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設立 | 1925年 | |||
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運航停止 |
2008年 (運航停止) 2010年 (ライセンス失効) | |||
ハブ空港 |
コチャバンバ空港 エル・トロンピロ空港 (1990年まで) ビルビル国際空港 (1990年から) | |||
焦点空港 |
ラパス空港 トリニダード空港 (1960年代) | |||
マイレージサービス | Líder Club[要出典] | |||
親会社 | VASP航空 (1995年-2001年) | |||
本拠地 | ボリビア ホルヘ・ウィルステルマン国際空港 | |||
外部リンク | labairlines.com.bo |
LAB航空(Lloyd Aéreo Boliviano)は、ボリビアに存在した航空会社。南アメリカでも屈指の歴史を持つ航空会社であった。
ボリビアの独立100周年にあたる1925年、ギジェエモ・キルマン(Guillermo Kyllman)は、ボリビアに航空会社を設立しようと、政府や商人たちに働きかけた。
同年7月に乗員2人、乗客4人ユンカース F.13がドイツから寄贈された[1]。最初の乗客を乗せての飛行は、8月2日で、コチャバンバ上空を20分間飛行した。[1]。8月5日には、コチャバンバとスクレの間を1時間30分で初飛行を行った。
同年9月15日、ラパスで政府や国会議員、産業界の代表者が集まり、設立総会が開かれた。本社はコチャバンバに置かれることになった。会社の代表には、ギジェエモ・キルマンが就任した[2]。最初の乗客を乗せての飛行は、8月2日で、コチャバンバ上空を20分間飛行した。社の名前のLloydは、乗客が安全をイメージするように、イギリスの保険市場のロイズからとった。
1928年、路線拡張のため新たに3機の旅客機を購入。同年には、パイロットと整備士の養成学校(la Escuela de Pilotos y Mecánicos de Aviación del LAB)を設立した[3]。この学校からホルヘ・ウィルステルマンが卒業し、彼はボリビア人初の民間人パイロットとなった。また1930年には、ブラジルへ初の国際線を飛ばした。
1932年にボリビアとパラグアイの間で起きたチャコ戦争では、ボリビア軍に航空機と人員の提供を行った。
1941年5月14日、ボリビア政府100%出資の国有企業になる。
1957年、ロッキード L-188を導入。1968年には、ボーイング727の導入と、FH-227の導入のための融資も決まる。1970年代に入ると、ボーイング727の就航でアメリカ合衆国や南米各地へ国際線を飛ばすようになり、黄金期を迎えた。
1994年ごろより経営悪化が顕著化し、ボリビア政府は準民営化の模索を始める。1995年、ブラジルのVASP航空が株式51%を購入することで資本提携を結ぶ。機体にVASPと同じ塗装ほどこすなど、業務の一体化を進める。しかし、VASP航空も無理な業務拡大路線で経営が悪化。2001年、アメリカ同時多発テロ事件での利用客減少によりVASP航空はLAB航空の株式をボリビアの投資家に売却し、資本提携は解消される。
2007年3月30日をもって、すべての運航が停止した。その後、アエロスール航空の支援で、チャーター便の運航が続けられた。しかし、2010年に、事業免許が取り消された。