッチ(1956–59、1976–87)、ストイテル(1962–75)、コペトダグ(1960、1961、1988–91)の名前で出場した。
ソビエト時代、1980年代にヴァレリー・ニポムニシがコーチの一人として参加していたことがある。
ソビエト連邦の崩壊後、チームは独立国家共同体 (CIS) のオープンチャンピオンシップに参加することを計画したが、多くの違いのためにチャンピオンシップは行われなかった。最初の数年間は、トルクメニスタン代表チームのベースとなるクラブであった。
2008年に彼らは金融危機のために解散し、数年後に戻ってきた。
2015年、トルクメニスタン内務省の指導の下、FKコペトダグが再建された[2]。クラブは2部に相当するトルクメニスタン・ファーストリーグと、トルクメニスタン・カップに出場。この年の昇格プレーオフに勝利し、2016年シーズンに昇格を果たした[3]。
シーズン | リーグ戦 | カップ戦 | チーム得点王 | 監督 | |||||||||
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Div. | 順位 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | 点 | 名前 | リーグ | |||
2015年 | 2部 | 優勝 | 28 | ラウンド16 | ユスポビッチ・セイドフ | ||||||||
2016年 | 1部 | 7位 | 36 | 11 | 6 | 18 | 37 | 63 | 39 |
年度 | 大会 | ラウンド | 対戦相手 | スコア |
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1994–95 | アジアクラブ選手権 | 予選ラウンド | アンサット・パヴロダル | 2–0 w |
予選ラウンド | シトラ・ドゥシャンベ | 7–1 w | ||
予選ラウンド | アルガ・ビシュケク | 1–0 w | ||
予選ラウンド | ネフチ・フェルガナ | 1–2 l | ||
1995–96 | アジアクラブ選手権 | 1回戦 | FCカント・オイル | (6–0 w, 0–2 l) |
2回戦 | アル・アンサール | (1–1, 0–5 w) | ||
準々決勝 | サイパ | 1–0 l | ||
準々決勝 | アル・アラビ | 2–2 | ||
準々決勝 | アル・ナスル | 1–0 l | ||
1996–97 | アジアクラブ選手権 | 1回戦 | ペルセポリス | (0–0, 0–1 l) |
1997–98 | アジアカップウィナーズカップ | 1回戦 | ネフチ・フェルガナ | (4–0 w, 2–3 l) |
2回戦 | カイラト | (3–1 l, 0–2 w) | ||
準々決勝 | アル・ショルタ | (4–0 w, 1–1) | ||
準決勝 | アル・ナスル | 2–1 l | ||
Third place | 北京国安 | 4–1 l | ||
1998–99 | アジアクラブ選手権 | 1回戦 | イルティシュ・パヴロダル | (4–1 w, 0–3 l) |
2回戦 | ヴァフシュ・クルガン・テッパ | (0–1 w, 0–5 w) | ||
準々決勝 | アル・アインn | 6–1 l | ||
準々決勝 | アル・ヒラル | 4–2 l | ||
準々決勝 | エステグラル | 1–0 w | ||
2001–02 | アジアクラブ選手権 | 1回戦 | ナサフ・カルシ | (0–1 l, 0–3 l) |
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