SB2U ヴィンディケイター
チェサピーク
SB2U ヴィンディケイター(Chance Vought SB2U Vindicator)はヴォート社が開発した艦上爆撃機である。折りたたみ式の主翼や引き込み脚を持つ、当時としては近代的な急降下爆撃機であった。イギリスでもチェサピークの名で練習機として運用された。
アメリカでの愛称の「ヴィンディケイター (Vindicator)」は、擁護者の意である。また、イギリスでの愛称の「チェサピーク (Chesapeake)」は、ヴァージニア州の原住民のチェサピーク族のこと。
海軍による募集の際、既に開発が大幅に進んでいたカーチス・ライト社のXSBC-3以外では、グレート・レイクス社のXB2Gは開発断念、グラマン社のXSBFは開発断念により偵察機SFとして使用、ブルースターのXSBAは生産性の高い海軍工廠への移転生産によりSBNと改称されたが生産に遅れが出てしまい、ノースロップ社のXBTは少数生産ののち、改良のためダグラス社への移転生産によりSBDに改称されるといった具合で、計画通りに製造が行われたのは、このSB2Uのみであった。
開発は1934年6月より開始され、1934年10月11日に、XSB2Uとして、アメリカ海軍より試作機の発注が行われた。初飛行は1936年1月4日。
1937年12月より部隊に配属が開始され、ダグラス社製SBD ドーントレスが配備されるまでの主力艦上爆撃機として使用された。またフランスにも輸出され、V-156Fとして1939年に40機が発注され、同年9月3日より引き渡しが開始された。仏海軍向けに仕様が変更されており、各種兵装の他、プロペラピッチを逆ピッチにして使用するダイブブレーキは主翼上下に取り付けた細い板状のダイブブレーキに変更されている。第一海軍爆撃航空団傘下のAB1、AB3二個飛行隊に12機づつ配備され第二次世界大戦初期の独仏戦に使用されたが、大した活躍もないまま敗戦を迎えることとなり、ヴィシー政権下で残存機全てがスクラップとして廃棄された。
太平洋戦線ではミッドウェー海戦にミッドウェー基地航空隊として参加しており、1機が(被弾により帰投できなくなったため)重巡洋艦「三隈」に体当たり攻撃を仕掛けたことで知られる。
尚、フランスへの輸出分の内、フランス降伏によって発注分が宙に浮いてしまった機体は、イギリスが引き取りチェサピーク (Chesapeake) の名前で標的曳航や訓練に使用した。
制式名称 | SB2U-1 | SB2U-2 |
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試作名称 | XSB2U | |
全幅 | 12.80m | |
全長 | 10.36m | |
全高 | 3.12m | |
翼面積 | 28.33m2 | 28.34m2 |
翼面荷重 | 101kg/m2 | 102kg/m2 |
自重 | 2,121kg | 2,138kg |
正規全備重量 | 2,868kg | 2,893kg |
発動機 | P&W R-1535-96 ツインワスプ・ジュニア(離昇825馬力)1基 | |
巡航速度 | 365km | |
最高速度 | 402km/h(高度2,895m) | 404km/h(高度2,895m) |
着艦速度 | 106km/h | |
上昇力 | 5,000mまで10分36秒 | |
実用上昇限度 | 8,350m | 8,382m |
航続距離 | 1,128km(500ポンド(226.8kg)爆弾搭載時) | 1,014km(500ポンド(226.8kg)爆弾搭載時) |
武装 | AN/M2 7.62mm機関銃 右主翼 1挺・後席旋回 1挺 | |
爆装 | 500ポンド爆弾 もしくは1000ポンド爆弾1発 | |
乗員 | 2名 | |
生産数 | 54機 | 58機 |
型名 | 局番号[注釈 1] | 機体写真 | 所在地 | 保存施設 | 公開状況 | 状態 | 備考 |
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SB2U-2 | 1383 | アメリカ合衆国フロリダ州ペンサコーラ | 国立海軍航空博物館[1] | 公開 | 静態展示 | 公式サイト |