MEN'Sテイオー | |
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プロフィール | |
リングネーム |
MEN'Sテイオー パトリオット・ミニ テリー・ボーイ 大塚 武生 |
本名 | 大塚 武生 |
身長 | 170cm |
体重 | 80kg |
誕生日 | 1966年12月16日(57歳) |
出身地 | 東京都新宿区 |
所属 | フリー |
スポーツ歴 | 学生プロレス |
トレーナー |
グラン浜田 スペル・デルフィン テリー・ファンク |
デビュー | 1992年9月7日 |
MEN'Sテイオー(メンズ・テイオー、1966年12月16日 - )は、日本のプロレスラー。本名:大塚 武生(おおつか たけお)。
東海大学在学中にUWF関東学生プロレス連盟でテリー・ファックとして学生プロレスを始める。
東海大学卒業後、スポーツジムのインストラクターとして働いていたが退職してユニバーサル・プロレスリングに入門。
1992年9月7日、ユニバーサル・プロレスリング伊勢崎市民体育館大会で大塚 武生(おおつか たけお)として対スペル・ティグリート戦でデビュー。10月25日、リングネームをテリー・ボーイに改名。
1993年6月、みちのくプロレスに移籍。
1994年、新日本プロレスに参戦した際に、学生プロレス及び出身者を嫌う風潮があった新日本プロレスの一部所属選手から目の敵のように扱われ、袋叩きやタッチ拒否の理不尽な扱いを受けた。後にプロレスに対する姿勢を目の当たりにした大谷晋二郎が報道陣の前で土下座して詫びしたことでわだかまりは解けている。9月15日、ディック東郷、獅龍と共にルード軍「平成海援隊」を結成。
1995年、怪我で欠場。
1996年1月10日、怪我からの復帰を機にリングネームをMEN'Sテイオー(メンズ・テイオー)に改名と同時に軍団名を「海援隊☆DX」に改名。6月14日、タッグチーム「夢狩人」で活動していたTAKAみちのくと船木勝一が海援隊☆DXに加入。
1998年1月、みちのくプロレスを退団。3月、WWFと契約を結ぶ。
1999年3月、会社とそりが合わなかったことからWWFを退団。4月、日本に帰国後、大日本プロレスに入団。
関本大介とユニット「MEN'S CLUB(メンズ・クラブ)」(テイオーを師と仰ぐスーパーアスリート達が集うグループ)を結成(オリジナルメンバーは関本と伊東竜二)。デスマッチ団体を標榜する大日本の中でレスリング路線を主体とし、後の『ストロングBJ』につながる礎を築く。一方で団体の売りであるデスマッチ路線においても、ファイヤーデスマッチで殺虫剤を火炎放射器にしたりするなど、持ち前のひらめきで対戦相手や観客の想像を超えた凶器の使い方を見せ異彩を放つ。このため、大日本で045邪猿気違'sが主宰する「スクール・オブ・デス」では、理事長として参加。
また、暗黒プロレス組織666では、学生プロレス時代の経験を生かした会場実況として参加し、「バカ社長」ことクレイジーSKBの監視と共に忍と大石真翔等のメンズクラブに関する問題で頭を抱えている。
ファイトスタイルから腕を使うことが多く、2011年2月に右腕を骨折した際は回復が思わしくないまま9月まで参戦したが、腕の手術を決断し欠場。2012年5月に復帰してからは回復具合を見計らいながら出場しデビュー20周年を迎えた。
2013年下期からは大日本所属の選手が大量に欠場したこともあって再び活躍を見せるようになり、2014年1月25日にはプロレスリング・ノアに初参戦している。またユニオンプロレスでは福田洋と『World MEN'S Club』を結成しUWA世界タッグ王座を獲得して久々にベルトを手にしている。
2015年よりフリー転向。ユニオンを中心に参戦。古巣大日本にも時折参戦。6月からはKAIENTAI DOJO、8月からはWRESTLE-1にもそれぞれ参戦。
2020年現在はプロレスリング・SECRET BASEにレギュラー参戦しているほか、暗黒プロレス組織666にて実況を担当している。
ゲイの気があるらしく(本人は否定)、自分のことを「姐さん」と呼んでいるDDTの男色ディーノとは関わることを拒んでいる(ただし過去にシングル戦(GAY世界アナル級タイトルマッチ)で対戦したことはある。結果はテイオーの勝利)。このことから、葛西純からは「男か女か分からない」と言われている。さらにはサムライTVの特番で、電車内で痴漢に遭ったことを暴露したところ、同席していた風香から「男の人が好きなんですよね」とまで言われている。
ジャイアント馬場が生前、学生プロレスの選手に受け身の取り方等を指導していたことがあり、その指導された選手の中にテイオーがおり、テイオーは馬場から直接指導を受けている[1]。なお、テイオーがプロレスラーになってからは、馬場存命時の全日本プロレスには一度も出場した事がなく、全日本プロレスに出場したのは馬場没後の2019年なってからである。
古典的アメリカンプロレススタイルが特徴。一瞬の丸め込みや一点集中攻撃の理詰めなレスリングを得意とする一方で、狡猾なラファイトも得意としており、デスマッチやコミカルスタイルにも対応出来る懐の深いレスリングスタイルでもある。みちのくプロレス時代は、空中殺法主体のルチャリブレスタイルの選手が多かったため、アメリカンプロレススタイルに重点を置くテイオーは短期間のうちに高い壁へと成長した。
2008年12月31日、プロレスサミット後楽園ホールで行われた15分間の制限時間内に若手選手を中心にした複数の選手を相手にテイオーが1人で頭文字が、いろは順のプロレス技を順に仕掛けるエキシビションマッチが行われた。太鼓の合図と共に一文字ごとに該当の字がスクリーンに映され挙行される。
以上「ん」を除く47文字のプロレス技を残り4秒で全てやり遂げた。