IND8番街線 IND Eighth Avenue Line | |||
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基本情報 | |||
路線網 | ニューヨーク市地下鉄Bディビジョン | ||
起点 | インウッド-207丁目駅 | ||
終点 | ハイ・ストリート駅 | ||
駅数 | 30駅 | ||
1日利用者数 | 1,007,933人[1] | ||
開業 | 1932年-1933年 | ||
所有者 | ニューヨーク市 | ||
運営者 | ニューヨークシティ・トランジット・オーソリティ | ||
路線諸元 | |||
路線距離 | 23km (14マイル)[2] | ||
軌間 | 1,435 mm (標準軌)・(4フィート8インチ1/2) | ||
線路数 | 複線・複々線 | ||
電化方式 | 直流600V・第三軌条方式 | ||
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IND8番街線 (IND8ばんがいせん、英語: IND Eighth Avenue Line) は、ニューヨーク市地下鉄を構成している地下鉄路線の一つである。大型車を使用するBディビジョンに属する。
1932年に市営の独立地下鉄網 (IND) の最初の路線として開業し、ニューヨーク市民には "Eighth Avenue Subway"(8番街地下鉄)として親しまれている[3][4]。路線の北端はインウッドにあるインウッド-207丁目駅、南端はブルックリン・ハイツにあるハイ・ストリート駅南側までで、大部分がセント・ニコラス・アベニュー、セントラルパーク・ウェスト、8番街の下を通っている。総延長約23キロメートルのうち168丁目駅 - キャナル・ストリート駅間が複々線で、207丁目車両基地への入出庫線を除く全区間が地下線となっている。またコンコース線、6番街線、クイーンズ・ブールバード線との分岐点は交差支障が起きないように立体交差化されている。
現在8番街線にはA、B、C、D、Eの5系統が運転されており、このうち8番街線を基幹路線とするA、C、E系統にはビビッド・ブルー、6番街線を基幹路線とするB、D系統にはブライト・オレンジのラインカラーが定められている。
運転時間 | 運行区間 | |||
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ラッシュ時, 日中, 夜間 |
週末 | 深夜 | ||
急行 | 各駅停車 | 全区間 | ||
各駅停車 | 運行なし | 145丁目駅 - 59丁目駅間 | ||
各駅停車 | 運行なし | 168丁目駅以南 | ||
急行 | 145丁目駅 - 59丁目駅間 | |||
各駅停車 | 50丁目駅 - ワールド・トレード・センター駅間 |
A系統は全線にわたって運行され、168丁目駅以南で急行運転を実施している。C系統は168丁目駅以南で運行される各駅停車で、ともにハイ・ストリート駅からフルトン・ストリート線に直通する。また、深夜にはC系統が運休となる代わりに、A系統が急行運転を中止して各駅に停車する。
B、D系統は145丁目駅 - 59丁目駅間で運行され、145丁目からコンコース線へ、59丁目から6番街線へ乗り入れてゆく。B系統は各駅停車、D系統は急行だが、D系統が終日運転されるのに対しB系統は平日の深夜と週末は運休となり、またコンコース線への乗り入れも2015年6月14日現在ラッシュ時限定となっている。
E系統は50丁目駅 でクイーンズ・ブールバード線から乗り入れてくる各駅停車で、キャナル・ストリート駅から分岐する ワールド・トレード・センター駅への支線に直通している。終日運転される。
8番街線の計画は、早くも1918年にBMTブロードウェイ線14丁目-ユニオン・スクエア駅 - タイムズ・スクエア-42丁目駅間が開業した直後から、当時建設中の57丁目-7番街駅から分岐しセントラル・パーク・ウェストを通ってアッパー・ウエスト・サイドやワシントン・ハイツへ至る路線として検討されていた[5]。1923年8月3日にニューヨーク市予算委員会はブロードウェイ線の延長としてワシントン・ハイツ線を承認し、この路線は64丁目からセントラル・パーク・ウェスト、8番街、セント・ニコラス・アベニューを複々線で北上して170丁目へ、その先はフォート・ワシントン・アベニューの下を複線で193丁目に至る路線として計画された。また64丁目から南では複々線のうち一組の複線は57丁目-7番街駅でブロードウェイ線に合流し、もう一組はそのまま8番街の下を30丁目のペンシルバニア駅まで南下する計画であった[6][7]。
一方でニューヨーク市長のジョン・ハイランは、それまで地下鉄を運営してきた民間企業に代わる市営地下鉄の建設を望み、1924年12月9日にニューヨーク市交通委員会は8番街線を含むいくつかの路線について予備的な承認を与えた。8番街線の主要な部分には既にBMTに対し認可されていた区間を含んでいたが、北へは193丁目から207丁目まで延長することになった。また64丁目から南についても、複々線をそのまま8番街、グリニッジ・アベニュー、6番街、チャーチ・ストリートと延長し、さらに複線でフルトン・ストリートを通ってイースト川を潜り、ブルックリンのダウンタウンまで延長するのが望ましいとした[8]。
鍬入れは1925年3月14日にセント・ニコラス・アベニューと126丁目の角で行われ[9]、そして1932年9月10日、チェンバーズ・ストリート駅 -207丁目駅間が開業した。開業前には3日間にわたり乗客を乗せずに通常ダイヤで運行して開業に備えた[10]。また1933年2月1日にはフルトン・ストリート駅 - ジェイ・ストリート-ボロー・ホール駅間[11]が、3月20日にはジェイ・ストリート-ボロホール駅からの延長線としてジェイ-スミス-9丁目線(現在のINDカルバー線)[12]が開業した。
1932年の開業時点では、8番街線には急行のA系統と各駅停車のAA系統(後のK系統)の2系統が運転され、深夜と日曜日には急行は運転されなかった[10]。その後A系統は1933年2月にブルックリンまで延長され[11]、さらに同年7月1日にINDコンコース線が開業[13]すると、コンコース線直通電車は急行のC系統、各駅停車のCC系統に統一され、A系統は145丁目駅以北で各駅に停車するように変更された[14]。 さらに同年8月19日にINDクイーンズ・ブールバード線が開業すると、新たに各駅停車のE系統の運行が開始された[15]。
最後に大きな変更が加わったのは1940年12月15日、IND6番街線が開業した時だった。AA系統はラッシュ時以外の時間帯のみ運行となり、ラッシュ時は59丁目から6番街線に直通する各駅停車BB系統に切り替えられた。CC系統はラッシュ時に59丁目駅から8番街線を南下する各駅停車として残され、加えて終日運転されるコンコース線 - 6番街線の急行はD系統に変更され、C系統はラッシュ時以外の時間帯のみ運行となった[16]。このとき確立された運行形態は、今日の急行A系統、平日のみ運転の各駅停車B系統(以前のBB系統)、各駅停車のC系統(以前のAA、CC系統)、6番街線直通急行のD系統、そしてクイーンズに向かう各駅停車E系統して今日まで受け継がれている。
INDワース・ストリート線は、かつて存在した8番街線の延伸計画である。これはキャナル・ストリート駅で終わる複々線のうちの各駅停車線を延長してワース・ストリートに複線の地下鉄を通すというもので、フォーリー・スクエア、チャタム・スクエア(計画ではIND2番街線と乗換可能になるはずだった)、ラットガーズ・ストリート-イースト・ブロードウェイ(計画ではINDラットガーズ・ストリート線と乗換可能になる予定だった)、ロウアー・イースト・サイド(グランド・ストリートとピット・ストリートの交差点付近)、さらにウィリアムズバーグ橋を渡って、ヘイブマイヤー・ストリート、南4丁目(計画ではINDクロスタウン線と乗換可能となる予定だった)の各駅が設置される予定であった。
しかし、ワース・ストリート線の工事が行われている現場は目撃されたことがなく、工事が行われたという証拠も残されていない。今日この路線の痕跡は、キャナル・ストリート駅南側の各駅停車線にあるラッパ口のダクトと、イースト・ブロードウェイ駅の上にある未利用の地下空間だけである。
凡例 | |
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終日停車 | |
深夜を除き終日停車 | |
深夜のみ停車 | |
平日のみ停車 | |
ラッシュ時の混雑方向のみ停車 | |
時間帯詳細 |