Phew | |
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生誕 | 1959年9月12日(65歳) |
ジャンル |
パンク・ロック ニュー・ウェイヴ 電子音楽 |
職業 | 歌手 |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 |
1979年 - 1980年代前半 1987年 - |
レーベル | パス・レコードほか |
共同作業者 | アーント・サリー |
Phew(フュー、1959年9月12日 - )は、日本の女性ロック歌手。1979年にアーント・サリーのメンバーとしてデビュー。パンク・ロック、ニュー・ウェイヴ、電子音楽のジャンルで活動を続けている。
大阪府出身。高校時代に偶然NHKで放送していたセックス・ピストルズを聴き、同年代の若者によるアンチ・キリスト的な表現にカルチャーショックを受ける。1977年夏に渡英し様々なパンク・バンドを生で観て、帰国後の1979年にパンク・バンド「アーント・サリー」を結成[1]。
芸名の「Phew」は英語で「やれやれ、あーあ」というため息を表す語で、アーント・サリーのギタリストのBikke(ビッケ)が「あなたはPhew」と言ったことに由来する。またトレードマークとなるベレー帽もBikkeのアイデアによる。
アーント・サリー解散後、ソロ歌手として活動するようになり、パス・レコードと契約。坂本龍一のプロデュースでシングル『終曲(フィナーレ)/うらはら』を1980年3月25日発表。シングル発売後、パス・レコードのプロモーション・ツアーに参加。バックバンドは坂本と後藤美孝であった。
1981年にアルバム『Phew』を西ドイツ・ケルンにあるコニー・プランクのスタジオで制作。レコーディング・メンバーは、コニー・プランク、ホルガー・シューカイ、ヤキ・リーベツァイト、後藤美孝。同年6月にパス・レコードから発売。数回のライブに出演後、音楽活動を中断。のちに音楽雑誌のインタビューで「音楽活動中断中に何をしていたか」と質問され「普通に就職し、OLをやってお茶くみしていた」と述べている。
1987年に活動を再開。アルバム『View』を発表、近藤達郎、大津真らが参加。1991年10月21日にアルバム『Songs』を発表、恒松正敏、高橋豊、大津真、藤本敦夫、藤井信雄らが参加。1992年にはアルバム『Our Likeness』を再びコニー・プランクのスタジオで制作。イギリスのミュート・レコードからりリリースされ、同レーベルから作品を発表した最初の日本人アーティストとなった。
1994年には大友良英らと「Novo Tono」を結成、1996年にCDを発表。
2000年代以降は、山本精一とのユニット「MOST」として活動を開始、2001年にCDを発表。2010年には15年ぶりのソロ名義で初のカバー・アルバムとなる『ファイヴ・フィンガー・ディスカウント - 万引き』を発表。クラスターのメビウスが楽曲提供し、2012年春、小林エリカと「Project Undark」を結成。ソロやユニットでライブ活動、アルバム制作を定期的に行う。