NHK紅白歌合戦 | |
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ジャンル | 音楽番組 / 特別番組 |
出演者 | 各回の概要の項を参照 |
エンディング | 蛍の光 |
製作 | |
制作 | 日本放送協会 |
放送 | |
放送局 | 総合テレビ・BSプレミアム4K・BS8K[注 1] |
映像形式 | リアルタイム字幕放送 デジタル双方向機能対応 |
音声形式 | ステレオ放送 |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | ラジオ 1951年1月3日(第1回) - テレビ 1953年12月31日(第4回) - |
放送時間 | 各回の概要の項を参照 |
回数 | 74回(2023年現在) |
公式サイト | |
特記事項: 第1回(1951年)から第3回(1953年1月)までは正月の放送。大晦日(12月31日)の放送は第4回(1953年12月)から。よって1953年は放送が2回あった。 『NHKニュース』による中断あり。 |
NHK紅白歌合戦 | |
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ジャンル | 音楽番組 / 特別番組 |
放送方式 | 生放送 |
放送期間 | 1951年1月3日(第1回) - |
放送時間 | 各回の概要の項を参照 |
放送回数 | 74回(2023年現在) |
放送局 | NHKラジオ第1 |
制作 | 日本放送協会 |
パーソナリティ | 各回の概要の項を参照 |
公式サイト | 公式サイト |
特記事項: 『NHKニュース』による中断あり。 |
『NHK紅白歌合戦』(NHKこうはくうたがっせん)は、日本放送協会(NHK)が1951年(昭和26年)から毎年大晦日に放送している男女対抗形式の大型音楽特別番組。日本の長寿番組のひとつ。通称は「紅白」。
女性アーティストを紅組(あかぐみ)、男性アーティストを白組(しろぐみ)に分け、対抗形式で歌や演奏を披露する。当初は正月のラジオ番組であったが、NHKがテレビ放送を開始した後は大晦日の夜に移動し、「1年の締めくくり」の代名詞となる。放送が延期・中止されたことは1度もない。2017年12月31日、「最長寿年度テレビ音楽コンペティション(一国内)」としてギネス世界記録に認定された[1]。
日本を代表する人気歌手が大勢出演し、さらに歌手以外のゲストなどもその年人気を博した人物が選出されるため、放送開始当初から高視聴率を記録している。深夜に及ぶ時間帯の番組でありながら年間視聴率の上位に食い込み、多くの年で通年の最高値を弾き出している。そのため国民の関心は高く、年の瀬から正月にかけて、新聞・雑誌や本来は競合相手である民間放送局までが紅白に関する話題を取り上げる。
BS4K→BSP4K・BS8Kは総合テレビとは別制作。高解像度・HDRを生かしてより現地で見ている紅白に近い体験をコンセプトに、同じステージを別々に制作・中継していた。そのため、カメラアングルが総合テレビとは異なり、オープニングCGは固定、第69回・第70回では歌詞に限りテロップが出なかった。[要出典]第72回以降は総合テレビと一体制作となっている。
またNHK主体ではないが、日本国外の現地ケーブルテレビチャンネル(主として日本専門チャンネル)を通じて放送される場合がある(NHKワールド・プレミアム放送の際には字幕がないため)。
第18回(1967年)以降、長らく21時(JST、以下同じ)開始に固定されてきたが、2部制となった第40回(1989年)以降は19時15分から20時の間を推移している。1部と2部の間には、その年の最後の『NHKニュース』を放送する。殆どの回は5分の定時ニュースの形式だが、第50回(1999年)・第54回(2003年)・第55回(2004年)は10分に拡大し、『NHKニュース7』の短縮版とも言える形式で放送された。なおBSハイビジョンでは放送されず、『デジタル紅白歌合戦』と題したNHKホール前からのこの後の内容を紹介する中継に差し替えた年もあった。第69回~第71回のBS4K・BS8Kはニュース前のつなぎコメントも含めてバックステージからの中継放送に差し替えている[18]。
終了時刻は、総合テレビでは第13回(1962年)以降、一貫して23時45分である(放送メディアによっては例外あり)。また、次の番組も『ゆく年くる年』で固定されている。
出演者に対しては正式発表まで厳重な「緘口令」が敷かれ、原則NHK側からその都度発表される。一方で特に司会者と出場歌手の人選は注目を集め、大衆紙などでは正式発表の時期に「関係者からのリーク」として予想記事が出されることがある。
その年の紅白の「顔」ともいうべき存在で、例年その年の出演者の中でもっとも早く決まる(10月後半から11月)。正式決定とともに、本人出席のもとで記者会見がNHK放送センターで行われる(会見を行わず、広報を通じてコメントを発表するのみの場合もあり)。
第71回(2020年)までは、「紅組司会」「白組司会」「総合司会」の三者が設定されていた。紅組司会と白組司会はそれぞれの組の曲紹介を、総合司会は番組全体の進行や両組司会のサポートを分担してこなしていた。紅組司会と白組司会は平成初期までは「両軍のキャプテン」とも呼ばれていた。ただし、司会者とは別に「キャプテン」「チームリーダー」を両軍の歌手から一組選出した事が何回かある。基本的に紅組司会は女性が担当、白組司会は男性が担当する。紅組司会と白組司会はテレビタレントが、総合司会はNHKアナウンサー(東京アナウンス室在籍)が担当することが多い。かつての白組司会はNHKでレギュラー番組を持つ中堅・ベテランクラスの俳優や歌手、もしくは放送時点で東京アナウンス室勤務でなおかつ知名度の高い男性アナウンサーが選ばれていた。紅組司会は白組と同等クラスの女優やタレント・歌手を起用する事が多かった。その後、平成に入ってからは白組司会はNHK・民放問わず司会経験が豊富なタレントや司会未経験も含めた俳優(主にその年あるいは翌年の『大河ドラマ』の主演)、第59回(2008年)から第70回(2019年)までは12年連続でジャニーズ事務所(当時[注 4])の所属タレントやグループが起用されていた。紅組司会はその年の『連続テレビ小説』(朝ドラ)の上期・東京制作分のヒロインなど女優が務める事が多い。例外として総合司会も含めてNHKのニュース・バラエティなどの番組で司会を務める東京アナウンス室のアナウンサーのみで務めた回もある。一方の総合司会は総合テレビで放送されるニュース番組のメインキャスターやバラエティ・音楽番組の司会者であり、知名度も高いアナウンサーが起用される。第34回(1983年)のタモリ、第56回(2005年)のみのもんた、第68回(2017年)から4回連続で司会を務めた内村光良といったタレント・芸人を起用する回もある。全員のうち、アナウンサーは必ず最低1名は入っている。両組・総合司会は通常それぞれ1人ずつだが、複数名が担当した第37回(1986年)や第54回(2003年)、グループが担当した第61回(2010年)- 第65回(2014年)などの例外がある。
第56回(2005年)は例外的に三者の枠を取り払った司会設定がなされた。また、第72回(2021年)以降もこの方式が用いられている。
司会担当者は、ほかの長時間番組や音楽番組と比べて特定の人物が何回も続けて担当することは少ない。場合によっては司会未経験のタレントが抜擢されることもある。紅白の台本は、生放送という関係上非常に細かく設定されており、進行上アドリブの必要性は少なく、あくまで「司会者」を演じる役者的性質が強いためである。秒単位で台本が設定されており、アドリブひとつするのも大変で、第71回(2020年)以降司会を務めた大泉洋は、第71回の時にはアドリブを入れたいがために、事前に総合司会の内村光良に相談していた[19]。
司会が歌手の場合は、出場歌手を兼ねる場合もある[注 5][注 6]。その場合の曲紹介は相手の司会者か総合司会が行うことが多いが、第48回(1997年)では白組司会を務めた中居正広は自身が所属するSMAPの曲紹介を自ら行った。
出場歌手はおおむね紅白両組それぞれ20組から30組の間を推移している。対戦に組み込まれる正規の歌手は番組への出演が「出場」と呼ばれ、「出場回数」も正式にカウントされる。例年11月下旬に発表記者会見が行われ、その年の初出場の歌手が出席するか、あるいはメッセージが公表される。
両組の割り振りは、メインボーカルの性別を原則とする。そのため、和田アキ子[注 7]、原由子[注 8]などは出場形態の違いにより両組からの出場経験がある。番組初期においては厳密に紅組=女性、白組=男性と分けられており、男女混成グループは本来の形態での出場が不可能であった[注 9]。そのため片方の性のメンバーのみでボーカルとコーラスをまとめるなどのアレンジを強いられていた。男女混成グループが初めて出場したのは、第19回(1968年)のピンキーとキラーズであり、このときもどのような扱いにするのかでもめたという。結局メインボーカルがピンキーであったため紅組となったが、初出場時のみ男性メンバーは歌手席に座れなかった。その他のおもな割り振りの例は以下の通り。
複数の名義で並行して活動している歌手は、かつては原則両方で出場することはできず、沢田研二が第40回(1989年)において、ソロ名義とザ・タイガースの双方で出場した事例が長らく唯一であった。しかし、2000年代以降は同系列の複数のグループ・ユニットをメンバーが掛け持ちし、さらにそれぞれヒットする事例が出てきたため(ハロー!プロジェクト、AKB48グループ、EXILE TRIBEなど)、徐々に複数の掛け持ち出場が認められるようになってきた。
第26回(1975年)のずうとるび(日本テレビ系列『笑点』出身)以後、民放番組からデビューした企画の歌手(番組内のキャラクター)など民放色の強い歌手(日本テレビ系列『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』のポケットビスケッツ&ブラックビスケッツ、フジテレビ系列『ワンナイR&R』のゴリエ、フジテレビ系列『クイズ!ヘキサゴンII』の「羞恥心 with Pabo」など)が出場しており、該当の番組を特別に意識した演出(応援など)があるなど、民放とのコラボレーションに対しても比較的寛容である。対する民放の側も、デビューするときに「紅白を狙う」と公言したり、出場が決まった際には紅白本番中やその舞台裏の模様を後日番組内で「紅白ドキュメント」などと銘打って放映したりすることがあるなど、紅白とのコラボレーションに積極的である[22]。
「歌合戦」と称しているものの、演奏のみで歌わないグループの出場もある[注 12]。
また、第58回(2007年)以降は、紅組・白組どちらにも属さない「特別枠」(特別出演とも)という形式で出場する例が常態化している。それ以前も「ショーコーナー」などと題して、紅組・白組どちらにも属さない形式でのパフォーマンスが披露される機会はあったが、制作側が「特別枠」の設定を明言するのは第58回が初めてであった。「特別枠」として初めて出場したのは小椋佳[注 13]。以後、大物歌手[注 14]、一度紅白を卒業したが1回限りの復帰をする歌手[注 15]、海外のアーティスト[注 16]、バラエティ性が高いがその年に話題となった楽曲を歌唱する歌手[注 17]、引退・活動休止前最後のテレビ歌唱となる歌手[注 18]、復帰後最初のテレビ歌唱となる歌手[注 19]などが「特別枠」として出場を果たした。いずれにせよ、通常の出場歌手に比べて特に話題性を重視した選出がなされる。また、第71回(2020年)の玉置浩二のように司会のリクエストで出場するケースもある[23]。基本的に特別枠では出場回数はカウントされないが、MISIAとさだまさしが特別枠から出場した後に紅組・白組から出場した際には、出場回数が通算でカウントされていた。また、第69回(2018年)のサザンオールスターズ、椎名林檎、宮本浩次もそれぞれ出場回数がカウントされている。
基本的には、その1年間にヒット曲を出した歌手を対象として、出場者の選考が行われる。本人や所属レコード会社・所属事務所に対して、選考対象とされることや出場への意思の有無の確認が行われ[注 20]、例年11月ごろの選考会議で最終決定される。発表と同時に記者会見が開かれ、『NHKニュース』をはじめ各メディアでも報道される。この記者会見には初出場者が出席することが恒例となっている。第61回(2010年)以降、出場者発表会見はインターネットでもストリーミング配信で生中継されている[24]。
番組側は基本的に選考の過程や理由などを明らかにはしておらず、非選出者については発表記者会見の質疑応答の中で、最低限の事情を明らかにしている程度である。近年の出場歌手発表の際には、選考にあたっての判断材料として「今年の活躍、世論の支持、番組の演出・企画に沿う」という3点が具体的に提示されている[25]。第74回ではこの3点を中心に、以下の6つのデータが出場歌手決定の参考資料とされた[25]。
これらは時代の変化に合わせて微妙に変えているが、このような参考資料を検討のうえ、総合的に決定している。
出場歌手選考の参考として、第23回(1972年)の選考時より「ご意見を伺う会」が発足し、その会員から意見を求めるという体制が第38回(1987年)まで続いた。NHKが視聴者を対象に行うアンケート結果は第37回(1986年)までは重視されていたが、以降は参考程度に留められているという[26][27]。原則としてアンケート結果は公表されない。
紅白の出場歌手に選出されるには、第一義的には音楽業界での活躍、すなわち音楽セールスの実績(CD、DVD、音楽配信、USEN、カラオケなど)・実力・知名度・話題性・世論の支持・歌唱力・同回のテーマとの合致などが重要となるが、ほかにも以下の条件が存在するとの指摘がある。
NHK番組への出演・関与や番組主題歌の歌唱など、NHKに対する貢献度が選考を左右するとも言われている(番組側からは明言されていない)。たとえば連続テレビ小説[注 21]や大河ドラマ[注 22]への出演や、その主題歌[注 23]、オリンピック(パラリンピックも担当)[注 24]・FIFAワールドカップ[注 25]などのNHKスポーツ中継テーマソング、NHK全国学校音楽コンクール課題曲(中学校の部)[注 26]提供などの場合、出場しやすい面があり、本番中もタイアップにちなんだ曲紹介や演出がある。ただし、第67回(2016年)のMr.Children[注 27]、第69回(2018年)のDREAMS COME TRUE[注 28]、第70回(2019年)のスピッツ[注 29]とSHISHAMO[注 30]、第71回(2020年)の秦基博[注 31]、第73回(2022年)のDISH//[注 32]など、上記のようなタイアップがありながら出場しない例も存在する。
出場歌手については、所属する芸能事務所毎に一定の枠・数的制限が設けられる慣例があるとされる[28][注 33]。これは出演者が特定の事務所に偏らないようにするための配慮であり、かつて芸能事務所毎の枠がなかった1部制時代の1980年代前半までは、例えば第25回(1974年)で出場歌手の紅白計50組中10組を当時全盛期にあった渡辺プロダクションに所属する歌手が占めるという状況も見られた。しかし、その後は一定の枠が事実上設けられる状況となったため、かつての渡辺プロほどの規模で特定の事務所が出場枠の一定割合を専有することは難しくなった。
一方で、事務所枠の関係と思われる理由から、大ヒット曲を出しながら出場機会に恵まれない例もある。例えば、ジャニーズ事務所(当時[注 4])に所属する歌手の出場は、第48回(1997年)以降長らく、SMAP・TOKIOの2組に限定されていた[注 34]。その後、第60回(2009年)に初出場の嵐とNYC boys加えた4組[注 35]が出場してからは、同事務所からの出場歌手も増えていき[30]、第66回(2015年)[注 36]・第71回(2020年)[注 37]は7組が選出された。
NHKは公共放送でありその番組は国民が払う受信料によって制作され、出演者に対するギャラも受信料から払われている。そのため、イメージがクリーンであることも、出演者の選出・決定にあたって重要な必要条件の一つであるとされる。実際に、この条件が原因で落選や辞退、あるいは出演の取消という事態が発生している。
特に日本の芸能界は"黒い交際"、すなわち暴力団・ヤクザなどの反社会的勢力が興行師として采配していることが多く、これが表面化すると選考にも決定的な悪影響を及ぼすとされる。それは大物歌手・ベテラン歌手であっても例外ではない。過去には長年紅組トリを独占していた美空ひばりが、1973年、暴力団構成員であった弟・かとう哲也の逮捕をきっかけに、三代目山口組・田岡一雄との関係が問題視され、アンケートの支持が低下し、「ご意見を伺う会」からの批判が相次いだことを理由に落選[31]。正式な出場歌手としてはついに復帰しなかった。また、第37回(1986年)では、北島三郎と山本譲二が暴力団主催の宴席に出席していたことがメディア報道され、本番の差し迫った12月29日に出場辞退を余儀なくされた。代役として角川博と鳥羽一郎が選出されたものの、今度は鳥羽が自身も暴力団との過去の関係を自ら申し出て、この一件に対するNHKの偽善の姿勢を批判して辞退した(代役はシブがき隊)。
2011年には、暴力団の影響力排除を目的とした各都道府県の暴力団排除条例が施行され、人気司会者であった島田紳助が暴力団との交際発覚を理由に芸能界を引退し大きな話題になったことなどもあり、NHKも暴力団排除指針を公表。同年の第62回の選考をめぐって、黒い交際の情報がある人物は排除しなければならず、NHKが出場候補者の人選に通常より神経を使い、報道局など組織内の多くのリソースも投入していると各メディアで報じられた。
第74回(2023年)では、ジャニー喜多川による性加害問題を受け、SMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所[注 4])側の被害者への補償や再発防止などの対応が明確でないとして、状況が改善されない限りは同事務所所属タレントは出場不可能とする方針を発表し[32][33]、実際に1組も選出されなかった[34][注 38]。
出場歌手発表時、「誰が出場したか」と同様に、「誰が出場しなかったか」にも注目が集まる。特に1980年代からはミュージシャン系の歌手を中心に「辞退をすることがステータス」「出たら負け」という風潮が高まり、出場の打診を歌手サイドの意思で断る事例が増えた。これらのアーティストは「出場辞退組」と呼ばれるようになる。辞退する理由はさまざまで、知名度が出てきたころに数度だけ出場する例(THE ALFEE、サザンオールスターズなど)、NHKとの不和が原因で出場しない例(アリスなど)、紅白のコンセプトに賛同しない例(小田和正、Mr.Children、松山千春[35]など)などである。但し、これらのアーティストの中でも後年になって出場するケースも出ている。
またB'zは年末年始は仕事をしないというコンセプトから、30年以上出場していない[注 39]。
また、常連歌手がある時点で自発的に「勇退」を宣言、翌年から出演を取り止める例[注 40]もある[36][37][38]。最後の出場回の前に宣言したときには、最後のステージとして花を添えることも可能である。一方で、落選したのを契機に「勇退」を宣言するケースもある。常連歌手など功労者を落選させる場合、番組側が該当歌手の名誉のために、公式には「辞退した」ことにさせる場合がある[39]。
なお、出場が正式決定してから辞退し、代替出場の歌手が立てられたケースは少ないものの、以下の事例がある。
サンディ・シムス、HOUND DOGは選出されたのがこの1回のみで、幻の出場となっている。後浦なつみについてはメンバー3人が別名義で出場経験あり。このほか、出場する予定だったグループの一部の人物が病気・負傷・不祥事などの理由により欠場・出演辞退という事態になり、残りのメンバーで出場したケースも存在する。
その年を代表する著名人が10人前後起用されることが恒例である。審査への参加だけでなく放送内で随所で司会者とのトークが挟まれ、番組の進行にも関わる。第55回(2004年)までは「特別審査員」と呼ばれており、またNHK番組制作局長が「審査委員長」と呼ばれていた。第72回(2021年)は最も少ない6人で行われた。
ゲスト審査員の発表はもっとも遅く、12月下旬に行われる。審査員は主に芸能人・スポーツ関係者・音楽関係者・文化人・メディア関係者の中から選ばれることが多いが、一番起用される可能性が高いのは、翌年の『大河ドラマ』(まれに当該年度or次年度・前期の『連続テレビ小説』)の主演者(まれに準主演者)であり、司会や歌手に選ばれた場合を除き、ほぼ毎年審査員となっている。また、『大河ドラマ』の脚本家が出演したこともある。このほか、NHKのレギュラー番組の出演者が審査員になる場合がある。近年は、民放の番組で活躍した出演者が審査員になるケースも増えている。かつては政治家[注 45]や企業経営者[注 46]、珍しいケースでは日中国交正常化後に初めて中華人民共和国(中国)への初フライトを担当した民間航空会社の機長[注 47]が起用されたこともある[44]。
スポーツ関係では、かってはプロ野球の日本シリーズ優勝チームの監督や主力選手、大相撲の看板力士(その年に新横綱、新大関になった力士など)が多かったがプロ野球では、第67回(2016年)、同年の日本シリーズの優勝チーム(日本一)の北海道日本ハムファイターズに当時在籍し同年のパリーグ最優秀選手賞(MVP)を受賞した大谷翔平以来しばらく選ばれなかった。第73回(2022年)に東京読売巨人軍(当時)の王貞治が1964年に達成した日本人かつ左打者によるセントラル・リーグ公式戦年間最多本塁打の記録を55本から56本に更新し史上最年少で令和初の三冠王になった東京ヤクルトスワローズの村上宗隆がプロ野球選手としては久しぶりに選出された。大相撲では第63回(2012年)、当時第70代横綱の日馬富士公平を最後に選出されていない。サッカーはJリーグ発足の1993年(第44回)、当時のJリーグチェアマンだった川淵三郎を皮切りに数多くの選手・監督が選ばれた[注 48]。プロゴルファーでは第57回(2006年)には横峯さくら、第70回(2019年)には同年の全英女子オープンで優勝した渋野日向子などが選ばれた。オリンピック・パラリンピックのメダル獲得者は、競技と無関係の場への登場をよしとしない日本体育協会の意向から当初は選出されなかった。初例は第35回(1984年)における江上由美(ロサンゼルスオリンピック女子バレーボール・銅メダル)で、以後は選出が恒例となる(オリンピック・パラリンピック開催前年にメダルを期待される選手・監督が起用されることもある)。
上記のメイン出演者以外に、さまざまな著名人がゲストとして出演する[注 49]。ジャンルとしては、歌手や楽曲と関連する人物の応援、楽曲提供者などの演奏参加、会場外からの中継の進行役(大抵はNHKアナウンサー)などさまざまである。また、その年ブレイクした若手のお笑いタレントが幕間でネタ見せするのも定番である。主要ゲストについては、本番前に逐一出演が発表されていく。
また、他局の現職アナウンサーの出演も実現している。
第61回(2010年)からは、第72回(2021年)を除き『紅白ウラトーク』が実施されている[45]。NHKホール座席の一部にセットを組み、放送時間中そこからのトークを副音声で放送し続けるものである。専属のMC(タレントとNHKアナウンサー)がおり、歌手、ゲストが入れ替わり立ち代わり出演する。
両組司会は(特にタレントの場合)、本番までNHK関連の仕事が入る。各テレビ情報誌の年末年始号の表紙に起用されることも多い(紅白の司会を務めるにあたってのインタビューも掲載される)ほか、両組司会を表紙にしたテレホンカードや図書カードも発売される。
出場歌手の曲目や曲順は原則すべて公開されており、曲目は12月中旬、曲順は12月下旬に発表される。
12月下旬に入ると、紅白のPR特番が多く組まれることも恒例で、司会者をはじめその年の紅白の出演者や紅白の関係者がゲストに招かれる。過去紅白の再放送や名場面放映を中心とした番組もある(いずれもBS2『思い出の紅白歌合戦』や『あなたが選ぶ思い出の紅白・感動の紅白』など)。
会場と楽屋を結ぶ下手側の通路の角に神棚があり、リハーサル開始前には神主を呼び、スタッフ勢ぞろいで成功祈願を行う。歌手はリハの合間に無事歌唱祈願するのが習わしである[47]。
本番2日前の12月29日には台本が完成し、司会者・出場歌手・スタッフの顔合わせからリハーサルが始まる。台本は非常に厚く、トークも含めてすべてト書きされており秒単位での進行が組まれている。ただし一部の演出については、詳細を台本では白紙扱いにし(出場歌手や司会者にも伏せられる場合あり)、本番までシークレットにするものもある。顔合わせでは本番当日の段取り説明などがある。生バンドだった1980~1990年代まではその後に一組ずつ音合わせ、さらに深夜に近い時間帯にはリハーサル室でNHKホールのステージを想定したオープニングや応援合戦などのリハーサルも行っていた。リハーサルはその後、放送時間の大型化などの関係でほとんどをNHKホールで行うようになった。
リハーサルと並行して司会者と出場歌手で面談が行われる。その面談では、司会者側より出場歌手に本番内での曲紹介の内容について説明したり、出場歌手側より司会者に自身の曲紹介をするにあたっての依頼や自身の歌唱にあたっての思い入れ・エピソードなどを語ったりする[48][49]。この面談の内容が本番内で披露されることもある。ただし、第74回(2023年)で司会を務めた有吉弘行は、自身のラジオで『黒柳(徹子)さんが始めた面接。出演者と司会者で話をちょっとするっていう。(略)ずっと伝統であったシステムだけど、もうないんだって。楽しみにしてたのに』とコメントし、女性自身によると第68回(2017年)から面談が廃止になったと報道[50]。また、メディア記者もNHKホールに詰め、リハーサル・本番の合間を縫って出演者への取材(ぶら下がり形式)が元日未明まで行われる。主に、同年の総括や翌年への抱負が述べられるのが恒例である[51]。
NHK側から出場歌手に対しては弁当(ロケ弁)・ケータリングなどの提供は原則としてなく[注 51]、代わりに自前で取り寄せたり、放送センター内の食堂を利用する他、司会者や歌手が差し入れを行うことも慣例である。
リハーサルは12月31日の日中まで行われる。その間の12月30日(以前は31日の本番前)には『日本レコード大賞』の受賞歌手が掛け持ちしている。31日の同時開催かつ紅白が21時開始だった時代は「レコ大」が20時50分に終了し、受賞歌手が「レコ大」の衣装のままNHKからの迎えの移動車に駆け込み、パトカーの先導でNHKホールまで急行、車中で着替えを済ませて本番開始の数秒前までに到着した歌手が次々にホールへと駆け込んでいた。
1990年代まではこれらの制作の流れを、NHKアーカイブスに残っている1970年代から80年代の複数の回の映像を混ぜて編集した直前特番として放送していた。
番組のオープニングおよびエンディングでは、歌手全員がステージに登場する。かつてはオープニングではステージに向かって出場歌手が入場行進・1980年代の回ではそれと共に出場歌手を一組ずつ紹介[注 52]をすることが基本であり、放送開始から第32回(1981年)、第36回(1985年) - 第38回(1987年)、第40回(1989年)、第43回(1992年)、第47回(1996年)、第48回(1997年)は「乾杯の歌」を入場行進曲に使用していた。
タレントの両組司会は、オープニングは両組の色の晴れ着姿[注 53]で登場する。総合司会は、男性アナウンサーの場合はスーツ、女性アナウンサーの場合はドレスを着用する(以降、スーツの場合を除き数度の衣装替えがある)。各司会の紹介[注 54]を経て、そのまま最初の歌手の曲紹介へと入る。
原則として、紅・白両組の歌手が1組ずつ対決する形式である。歌唱時間は1回につき1組3分程度が定番[52]だが、その回の目玉の歌手、楽曲においては優遇され、最長では10分近いこともある[注 55]。一方で、さほどトピックスのない歌手の場合は2分弱まで短縮される。両組間の順番が途中で入れ替わることがあり、「攻守交替」と呼ばれる。
2000年代以降はこの対戦形式の原則に入らない事例も多くなり、対戦の途中に特別コーナーが入る例、対戦相手がいない例、歌唱順の対戦相手と演出上の対戦相手が異なる例[注 56]、正規の対戦歌手とカウントされないながらも対戦枠に組み込まれる例[注 57]などがある。さらに演出上、別々に出場したソロ歌手やグループが組んで1パッケージで登場する[注 58]こともあり、これらが原因で両軍で出場者数が異なる年もある。
4組程度の歌唱が終わったところで、原則総合司会のアナウンサーがゲスト審査員を紹介[注 59]、また審査方法や総合テレビの生中継以外のメディア展開(ラジオブースや裏トークチャンネル、パブリックビューイングなど)を説明する[注 60]。司会の定位置は舞台脇の花道部分であり、ここで曲紹介やほかの出演者とのトークを行う。舞台は紅組が下手、白組が上手に割り当てられており(第4回〈1953年〉のみ逆)、番組前期は曲紹介も両方の花道で別々に行われていたが、NHKホールは楽屋が下手側にあるため、のちに白組も最初と最後の2組程度以外は下手側で行うようになった。以降原則両組司会が番組進行を担当し、総合司会のアナウンサーは要所要所で両者の進行を補助する。
原則出演歌手は中継も含めて生放送内で歌唱するが、録画出演もまれに行われる[注 61]。
舞台転換やステージの演出にも凝っており、時にはワンステージのために多額の費用や長時間を費やすこともある。3Dマッピングなど、最新の映像技術も駆使される。歌手側も、「豪華衣装」が目玉となった小林幸子と美川憲一を筆頭に、晴れの紅白のために多額の自己負担をする場合がある(福山雅治はオーダーメイドの衣装のため、持ち出しが多く、赤字だと明かしている[53])。出場歌手ではないが、第74回(2023年)では、ノブ(千鳥)が史上初めて私服で参加した[54]。
歌の間にはその年のトレンドやテーマに沿ったコーナーがあり、歌手有志が参加する。NHKの人気番組が取り上げられることも多いほか、オリンピックなどスポーツにちなんだ演出が行われることもある。また、正規のステージにおいても歌手間での「応援」がある。特に1990年代以降では、視聴率の都合上、人気の高いポップス歌手を随所に登場させる(演歌歌手の演出としてのバックダンサーなど)演出がなされる。その年に亡くなった著名人の追悼企画が行われることも多い。
会場の観覧者にはペンライト、LEDライト、リアルタイムARシステム、サイリューム、造花、お面などの小道具が配られ、番組側の指示などに従って演出に参加する。出場歌手にもペンライトを配って、ステージ上で使用させることもある。
その年内をもっての引退・休業を発表した歌手や解散・活動休止を決定したバンド・グループ、グループからの卒業・脱退が決まっているメンバーがいるグループが選出された場合、「ラストステージ」として注目される[注 62]。歌手の側も、区切りとして「活動年内限り」とする場合が多いため、視聴率の高い紅白が最後の舞台として選択されやすい。
両組最後に登場する歌手は「トリ」(後に登場する側は「大トリ」、司会者によっては曲紹介時に「歌い納め」と言う。)として、特別に注目を集める。通常、ベテラン、大御所と呼ばれる歌手が選出される。まれに若手歌手が選出されると、「大抜擢」と表現される。最後の数組の歌唱の際には、出場歌手も両方の花道に並ぶ。
トリは番組初期は演歌が流行していたこともあり、長らく演歌歌手が独占していた。初めて両組ともにポップス歌手から起用されたのは、演歌が記録的に不作であった第29回(1978年)の山口百恵と沢田研二である(山口百恵は当時19歳であり史上最年少)。その後、演歌の人気が低下してもこの傾向は変わらず、また演歌歌手も出演歌手中「大御所」の位置にあったため、トリを飾るには違和感がなかったこともある。ポップス歌手のトリが増えたのは、演歌歌手の出場が減った2000年代後半からである。ポップス歌手においても、DREAMS COME TRUE、髙橋真梨子、松田聖子など、ベテラン歌手の起用が多い。
勝敗はゲスト審査員と会場の観客および地上デジタルテレビ放送の双方向システムや携帯電話を利用した視聴者の投票で決定する。審査とその結果の発表方式は回によって異なる。長らくは、全歌手の歌唱後のゲスト審査員と観客の投票で決まっていたが、21世紀に入ると会場外の一般視聴者からの投票も加わる(第1部終了時と合わせて2度)。一般視聴者の票は集計に時間がかかるため、第1部では残り2組(1対戦分)になったところで総合司会のアナウンサーが投票を呼びかけ、2組の歌唱中に投票と集計、ニュース直前に結果を表示する。最終投票時、第59回(2008年)以降は、投票中に「ハイライト」として、全歌手の歌唱シーンのダイジェスト(1組数秒、トータルで3分弱)を流すか、最後に全員歌唱で1曲が入る[注 66]。投票中に、審査員やゲストを含め会場にいる出演者全員(労働基準法の関係上、実際にステージ上にいるのは18歳以上の出演者に限る)がステージ上に上がる。
優勝(勝利)チームが決定すると、テレビ画面には「○組優勝!!」のテロップが出て、天井から大量の紙吹雪がステージ一杯に降る(第19回(1968年)から。第19回は風船も一緒に降っていた。ちなみに初期のころはステージに紙テープを投げたり、天井から紙テープのみが降ったり(第14回(1963年) - 第18回(1967年))、くす玉が割れて、紙吹雪・紙テープ・風船が降る演出(第6回(1955年)・第11回(1960年) - 第12回(1961年))があった。テレビ番組での先駆けである)。ただ、2000年代ごろからは紙吹雪が優勝決定時には降らず、エンディングの「蛍の光」の場面で降る。そして、優勝組の司会者(キャプテン)に優勝旗が授与される(優勝旗授与を行う人物は回によって異なる。大抵はゲスト審査員のうちの1人)。また、この優勝旗には歴代の優勝チームの色のリボンが飾られている。1950年代ごろは、優勝チームが決定した直後に軍歌「凱旋」が合唱されるのが恒例だった。第72回(2021年)以降は優勝旗授与を行わずに番組が終了している。
フィナーレは第4回以降、1960年代前半の一部の回を除き「蛍の光」を出演者(出場歌手・司会者・ゲスト審査員・ゲスト・合唱団など)ならびに会場の観客で大合唱することが恒例である。この場面のみに指揮者として参加する音楽家がいる。
第73回以降は、勝利チーム発表前に「蛍の光」の演奏が行われたため、フィナーレが勝利チーム発表となった。
「蛍の光」の演奏は、1980年代までは回によって2番まで歌ったり(特に第33回(1982年)までの回、ならびに第50回(1999年)終了後の「カウントダウンスペシャル」)、1番を2回繰り返したりした年(第35回(1984年)、第37回(1986年)、第38回(1987年)、第41回(1990年))もあれば、一度大エンディング生演奏で締めた後、放送に入らない部分も含めてアップテンポの曲調でもう一度演奏を行った回(第33回(1982年)・第36回(1985年)・第37回(1986年)・第40回(1989年)・第43回(1992年)・第44回(1993年)・第50回(1999年)終了後の「カウントダウンスペシャル」など)もある。第41回(1990年)・第42回(1991年)は演奏を一度締めた後に「第九」をアレンジした曲を流している。
1990年まではステージにいるオーケストラに実際に指揮をしていたが、オーケストラを必要としない歌手が増えた1991年以降はステージの出場歌手と観客に向けての指揮になった。
「蛍の光」大合唱が終わると番組オリジナルアレンジの大エンディング生演奏が約20 - 30秒程流れる。放送開始 - 第31回(1980年)は、かなり暗めのアレンジで、ステージングもステージにいる出演者と会場の観覧者に一人一本ずつ配布されたペンライト照明のみというもの、第34回(1983年) - 第37回(1986年)、第38回(1987年) - 第42回(1991年)はほぼ同じエンディングアレンジを前者は4年連続、後者は5年連続での流用が続き、第45回(1994年) - 第51回(2000年)、第53回(2002年)、第64回(2013年) - 第67回(2016年)、第69回(2018年)、第71回(2020年)、第72回(2021年)の通算15回と、第52回(2001年)、第56回(2005年)、第58回(2007年)の通算3回に関しては、前者後者共に全く同じエンディングアレンジが流用され、その年その年で全く違った新規のエンディングアレンジが個別で設けられたのは、第32回(1981年)、第33回(1982年)、第43回(1992年)、第44回(1993年)、第57回(2006年)、第59回(2008年) - 第63回(2012年)(それぞれの年で別々のアレンジが施された期間が5年連続で続いた)、第68回(2017年)、第70回(2019年)のみとなっている。また、第64回(2013年)以降、第68回(2017年)と第70回(2019年)を除いて「第九」を織り交ぜたアレンジになっていることが多くなっている。
締めに単音が流れ(単音が3音連続で続いた第61回(2010年) - 第63回(2012年)、第68回(2017年)を除く)、曲終わりでの余韻を残したあとにミサイル型クラッカーがステージ上手、下手から客席上に打ち上げられ[注 67]、そこで23時45分を迎えて番組が終了し、そのまま「ゆく年くる年」に切り替わる[注 68]。
放送終了後にはNHK放送センターの1階食堂で出場歌手と司会者で打ち上げ会が行われる[20][47]。
1月2日ごろに視聴率が発表され各メディアで話題になる。あわせて1分単位の視聴率も発表されるため、「最高視聴率を獲得したのは誰か」も興味の的になる。通常、トリまたはその付近の歌手が獲得する。
第73回(2022年)からは、放送した回の舞台裏・振り返りなどを特集する番組を放送している[60]。ただし第74回(2023年)は、2024年1月1日に石川県能登地方で震度7の地震(令和6年能登半島地震)が発生し、地震関連のニュースを放送するため、放送が延期となった[61][62]。
会場 | 放送回 |
---|---|
NHK東京放送会館第1スタジオ (東京都千代田区) |
第1回(1951年)- 第3回(1953年1月) |
日本劇場 (東京都千代田区) |
第4回(1953年12月) 第11回(1960年) |
日比谷公会堂 (東京都千代田区) |
第5回(1954年) |
産経ホール (東京都千代田区) |
第6回(1955年) |
東京宝塚劇場 (東京都千代田区) |
第7回(1956年) 第8回(1957年) 第10回(1959年) 第12回(1961年)- 第23回(1972年) |
新宿コマ劇場 (東京都新宿区) |
第9回(1958年) |
NHKホール (東京都渋谷区) |
第24回(1973年)- 第71回(2020年) 第73回(2022年) - |
東京国際フォーラム (東京都千代田区) |
第72回(2021年) |
2023年までの通算成績は紅組34勝・白組40勝で白組がリードしている。連勝は紅組が3連勝、白組が6連勝が最多である。
司会者区分制 | |||||||||||
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回数 | 放送日 | 放送時間 | 紅組司会 | 白組司会 | 総合司会 | ラジオ実況[注 87] | テレビ放送副音声 | 優勝 | 視聴率 | ||
男性 | 女性 | 男性 | 女性 | ||||||||
第1回 | 1951年1月3日 | 20:00 - 21:00 | 加藤道子 | 藤倉修一[注 87] | 田辺正晴[注 87] | (なし) | 白 | 記録なし | |||
第2回 | 1952年1月3日 | 19:30 - 21:00 | 丹下キヨ子 | 白 | |||||||
第3回 | 1953年1月2日 | 本田寿賀[注 87] | 宮田輝[注 87] | 志村正順[注 87] | 白 | ||||||
第4回 | 1953年12月31日 | 21:15 - 22:45 | 水の江瀧子 | 高橋圭三[注 87] | 北出清五郎[注 87] | 紅 | |||||
第5回 | 1954年12月31日 | 21:15 - 23:00 | 福士夏江[注 87] | 石井鐘三郎[注 87] | 紅 | ||||||
第6回 | 1955年12月31日 | 宮田輝[注 87] | 紅 (5-4) | ||||||||
第7回 | 1956年12月31日 | 21:05 - 23:00 | 白 | ||||||||
第8回 | 1957年12月31日 | 水の江瀧子 | 紅 (7-4) | ||||||||
第9回 | 1958年12月31日 | 21:10 - 23:35 | 黒柳徹子 | 紅 (7-4) | |||||||
第10回 | 1959年12月31日 | 21:05 - 23:35 | 中村メイコ | 紅 (7-4) | |||||||
第11回 | 1960年12月31日 | 21:00 - 23:40 | 白 | ||||||||
第12回 | 1961年12月31日 | 穂坂俊明[注 87] | 白 | ||||||||
第13回 | 1962年12月31日 | 21:00 - 23:45 | 森光子 | 宮田輝[注 87] | 石井鐘三郎[注 87] | 白 | 80.4% | ||||
第14回 | 1963年12月31日 | 21:05 - 23:45 | 江利チエミ | 紅 (19-8) | 81.4% | ||||||
第15回 | 1964年12月31日 | 白 | 72.0% | ||||||||
第16回 | 1965年12月31日 | 林美智子 | 白 (14-11) | 78.1% | |||||||
第17回 | 1966年12月31日 | ペギー葉山 | 紅 (22-3) | 74.0% | |||||||
第18回 | 1967年12月31日 | 21:00 - 23:45 | 九重佑三子 | 北出清五郎[注 87] | 紅 | 76.7% | |||||
第19回 | 1968年12月31日 | 水前寺清子 | 坂本九 | 宮田輝[注 87] | 白 (10-7) | 76.9% | |||||
第20回 | 1969年12月31日 | 伊東ゆかり | 紅 (10-7) | 69.7% | |||||||
第21回 | 1970年12月31日 | 美空ひばり | 宮田輝[注 87] | 北出清五郎[注 87] | 紅 (81-79) | 77.0% | |||||
第22回 | 1971年12月31日 | 水前寺清子 | 鈴木文彌[注 87] | (不在) | (なし) | 白 (102-98) | 78.1% | ||||
第23回 | 1972年12月31日 | 佐良直美 | 山川静夫[注 87] | 荒川修 | 紅 (59-42) | 80.6% | |||||
第24回 | 1973年12月31日 | 水前寺清子 | (なし) | 紅 | 75.8% | ||||||
第25回 | 1974年12月31日 | 佐良直美 | 山川静夫[注 87] | 土門正夫[注 87] 中江陽三[注 87] |
金子辰雄 | (不在) | (なし) | 紅 | 74.8% | ||
第26回 | 1975年12月31日 | 相川浩[注 87] | (なし) | 白 | 72.0% | ||||||
第27回 | 1976年12月31日 | 紅 | 74.6% | ||||||||
第28回 | 1977年12月31日 | 白 | 77.0% | ||||||||
第29回 | 1978年12月31日 | 森光子 | 白 | 72.2% | |||||||
第30回 | 1979年12月31日 | 水前寺清子 | 中江陽三[注 87] | 紅 | 77.0% | ||||||
第31回 | 1980年12月31日 | 黒柳徹子 | 紅 | 71.1% | |||||||
第32回 | 1981年12月31日 | 生方惠一[注 87] | 金子辰雄 | (不在) | (なし) | 白 (22-11) | 74.9% | ||||
第33回 | 1982年12月31日 | 紅 (19-16) | 69.9% | ||||||||
第34回 | 1983年12月31日 | 鈴木健二[注 87] | タモリ | 古屋和雄 | 白 (19-10) | 74.2% | |||||
第35回 | 1984年12月31日 | 森光子 | 生方惠一[注 87] | 金子辰雄 | 紅 (31-2) | 78.1% | |||||
第36回 | 1985年12月31日 | 森昌子 | 千田正穂[注 87] | 紅 (22-11) | 66.0% | ||||||
第37回 | 1986年12月31日 | 目加田賴子[注 87] 斉藤由貴[注 88] |
千田正穂[注 87] 加山雄三[注 89] |
吉川精一[注 87] | (なし) | 白 | 59.4% | ||||
第38回 | 1987年12月31日 | 和田アキ子 | 加山雄三 | 金子辰雄 | (不在) | (なし) | 紅 (18-9) | 55.2% | |||
第39回 | 1988年12月31日 | 杉浦圭子[注 87] | 白 (19-8) | 53.9% | |||||||
第40回 | 1989年12月31日 | 1部 19:20 - 20:55 2部 21:00 - 23:45 |
三田佳子 | 武田鉄矢 | 松平定知[注 87] | 紅 (20-7) | 1部 38.5% 2部 47.0% | ||||
第41回 | 1990年12月31日 | 西田敏行 | 白 (13-4) | 1部 30.6% 2部 51.5% | |||||||
第42回 | 1991年12月31日 | 浅野ゆう子 | 堺正章 | 山川静夫[注 87] | 大塚範一 | 紅 (8-7) | 1部 34.9% 2部 51.5% | ||||
第43回 | 1992年12月31日 | 石田ひかり | 徳田章 | 白 (15-2) | 1部 40.2% 2部 55.2% | ||||||
第44回 | 1993年12月31日 | 1部 19:30 - 20:55 2部 21:00 - 23:45 |
森田美由紀[注 87] | 宮川泰夫 | 白 (18-9) | 1部 42.4% 2部 50.1% | |||||
第45回 | 1994年12月31日 | 1部 20:00 - 21:25 2部 21:30 - 23:45 |
上沼恵美子 | 古舘伊知郎 | 宮川泰夫[注 87] | 金子辰雄 | 紅 (9-8) | 1部 40.1% 2部 51.5% | |||
第46回 | 1995年12月31日 | 宮本隆治[注 87] 草野満代[注 87] |
水谷彰宏 | 白 (13-4) | 1部 44.9% 2部 50.4% | ||||||
第47回 | 1996年12月31日 | 松たか子 | 白 (9-4) | 1部 41.6% 2部 53.9% | |||||||
第48回 | 1997年12月31日 | 和田アキ子 | 中居正広 | 宮本隆治[注 87] | 白 (9-4) | 1部 40.2% 2部 50.7% | |||||
第49回 | 1998年12月31日 | 久保純子[注 87] | 紅 (9-4) | 1部 45.4% 2部 57.2% | |||||||
第50回 | 1999年12月31日 | 1部 19:30 - 21:20 2部 21:30 - 23:45 |
5代中村勘九郎 | 白 (7-6) | 1部 45.8% 2部 50.8% | ||||||
第51回 | 2000年12月31日 | 1部 19:20 - 21:25 2部 21:30 - 23:45 |
和泉元彌 | 阿部渉 | 紅 (9-4) | 1部 39.2% 2部 48.4% | |||||
第52回 | 2001年12月31日 | 1部 19:30 - 21:25 2部 21:30 - 23:45 |
有働由美子[注 87] | 阿部渉[注 87] | 三宅民夫[注 87] | 高市佳明 | 小野文惠 | 白 (9-4) | 1部 38.1% 2部 48.5% | ||
第53回 | 2002年12月31日 | 紅 (9-6) | 1部 37.1% 2部 47.3% | ||||||||
第54回 | 2003年12月31日 | 1部 19:30 - 21:20 2部 21:30 - 23:45 |
有働由美子[注 87] 膳場貴子[注 87] |
阿部渉[注 87] 高山哲哉[注 87] |
武内陶子[注 87] | 藤崎弘士 | 白 (15-0) | 1部 35.5% 2部 45.9% | |||
第55回 | 2004年12月31日 | 小野文惠[注 87] | 阿部渉[注 87] | 堀尾正明[注 87] | 住吉美紀 | 紅 (8-5) | 1部 30.8% 2部 39.3% | ||||
第56回 | 2005年12月31日 | 1部 19:20 - 21:25 2部 21:30 - 23:45 |
仲間由紀恵 | 山本耕史 | みのもんた 山根基世[注 87] |
黒崎めぐみ | 白 | 1部 35.4% 2部 42.9% | |||
第57回 | 2006年12月31日 | 前半 19:20 - 21:25 後半 21:30 - 23:45 |
中居正広 | 三宅民夫[注 87] 黒崎めぐみ[注 87] |
小田切千 | 島津有理子 | 白 (13-5) | 前半 30.6% 後半 39.8% | |||
第58回 | 2007年12月31日 | 中居正広 | 笑福亭鶴瓶 | 松本和也[注 87] 住吉美紀[注 87] |
塚原愛 | 白 | 前半 32.8% 後半 39.5% | ||||
第59回 | 2008年12月31日 | 仲間由紀恵 | 中居正広 | 松本和也[注 87] 小野文惠[注 87] |
山田康弘 | 神田愛花 | 白 | 前半 35.7% 後半 42.1% | |||
第60回 | 2009年12月31日 | 前半 19:15 - 20:55 後半 21:00 - 23:45 |
阿部渉[注 87] | 白 | 前半 37.1% 後半 40.8% | ||||||
第61回 | 2010年12月31日 | 前半 19:30 - 21:25 後半 21:30 - 23:45 |
松下奈緒 | 嵐 | 小松宏司 | 黒崎めぐみ | テリー伊藤 松本和也[注 87] |
(不在) | 白 | 前半 35.7% 後半 41.7% | |
第62回 | 2011年12月31日 | 前半 19:15 - 20:55 後半 21:00 - 23:45 |
井上真央 | 橋本奈穂子 | テリー伊藤 | 神田愛花[注 87] | 紅 | 前半 35.2% 後半 41.6% | |||
第63回 | 2012年12月31日 | 堀北真希 | 有働由美子[注 87] | 青井実 | テリー伊藤 小松宏司[注 87] |
(不在) | 白 | 前半 33.2% 後半 42.5% | |||
第64回 | 2013年12月31日 | 綾瀬はるか | 吉田一貴 | 久保田祐佳 | テリー伊藤 | 橋本奈穂子[注 87] | 白(9-4) | 前半 36.9% 後半 44.5% | |||
第65回 | 2014年12月31日 | 吉高由里子 | 青井実 | 首藤奈知子 | バナナマン | 久保田祐佳[注 87] | 白 | 前半 35.1% 後半 42.2% | |||
第66回 | 2015年12月31日 | 綾瀬はるか | 井ノ原快彦 | 黒柳徹子 有働由美子[注 87] |
高山哲哉 | 中川緑 | 紅 | 前半 34.8% 後半 39.2% | |||
第67回 | 2016年12月31日 | 有村架純 | 相葉雅紀 | 武田真一[注 87] | 二宮直輝 | 寺門亜衣子 | 橋本奈穂子[注 87] | 紅(9-6) | 前半 35.1% 後半 40.2% | ||
第68回 | 2017年12月31日 | 二宮和也 | 内村光良 桑子真帆[注 87] |
小郷知子 | 塚原愛[注 87] | 白 | 前半 35.8% 後半 39.4% | ||||
第69回 | 2018年12月31日 | 広瀬すず | 櫻井翔 | 小松宏司 | 千葉美乃梨 | サンドウィッチマン | 渡辺直美 雨宮萌果[注 87] |
白(2-1) | 前半 37.7% 後半 41.5% | ||
第70回 | 2019年12月31日 | 綾瀬はるか | 内村光良 和久田麻由子[注 87] |
田村直之 | 片山千恵子 | 山里亮太 | 渡辺直美 杉浦友紀[注 87] |
白(2-1) | 前半 34.7% 後半 37.3% | ||
第71回 | 2020年12月31日 | 前半 19:30 - 20:55 後半 21:00 - 23:45 |
二階堂ふみ | 大泉洋 | 内村光良 桑子真帆[注 87] |
赤木野々花 | 渡辺直美 | 紅 | 前半 34.2% 後半 40.3% | ||
司会者統一制 | |||||||||||
回数 | 放送日 | 放送時間 | 女性司会 | 男性司会 | アナウンサー | ラジオ実況[注 87] | テレビ放送副音声 | 優勝 | 視聴率 | ||
男性 | 女性 | 男性 | 女性 | ||||||||
第72回 | 2021年12月31日 | 前半 19:30 - 20:55 後半 21:00 - 23:45 |
川口春奈 | 大泉洋 | 和久田麻由子[注 87] | 佐藤俊吉 | 浅野里香 | (なし) | 紅 (2-1) | 前半 31.5% 後半 34.3% | |
第73回 | 2022年12月31日 | 前半 19:20 - 20:55 後半 21:00 - 23:45 |
橋本環奈 | 大泉洋 櫻井翔[注 90] |
桑子真帆[注 87] | 渡辺健太 | チョコレートプラネット | 杉浦友紀[注 87] | 白(2-1) | 前半 31.2% 後半 35.3% | |
第74回 | 2023年12月31日 | 橋本環奈 浜辺美波 |
有吉弘行 | 高瀬耕造[注 91] | 森田茉里恵 | パンサー | 鈴木奈穂子[注 87] | 紅(3-0) | 前半 29.0% 後半 31.9% | ||
第75回 | 2024年12月31日 | 前半 % 後半 % |
※視聴率はビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。第1 - 12回の視聴率はビデオリサーチ設立前のため記録なし[100]。
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先攻トップバッターを務めたチームで色付きがないのである不明のケースが分かったら色を加えるようよろしくお願い致します。 |
色付きの枠が先攻トップバッター(不明のケースもある)。( )は通算出場回数、[ ]は通算トップバッター回数を示す。
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大トリを務めたチームで色付きがないのである不明のケースが分かったら色を加えるよう宜しくお願い致します。 |
色付きの枠が大トリ(不明のケースもある)、太字が究極の大トリ。( )は通算出場回数、[ ]は通算トリ回数を示す。
回数 | 放送年 | 紅組トリ | 白組トリ | ||
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歌手 | 曲目 | 歌手 | 曲目 | ||
第1回 | 1951年 | 渡辺はま子(初) [初] | 桑港のチャイナ街 | 藤山一郎(初) [初] | 長崎の鐘 |
第2回 | 1952年 | 渡辺はま子(2) [2] | 火の鳥[注 102] | 藤山一郎(2) [2] | オリンピックの歌 |
第3回 | 1953年1月 | 笠置シヅ子(2) [初] | ホームラン・ブギ | 灰田勝彦(2) [初] | 野球小僧 |
第4回 | 1953年12月 | 淡谷のり子[注 103](初) [初] | アデュー | 藤山一郎(4) [3] | 丘は花ざかり |
第5回 | 1954年 | 渡辺はま子(4) [3] | 東京の薔薇 | 霧島昇(3) [初] | 石狩エレジー |
第6回 | 1955年 | 二葉あき子(6) [初] | バラのルンバ | 藤山一郎(6) [4] | ニコライの鐘 |
第7回 | 1956年 | 笠置シヅ子(4) [2] | ヘイ・ヘイ・ブギ | 灰田勝彦(4) [2] | 白銀の山小舎で |
第8回 | 1957年 | 美空ひばり(2) [初] | 長崎の蝶々さん | 三橋美智也(2) [初] | リンゴ花咲く故郷へ |
第9回 | 1958年 | 美空ひばり(3) [2] | 白いランチで十四ノット | 三橋美智也(3) [2] | おさらば東京 |
第10回 | 1959年 | 美空ひばり(4) [3] | 御存知弁天小僧 | 春日八郎(5) [初] | 東京の蟻 |
第11回 | 1960年 | 島倉千代子(4) [初] | 他国の雨 | 三橋美智也(5) [3] | 達者でナ |
第12回 | 1961年 | 島倉千代子(5) [2] | 襟裳岬 | 三波春夫(4) [初] | 文左たから船 |
第13回 | 1962年 | 島倉千代子(6) [3] | さよならとさよなら | 三橋美智也(7) [4] | 星屑の街 |
第14回 | 1963年 | 美空ひばり(8) [4] | 哀愁出船 | 三波春夫(6) [2] | 佐渡の恋唄 |
第15回 | 1964年 | 美空ひばり(9) [5] | 柔 | 三波春夫(7) [3] | 俵星玄蕃 |
第16回 | 1965年 | 美空ひばり(10) [6] | 柔 | 橋幸夫(6) [初] | あの娘と僕〜スイム・スイム・スイム〜 |
第17回 | 1966年 | 美空ひばり(11) [7] | 悲しい酒 | 三波春夫(8) [4] | 紀伊国屋文左衛門 |
第18回 | 1967年 | 美空ひばり(12) [8] | 芸道一代 | 三波春夫(9) [5] | 赤垣源蔵 |
第19回 | 1968年 | 美空ひばり(13) [9] | 熱祷 | 橋幸夫(9) [2] | 赤い夕陽の三度笠 |
第20回 | 1969年 | 美空ひばり(14) [10] | 別れてもありがとう | 森進一(2) [初] | 港町ブルース |
第21回 | 1970年 | 美空ひばり(15) [11] | 人生将棋 | 森進一(3) [2] | 銀座の女 |
第22回 | 1971年 | 美空ひばり(16) [12] | この道をゆく | 森進一(4) [3] | おふくろさん |
第23回 | 1972年 | 美空ひばり(17) [13] | ある女の詩 | 北島三郎(10) [初] | 冬の宿 |
第24回 | 1973年 | 島倉千代子(17) [4」 | からたち日記 | 北島三郎(11) [2] | 帰ろかな |
第25回 | 1974年 | 島倉千代子(18) [5] | 襟裳岬 | 森進一(7) [4] | 襟裳岬 |
第26回 | 1975年 | 島倉千代子(19) [6] | 悲しみの宿 | 五木ひろし(5) [初] | 千曲川 |
第27回 | 1976年 | 都はるみ(12) [初] | 北の宿から | 五木ひろし(6) [2] | 愛の始発 |
第28回 | 1977年 | 八代亜紀(5) [初] | おんな港町 | 五木ひろし(7) [3] | 灯りが欲しい |
第29回 | 1978年 | 山口百恵(5)[初] | プレイバックPart2 | 沢田研二(6) [初] | LOVE (抱きしめたい) |
第30回 | 1979年 | 八代亜紀(7) [2] | 舟唄 | 五木ひろし(9) [4] | おまえとふたり |
第31回 | 1980年 | 八代亜紀(8) [3] | 雨の慕情 | 五木ひろし(10) [5] | ふたりの夜明け |
第32回 | 1981年 | 森昌子(9) [初] | 哀しみ本線日本海 | 北島三郎(19) [3] | 風雪ながれ旅 |
第33回 | 1982年 | 都はるみ(18) [2] | 涙の連絡船 | 森進一(15) [5] | 影を慕いて |
第34回 | 1983年 | 水前寺清子(19) [初] | あさくさ物語 | 細川たかし(9) [初] | 矢切の渡し |
第35回 | 1984年 | 都はるみ(20) [3] | 夫婦坂〜好きになった人[注 104] | 森進一(17) [6] | 北の螢 |
第36回 | 1985年 | 森昌子(13) [2] | 愛傷歌 | 森進一(18) [7] | 女もよう |
第37回 | 1986年 | 石川さゆり(9) [初] | 天城越え | 森進一(19) [8] | ゆうすげの恋 |
第38回 | 1987年 | 和田アキ子(11) [初] | 抱擁 | 五木ひろし(17) [6] | 追憶 |
第39回 | 1988年 | 小林幸子(10) [初] | 雪椿 | 北島三郎(25) [4] | 年輪 |
第40回 | 1989年 | 石川さゆり(12) [2] | 風の盆恋歌 | 北島三郎(26) [5] | 夜汽車 |
第41回 | 1990年 | 都はるみ(22) [4] | 千年の古都 | 森進一(23) [9] | おふくろさん |
第42回 | 1991年 | 和田アキ子(15) [2] | あの鐘を鳴らすのはあなた | 谷村新司(5) [初] | 昴-すばる- |
第43回 | 1992年 | 由紀さおり(13) [初] | 赤とんぼ〜どこかへ帰ろう | 北島三郎(29) [6] | 帰ろかな |
第44回 | 1993年 | 石川さゆり(16) [3] | 津軽海峡・冬景色 | 北島三郎(30) [7] | まつり |
第45回 | 1994年 | 都はるみ(26) [5] | 古都逍遥 | 五木ひろし(24) [7] | 気笛 |
第46回 | 1995年 | 和田アキ子(19) [3] | もう一度ふたりで歌いたい | 細川たかし(21) [2] | 望郷じょんから |
第47回 | 1996年 | 坂本冬美(9) [初] | 夜桜お七 | 北島三郎(33) [8] | 風雪ながれ旅 |
第48回 | 1997年 | 安室奈美恵(3) [初] | CAN YOU CELEBRATE? | 五木ひろし(27) [8] | 千曲川 |
第49回 | 1998年 | 和田アキ子(22) [4] | 今あなたにうたいたい | 五木ひろし(28) [9] | 酒ひとり |
第50回 | 1999年 | 和田アキ子(23) [5] | あの鐘を鳴らすのはあなた | 北島三郎(36) [9] | まつり |
第51回 | 2000年 | 天童よしみ(5) [初] | 道頓堀人情 | 五木ひろし(30) [10] | 山河 |
第52回 | 2001年 | 和田アキ子(25) [6] | 夢 | 北島三郎(38) [10] | 山 |
第53回 | 2002年 | 石川さゆり(25) [4] | 天城越え | 五木ひろし(32) [11] | おふくろの子守唄 |
第54回 | 2003年 | 天童よしみ(8) [2] | 美しい昔 | SMAP(12) [初] | 世界に一つだけの花 |
第55回 | 2004年 | 小林幸子(26) [2] | 雪椿 | 五木ひろし(34) [12] | 雪燃えて |
第56回 | 2005年 | 天童よしみ(10) [3] | 川の流れのように | SMAP(13) [2] | Triangle |
第57回 | 2006年 | 川中美幸(19) [初] | ふたり酒 | 北島三郎(43) [11] | まつり |
第58回[注 105] | 2007年 | 石川さゆり(30) [5] | 津軽海峡・冬景色 | 五木ひろし(37) [13] | 契り |
第59回 | 2008年 | 和田アキ子(32)[7] | 夢 | 氷川きよし(9)[初] | きよしのズンドコ節 |
第60回 | 2009年 | DREAMS COME TRUE(13) [初] | その先へ 〜紅白スペシャルバージョン〜[注 106] | 北島三郎(46)[12] | まつり |
第61回 | 2010年 | DREAMS COME TRUE(14)[2] | 生きてゆくのです♡ feat. ザ紅白スペシャルブラスバンド |
SMAP(18)[3] | This is love '10 SPメドレー[注 107] |
第62回 | 2011年 | 石川さゆり(34) [6] | 津軽海峡・冬景色 | SMAP(19)[4] | SMAP AID 紅白SP[注 108] |
第63回 | 2012年 | いきものがかり(5)[初] | 風が吹いている | SMAP(20)[5] | SMAP2012'スペシャル[注 109] |
第64回[注 110] | 2013年 | 髙橋真梨子(2) [初] | for you… | SMAP(21)[6] | Joymap!![注 111] |
北島三郎(50) [13] | まつり | ||||
第65回[注 112] | 2014年 | 松田聖子(18) [初] | あなたに会いたくて〜Missing You〜 | 嵐(6) [初] | 2014 Thanks Medley[注 113] |
第66回 | 2015年 | 松田聖子(19) [2] | 赤いスイートピー | 近藤真彦(10) [初] | ギンギラギンにさりげなく |
第67回 | 2016年 | 石川さゆり(39) [7] | 天城越え | 嵐(8) [2] | 嵐×紅白スペシャルメドレー[注 114] |
第68回 | 2017年 | 石川さゆり(40) [8] | 津軽海峡・冬景色 | ゆず(8) [初] | 栄光の架橋 |
第69回[注 115] | 2018年 | 石川さゆり(41)[9] | 天城越え | 嵐(10)[3] | 嵐×紅白スペシャルメドレー[注 116] |
特別企画 サザンオールスターズ(5)[初] 希望の轍〜勝手にシンドバッド | |||||
第70回 | 2019年 | MISIA(4) [初] | アイノカタチメドレー[注 117] | 嵐(11)[4] | 嵐×紅白 スペシャルメドレー[注 118] |
第71回 | 2020年 | MISIA(5) [2] | アイノカタチ | 福山雅治(13)[初] | 家族になろうよ |
第72回 | 2021年 | MISIA(6) [3] | 明日へ 2021[注 119] | 福山雅治(14)[2] | 道標 〜紅白2021ver.〜 |
第73回 | 2022年 | MISIA(7) [4] | 希望のうた | 福山雅治(15)[3] | 桜坂 |
第74回 | 2023年 | MISIA(8) [5] | 紅白スペシャル2023[注 120] | 福山雅治(16)[4] | 「HELLO~想望」 紅白スペシャルメドレー |
毎回、視聴率が非常に高いことで知られる(1月2日公表)。第13回(1962年)のビデオリサーチによる調査開始以降での最高視聴率は第14回(1963年)の81.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。以下略)[75]。1980年代前半までは「お化け番組」「怪物番組」とも称された。最低視聴率は第74回(2023年)の29.0%(前半)である。ほぼ毎回、年間視聴率では民放の人気番組を抑え上位にランクインしており、ほとんどの回で1位となっている[注 121]。毎分視聴率についても一般に公表(1月3日前後)され、どの歌手の部分の視聴率が高かったかも話題となることがある。
紅白で披露されたアーティストの曲が翌年初頭の音楽チャートに少なからず影響を与える。2000年代以前はレコード・CD売上、2010年代以降はダウンロード売上・ストリーミング再生数といった音楽配信で影響が顕著に表れる。この現象は俗に「紅白効果」と呼ばれている[103]。また紅白歌唱を機に注目され大ヒット・再ヒットした楽曲を翌年の紅白で連続して歌唱するというケースもみられる(その際、再度の「紅白効果」が生まれたというケースもある)。「紅白効果」はヒット曲のみならず、歌い継がれる「名曲」をも生み出すとの向きもある[104]。
紅白出演後(翌年)に紅白で歌われた曲がオリコンシングルチャートで週間1位を獲得したケースは以下の通り。
紅白出演後(翌年)に紅白で歌われた曲がBillboard Japan Hot 100で週間1位を獲得したケースは以下の通り。
進行にあたっては、台本と合わせてカンペも用意される[注 123]。司会者に対し、スタッフから開始早々のタイミングで「巻き」(スタッフから出演者に早く進行するよう指示が入ること)が入ることも珍しくなく、放送内でアドリブを入れることもなかなかできないという[107]。そのほか、司会者が生本番内で言い間違いや失言をして話題となった事例がある(1980年代ごろまでは司会者の言い間違いなどのハプニングは一切許されないというほどの厳格さがあったが、のちにこのような演出やハプニングはある程度認められるようになった)。これに関連して総合司会経験者の宮本隆治は「NHKホールには魔物が住んでいる」「これまで多くの魔物が先輩の司会者たちを苦しめてきた」と語っている[108]。ただし、これらは現代紅白のものであり、1970年代ごろまでは司会者によるアドリブや自由演出がごく当たり前のように行われていた。一例として、第21回(1970年)では本番内において、白組司会の宮田輝が白組歌手の橋幸夫に対し、歌唱曲を当初予定の『俺たちの花』から『いつでも夢を』に変更することを持ちかけて歌唱させたという出来事があった。
第57回(2006年)までは大部分を両組司会がそれぞれ下手(紅組)、上手(白組)(第4回〈1953年12月〉のみ逆であった)に分かれて別々に進行するものだったが、第58回(2007年)からは一部を除き下手席で両組司会が揃って進行する形となった。
一方で、その「予定調和」を逆手に取り、アーティストが番組にも無断で不意打ちパフォーマンスを行うこともある。紅白でのパフォーマンスなのでのちに大問題になり、アーティストがNHKに出入り禁止を喰らうこともある。これまでのおもなパフォーマンスとしては、以下が挙げられる(詳しくは当該の回やアーティストの項目を参照)。
なお、第57回(2006年)の募集から、応募資格が次のいずれかに制限されることになった。
これにより、NHKの受信料を滞納、もしくは不払いの者は応募できなくなる。これはほかの公開放送番組の応募(例:『うたコン』)で実施されていたものと同様である。
備考[注 132]
備考[注 133]