He 119 は、ドイツのハインケル社で第二次世界大戦の直前に試作された偵察爆撃機である。8機が製造され、1937年に初飛行した。
胴体中央部にエンジン2基を並列に搭載し、延長軸で機首のプロペラを回す高速偵察爆撃機として開発された。しかし、エンジンの冷却不足や機体構造の扱い辛さからドイツ空軍では採用されなかった。
1937年11月ドイツ宣伝省はHe 111 U爆撃機が1tのペイロードを積んで1,000kmの周回コース上で平均速度503.6km/hの速度記録を樹立した。と発表した。FAIが「機体は双発のHe 111」で、記録値も確認済みとしたことからも証明された。これがHe119V4であった。[1]。
翼面蒸気冷却を採用し空気抵抗の低減をはかったが、離陸や上昇中は引き込み式ラジエーターを付けなければ冷却は十分でなかった。[1]
試作機のうちV-7とV-8は日本に売却され、1941年(昭和16年)5月に日本に到着し日本海軍による試験を受けたが、2機とも試験中の事故で破損したため、試験は中止された。また、He 119は高速陸上偵察機「景雲」開発の参考資料ともなった。