PZL 104 ヴィルガ(PZL 104 Wilga)は、ポーランドのPZLで設計、製造された多用途機である。短距離離着陸(STOL)性能に優れ不整地にも強いため、多数の派生型が製造された。
ヴィルガ(Wilga)とはポーランド語でニシコウライウグイスを意味する。
PZL 104は主に航空スポーツ、特にグライダー曳航やパラシュート訓練に使用するために設計された。初期のヴィルガ 1の試作機はポーランド製のPZL WN-6RB 220 hp水平対向エンジンを搭載し1962年4月24日に初飛行を行った。ヴィルガ 1は様々な欠点を露呈し、その中で最も深刻な問題は重量が過大であることと搭乗員が曳航しているグライダーを視認できないことであった。この結果、機体はBronisław ŻurakowskiとAndrzej Frydrychewiczが率いる設計チームにより徹底的に再設計され、最初の設計と共通なのは汎用構成品と翼の1部のみであった。。側面ドアは上方へ開き、観測がより容易なように及びパラシュート降下がし易いようにドアを開けたまま飛行することができた。
新しい派生型のPZL 104 ヴィルガ 2は1963年8月1日に初飛行を行ったが、少数しか生産されなかった(後にヴィルガ 3とヴィルガ C規格に換装された)。225 hpのコンチネンタルO-470 水平対向エンジンを搭載したインドネシア向けの輸出モデルのヴィルガ C(又はヴィルガ 2C)が1963年12月30日に初飛行を行った。ヴィルガ 2の機体設計が成功した一方でWN-6エンジンの信頼性は完全ではなくシリーズ生産には入らなかった。これにより260 hpのイフチェンコ AI-14R 星型エンジンを装着することが決定され、これがPZL 104 ヴィルガ 3となり1965年12月31日に初飛行を行った。新しいエンジンはより強力であったが水平対向エンジン用にデザインされた前のモデルの簡潔で細い胴体ラインを損なっていた。それでもなおこの新しいモデルは成功作であり、特に最軽荷重状態での上昇率は最大11 m/sという高いものであった。数少ない欠点の中の1つは比較的不経済なエンジンであった。コンチネンタル製の水平対向エンジンを搭載した改良型のもう1つの派生型ヴィルガ 32が少量輸出され、このモデルはインドネシアでゲラティック(Gelatik)としても生産された。ヴィルガ 3が13機生産された後で幾つかの改良が施された。最も特筆すべきものは安定性の改善のために主車輪と尾輪の間隔を2.12 m から 2.83 mに広げたことだった。PZL 104 ヴィルガ 35と命名された改良型は1967年6月29日に初飛行を行い、その後量産に入った。最も多いヴィルガ 35の派生型は多用途機のヴィルガ 35Aでその他のものは少数か試作機であった。
1979年からアメリカ市場向けに認証を受けた改良型のヴィルガ 80が生産に入った。1990年代末にはライカミング・エンジンズ製の水平対向エンジンを搭載し、空力的な改善が図られたPZL 104M ヴィルガ 2000系が開発された。
935機のヴィルガ 35と80を含む、全てのモデルで1,000機以上のヴィルガが生産された。これは最も多量に生産されたポーランド製の航空機であった。EADS-PZL社は同社のウェブサイト上でPZL 104MA ヴィルガ 2000の生産を停止することを発表した。
PZL 104は金属製構造の片持ち式高翼単葉の通常の型式の機体であり、強度を高め軽量を維持するために表皮は条の通った薄い金属で覆われている。スロッテッド(隙間)フラップとスラット付の長方形の1本桁主翼とセミモノコック構造の胴体で、両側に上開き式の大きなドアを持つ4座のキャビンを持っていた。固定尾輪式の降着装置は前脚が車輪の近くで後ろに折れる特徴的な設計である。当初から舗装されていない飛行場での離着陸を想定していたため農業機としても利用された。一部の派生型は前脚にスパッツを取り付けている。また操縦席からの視界が良好なためパトロール機としても利用された。
主翼に2つの燃料タンク(約195L)を搭載している。
ヴィルガはポーランドでは専ら遊覧飛行、グライダー曳航、パラシュート降下訓練に使用されており、ほとんどがポーランドの航空クラブで運用され、地域の航空クラブでの基本的な機種である。ポーランド人操縦士の飛ばすヴィルガは1978年から2006年までのFAI世界飛行ラリーと飛行精度競技大会で数々の賞を獲得した。
(ヴィルガ 35A)[2]