前作『Tierra』では約半年の時間をかけてアルバムレコーディングを行っていたが、今回はプリプロダクションの時間を長めに取り、レコーディング期間の短縮化を目指したという[3]。こういった考えに至った背景には、前作の制作が長期化したことにより、アルバム発売やライヴ開催を告知するプロモーションがほとんど行えず、1994年7月から開催したライヴツアー「Tour Sense of time '94」の一部公演でチケットがソールドアウトしない事態が発生したことがひとつある。本作のレコーディングを振り返り、tetsuyaは「前回の『Tierra』の反省点として、レコーディングにすごく費やして、半年ぐらいかけてしまったんですよ。それで思うようにプロモーションできなかったりしたんで、そういう反省があって、昨年の暮ぐらいから、思うように活動できるための基盤作りをしてきた。それで、今回はレコーディングに入る前に、ある程度のプランをメンバーのほうから出して、そのとおりにやろうと[3]」と本作発売当時のインタビューで語っている。
『heavenly』の録音作業は、1994年の年末からアルバム制作の準備が開始され、1995年3月から合宿レコーディングというかたちで本格的に実施されている[5][2]。このレコーディングは1995年5月から開催したライヴツアー「in CLUB '95」の直前に終了している[2]。ちなみにこのツアーでは、本作の収録された「ガラス玉」「The Rain Leaves a Scar」などが先行披露されている。
ジャケットのアートワークは、広井清(Maverick Design)が手掛けている。また、ジャケットの表面に写っている女性は、ビアンカというモデルである。彼女は本作のジャケットの他に、後述のオルゴールCD付属する写真集や、シングル「Vivid Colors」「夏の憂鬱 [time to say good-bye]」のジャケットにも起用されており、ミュージック・ビデオにも出演している。また、2000年に発表した楽曲「NEO UNIVERSE」のミュージック・ビデオにも出演していることから、彼女は何かとL'Arc〜en〜Cielに縁がある人物となっている。
まず、L'Arc〜en〜Cielは1995年1月24日から同年2月4日にかけて、ライヴツアー「Ciel/winter '95」を開催している[17]。このツアーは、1995年2月1日に公式ファンクラブ「Ciel」(現:LE-CIEL)を発足するにあたっての記念公演となっている[17]。また、このツアーでは、メンバーの意向を踏まえ、照明に力を入れたライヴ演出が取り入れられている[5]。このツアーに取り入れた演出について、hydeは「ステージに金かけるか、照明に金かけるかっていったら照明の方に金かけたいっていう。それと初めて羽根を降らせたのもこの時[5]」と述懐している。また、sakuraは「音の面でもかなりこだわって。サラウンドにしたり[5]」と振り返っている。さらに、ファンクラブに加入する予定のファンを集めた企画性のあるツアーということもあってか、これまでのL'Arc〜en〜Cielの堅いイメージを覆すような振る舞いが目立つツアーとなった。sakuraはこのツアーについて「今見たら大したことないんだけど、すごい殻を破るっていうか"そこまでやる?"みたいな感じだった[5]」と1996年に受けたインタビューで述べている。また、hydeは同インタビューで、このツアーを「最近のどんちゃん騒ぎの前兆[5]」と表現している。ちなみにこのツアーの一部公演で、「Vivid Colors」の原型[5][18][13]と「ガラス玉」の原型[18][13]が演奏されている。なお、同年1月25日に行った同ツアーの難波ロケッツ公演は、シークレットライヴとして開催されている[17]。この難波ロケッツ公演のセットリストには、元メンバーであるhiroが作曲した「I'm in Pain」と「No Truth」の2曲が久々に組み込まれている[5]。
このツアーの後、L'Arc〜en〜Cielは本作の制作のため、合宿レコーディング期間に入ることとなった。そして録音作業を終えた後、1995年5月21日から同年6月27日にかけてライヴツアー「in CLUB '95」を開催している[17]。このライヴツアーのセットリストには、公演初日にリリースした「and She Said」に加え[2]、1995年7月に発表するシングル「Vivid Colors」の収録曲、本作に収録されることになった「ガラス玉」や「The Rain Leaves a Scar」が組み込まれた。ただ、セットリストの大半は、メンバーの意向により、前作『Tierra』の収録曲が占めている[18][13]。このツアーを開始した時点で本作のレコーディングは終わっていたにもかかわらず[18][13]、『Tierra』の収録曲を多くセットリストに入れた背景について[18][13]、kenは1995年に受けた音楽雑誌のインタビューで「今回は『Tierra』の曲をもっとライヴでやりたかったというのがあって。『Tierra』のツアーっていうのは一回しかやってなかったから。ツアーで曲が成長するっていうのがあるじゃないですか。ライヴでやるときの曲としてね。だから、もう一回ツアーすることで『Tierra』の曲をもっと成長させたかった。で、『Tierra』の曲は出来る限りやって、プラスαということで次のアルバム『heavenly』から新曲を少し(入れた)[18][13]」と述べている。ちなみにこのツアーでは、tetsuyaとラジオ番組を通じて親交があった城島茂が在籍する、TOKIOのデビューソング「LOVE YOU ONLY」をカバーするコーナーが設けられている[19]。このコーナーでは、L'Arc〜en〜Cielのメンバーがパートチェンジし、カバー企画バンド、KIOTO(読み:キオト)として登場している[19]。なお、KIOTOでは、tetsuya(当時のアーティスト名義は"tetsu")がボーカル、hydeがギター、sakuraがベース、kenがドラムを担当している。また、L'Arc〜en〜Cielはこのツアーを終えた後、1995年7月22日に渋谷公会堂で行われたライヴイベント「SHOCK AGE SPECIAL '95」、同年8月20日に秩父ミューズパークで行われたライヴイベント「彩の国秩父ミューズコンサート'95 NACK5 GO-ROCK」へ出演している[17]。
そして、L'Arc〜en〜Cielは本作発売の後、アルバムを引っ提げ、1995年9月8日から同年12月27日にかけて「TOUR heavenly '95」を開催している。また、1995年10月21日には名古屋ダイヤモンドホールで開催された、中京テレビ公開録音ライヴイベント「Kiss Miss Live」に出演している[20]。
上記ツアーを終えた後も、L'Arc〜en〜Cielは連続的にライヴツアーを敢行している。1995年12月12日から同年12月25日にかけて、再びアルバムタイトルを冠したライヴツアー「The other side of heavenly '95」を東名阪で開催[20]。このツアーの大阪公演・愛知公演では、L'Arc〜en〜Cielのメンバーがリスペクトしているロックバンド、DEAD ENDのカバーが披露されている。そして最終日の東京公演では、「KIOTO復活」と題し、再び「LOVE YOU ONLY」のカバーが披露されている。なお、このツアーで「LOVE YOU ONLY」をカバーしている模様は、1996年3月に発表されたライヴビデオ『heavenly 〜films〜』に収録されている。そして1995年12月27日には、「TOUR heavenly '95」の最終公演として、日本武道館で「TOUR heavenly '95 final」を開催している。このライヴは、L'Arc〜en〜Cielとして初の日本武道館公演となっており、チケットが僅か28分でソールドアウトしている[20]。ちなみにこの公演の模様の一部は、1996年にWOWOWで『L'Arc〜en〜Ciel SPECIAL LIVE & DOCUMENT』という番組名で放映されている。
なお、上記の1996年4月から行ったツアーに組み込まれた、同年5月26日の東京ベイNKホール公演に限り、「Kiss me deadly heavenly '96 REVENGE」というライヴタイトルで開催されている[20]。これは、1994年8月27日に同所で行ったライヴで、チケットが売れ残ったことを踏まえたうえでのリベンジ公演となっている(1994年の当該公演の解説は『Tierra#ライヴツアー』を参照)。そしてこの公演で、約1年9ヶ月越しにチケット即完を達成し、無事リベンジを果たすこととなった。ちなみにこの公演の模様の一部は、1996年にSPACE SHOWER TVで『L'Arc〜en〜Ciel LIVE kiss me heavenly '96 FINAL kiss me deadly '96 REVENGE』という番組名で放映されている。
フィジカルは、現在までにCD、MDの2種類が発表されている。CDは通常盤の1形態で発売されており、初回限定仕様は、スーパーピクチャーレーベルとなっている。また、1995年12月には、音楽専科社より本作に収録された楽曲を収めたオルゴールCDボックス『"heavenly"music box version CD』が事前予約者限定で通信販売されている。このオルゴールCDボックスは、1995年12月24日に申込者へ届くように手配され、先着3,000名に限り、シリアルナンバーが付いた円盤が送付されている。なお、ボックスにはオルゴールCDに加え、超大型サイズの豪華写真集 (オールカラー120ページ)とシリアルナンバーカードなどが同梱されている。
音楽ライターの川口瑞夫は『別冊宝島』にて、本作について「曲調はバラエティに富んでいた。オールディーズ風のシャッフル曲もあれば、大作志向のボーカル曲もあり、堀江淳もどきもあるといったぐあいだ[25]」と批評している。また、川口は「本作の中で驚いた楽曲」として"夏の憂鬱"をあげている[25]。川口は、1995年10月に発表されたこの曲のリアレンジバージョンである"夏の憂鬱 [time to say good-bye]"を初めに聴いていたこともあり[25]、「ビートルズやYMOのような大物アーティストの場合、長い年月を経た後に、完成前のテイクがレアトラックとして公表されることがあるが、アルバム発売後に改作版をシングル化したという話は、聞いたことがない[25]」とコメントしている。さらに川口は「念のために書いておくと、アルバム版"夏の憂鬱"は必ずしも未完成品というわけではない。アルバム版のフォークロック風のアレンジに、シングル版にあった仰々しい大サビは不釣り合いだろう[25]」と批評している。ちなみに川口は、"夏の憂鬱 [time to say good-bye]"を聴いたときに堀江淳の楽曲「メモリーグラス」を連想したという[26]。"夏の憂鬱 [time to say good-bye]"の印象について、川口は「歌謡曲的な湿っぽいメロディラインを持った曲[26]」「この曲のポップ感覚は、J-POPにおける王道のポップ感覚の外側にある。つまり、BOØWY~レベッカ~ビーイング系によって確立されたポップ感覚以前のそれだ。レトロ的と呼んでもニューミュージック的と呼んでも構わないが、ぼくはそこに他のバンドにはないユニークさを感じた[26]」と評価している。 - 宝島社『別冊宝島539 音楽誌が書かないJポップ批評9』(2000年11月)
音楽ライターの今若雄紀は『ROCKIN'ON JAPAN』のレビューにて、本作について「魔性の魅力を放った前2作から、タフで壮大な物語を描く『True』以降の世界へと橋を架けた重要な作品[27]」「この作品で彼らはその音楽性を押し広げ、続く壮大な世界の扉を開く足場を踏み固めた[27]」と表現・分析している。また、今若はこれまでの作品と比較し、「ヴォーカルもギターも伸びやかに流麗なメロディを歌い、それまで放っていた妖艶さは影を潜め、美しく繊細なサウンドを描く[27]」「hydeが時折見せていた暗く歪んで狂気と痛みのある世界観は薄れて優しさに裏打ちされた切なさが増し、kenは"Vivid Colors"の爽快にポップなギターソロを生み、tetsuはポップすぎるほど明るく弾けた変化作"C'est La Vie"を書いた[27]」と評している。 - ロッキング・オン『ROCKIN'ON JAPAN』(2004年7月号)
CDジャーナルは、本作について「<死と隣り合せの心地よさ>を意識してさらに自分たちの音楽世界を拡げようとする、意欲的な作品に仕上がっている[28]」と評している。また、「根本にある唄とメロディに、どこかニューミュージック的なポピュラリティが感じられるのが人気の秘密か[28]」と本作を分析している。収録曲では"ガラス玉"に触れ、「安らかに降り注ぐ光を追い求める、死と隣り合わせの世界観を見事に表現している。荒れ狂う激情を音に昇華させたギター・ソロが聴きどころ[28]」とコメントを寄せている。 - CD Journal『L'Arc〜en〜Ciel / heavenly』
この曲のギターアプローチについて、kenは「曲を作ってる時点で、ディレイ奏法にこだわろうと思って作っていましたね。後半は、いきなりディストーション・オンっていう感じで、そこからはマーシャルを使っています[31]」と語っている。また、sakuraはこの曲のドラム録りで、アルミ製シェルのキャノン・タムを叩いている他[32]、スポークスと呼ばれる金属音のような響きを持つパーカッションをアクセントとして使用している[32]。なお、sakuraは、この曲と「Vivid Colors」「and She Said」「Cureless」「The Rain Leaves a Scar」の5曲で24インチのバスドラムを使用している[12][32]。
ちなみに、タイトルにシングル版とのバージョン違いを示す表記はされていないが、アルバムミックスで収録されている。本作に収録されたバージョンとの違いについて、kenは「シングルのほうがキーボードの割合が大きいのと、歌もデカい。ミックスが違うんです[13]」と語っている。また、tetsuyaも「シングルのヴァージョンとはミックスが違ってるぐらい[31]」と述べている。ちなみにブックレットや公式サイトにバージョン違いを示す表記はないが、Sony Music Shopのアルバムの収録曲を記載したページには「アルバムヴァージョン」の表記がある。
歌詞は、曲のイメージと同様に、サイケ期の頃のビートルズを意識したリリックがのせられている。ちなみにhydeは、歌詞を書くにあたり、ビートルズの詩の全集を読んだという[30]。この曲の歌詞について、hydeは「根本にはビートルズのイメージがあったので、ビートルズの詩の全集を読んでみたんです。それで自分なりに多少勉強して、後は忘れて自由に書いたんです。だから"セロファン"という言葉とかは"真似してるんだよ"っていう感じで、敢えて使いました[30]」と述べている。余談だが、ビートルズの楽曲では、1967年に発表された「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」で"セロファン"というワードが<Cellophane flowers of yellow and green>というフレーズで使われている。ちなみにhydeは、2003年にソロ名義でこのビートルズの曲をカバーしており、シングル「HORIZON」のカップリングにその音源が収録されている。
この曲の原型は、1995年1月24日から同年2月4日にかけて開催したファンクラブ発足記念ライヴツアー「Ciel/winter '95」の一部公演で先行披露されていたが[18][13]、このときは現在のタイトルではなく[18][13]、「Into the silence」と呼ばれていた。そして本作のレコーディングを終えた後、1995年5月21日から同年6月27日にかけて開催したライヴツアー「in CLUB '95」において、現在のタイトルで披露されている。なお、この曲のサビ部分は、作曲者のkenが以前からあたためていたものだという[37]。ちなみにken曰く、この曲の原型はメタリカの楽曲「ワン」のイントロの雰囲気からインスピレーションを得て作られたという[40]。
また、kenは本作発売当時のインタビューにおいて、この曲のギター録りを振り返り「今までのすべての曲の中でも、ライヴで弾いている感覚にいちばん近い感じで弾けたと思います[37]」と述懐している。なお、この曲のギターソロ部分は、1994年に発表したイメージビデオ『Siesta 〜Film of Dreams〜』の撮影で訪れたモロッコでイメージが生まれたという[37]。ちなみに、このギターソロパートのレコーディングにおいてkenは、靴の高さが気になるという理由から、靴を脱いでギターを弾いたという[41]。
タイトルはフランス語で「人生なんてこんなものさ」という意味で、読み方は「セ ラ ヴィ」となっている。このタイトルはサビ部分の歌詞で何度も登場するが、hydeはこのフレーズについて「<Oui C'est La Vie>は"もう、どうなったっていいや"っていう感じの言葉なんだけど、これはできるだけ前向きにしたつもり[42]」と述べている。
歌詞も、この曲のモチーフとなった山口百恵の楽曲「いい日旅立ち」の雰囲気を意識して書かれている。この曲の歌詞のイメージについて、作詞者のhydeは「この曲で見えているのは、午後3時くらいの風の強い、誰もいない、日本じゃないかもしれない砂浜[43]」と述べている。また、hyde曰く、作詞作業の際にkenから「「いい日旅立ち」みたいに、タイトルが何回も出てくるような感じにしたい[30]」とリクエストがあったという。ちなみにhydeは「本作の中で思い入れの深い歌詞」としてこの曲をあげている。本作発売当時のインタビューで、hydeは「詞に関しては、今回結構思い入れが深いんですよね、全部。でも…「夏の憂鬱」かな。それに「ガラス玉」や「C'est La Vie」は、詞も曲も気に入っています[15]」と述べている。
なお、本作発売から約1ヶ月後にリリースされたシングルの表題曲には、この曲のリアレンジバージョンとなる「夏の憂鬱 [time to say good-bye]」が収録されている。このリアレンジバージョンの制作では、新たに共同プロデューサー兼アレンジャーとして西平彰を迎え、アルバムに収録された原曲から大幅なリアレンジが行われている。そしてリアレンジした結果、煌びやかなニューミュージックテイストの楽曲に変貌している。まず、原曲から楽曲構成が大幅に変更されており、イントロを歌メロから始まるかたちに変えたうえ、Cメロの構成を長尺にしメロディを追加している。また、kenが原曲で弾いたワウを使ったギターのカッティングをカットしている[44]。そして楽曲の構成を変更したことを受け、歌詞のフレーズが追加されている。原曲からリリックを変更・追加した経緯について、hydeは「楽曲をトータルで聴いた時に、自然と出てきたフレーズをそのままのせた。というか、詞はアルバムで出しきったつもりだったから、"これ以上、何を言うのかなぁ?"っていう感じだったんですけど、聴いたら自然と出てきたんですよね[45]」とシングル発売当時のインタビューで語っている。
さらに、2007年にはパートチェンジバンド、P'UNK〜EN〜CIELとして、hydeのディレクションのもとリアレンジしたうえで、この曲をセルフカバーしている。このセルフカバーは、32ndシングル「DAYBREAK'S BELL」に「夏の憂鬱 [SEA IN BLOOD 2007]」として収録されている。セルフカバーのアレンジ作業では、アレンジを担当したhydeの「俺の青春の、80年代スラッシュメタルのオイシイとこをグッと寄せ集めたい[46]」という思いから、パンクというよりはメタルのアレンジが施されている。具体的には、スラッシュメタルバンド、スレイヤーをイメージしたアレンジが施されており[46]、原曲の雰囲気をほとんど留めていないセルフカバーとなっている。
ちなみにこの曲は、2024年に開催したライヴツアー「ARENA TOUR 2024 UNDERGROUND」において、ライヴツアー「Kiss me deadly heavenly '96」以来約28年ぶりに演奏されている。
静かの海で
作詞: hyde / 作曲・編曲: L'Arc〜en〜Ciel
サンプリングした通信音声や多種多様なパーカッションが導入されている他、サウンドエフェクト的なギターアプローチが展開していく壮大な楽曲。本作に収録された楽曲で唯一、演奏時間が7分を超えており、アルバムの終盤を彩る大作になっている。なお、この曲の作曲クレジットは、L'Arc〜en〜Ciel名義となっている。作曲者がL'Arc〜en〜Ciel名義となっている楽曲は、アルバム『DUNE』に収録された「Shutting from the sky」「追憶の情景」以来3曲目となり、1994年のメジャーデビュー以降、作曲者にこの名義が付いたのはこの曲が最初で最後となる。
また、この曲は1995年に本作を引っ提げて開催したライヴツアー「TOUR heavenly '95」において、アンコールのラスト曲として披露された。さらにこの曲は、2018年に開催したライヴ「L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2018 L'ArChristmas」で、コンサートツアー「CONCERT TOUR '96〜'97 Carnival of True」の日本武道館公演以来約22年ぶりに披露されている。同公演では、歌詞のモチーフとなった宇宙や地球がスクリーンに映し出される演出が盛り込まれている[48]。
The Rain Leaves a Scar
作詞: hyde / 作曲: ken / 編曲: L'Arc〜en〜Ciel
アルバムを締め括る疾走感のあるハードなナンバー。この曲は、1995年5月21日から同年6月27日にかけて開催したライヴツアー「in CLUB '95」で先行披露されている。作曲者であるken曰く、この曲のデモ音源は初めてキーボードだけで作ったという[9]。また、kenが抱いていたこの曲の最初のイメージは、ストリングスの入ったバラードソングだったという[49]。ただ、バンドでセッションするにあたり、kenは「もっと勢いがあったほうがいい」と考え、現在のようなバンドサウンド中心のアレンジに変更したという[49]。制作当初の楽曲イメージについて、kenは「最初、バラードを意識していたのに、ハードな曲になっていった。最初にイメージしていたのは、テンポもなくて、ピアノとストリングスの世界だったんですよ[47]」と述懐している。