UWA世界ウェルター級王座は、UWAが管理、認定していた王座。
1997年、LLIが解散。
LLIが解散後もユニバーサル・プロレスリング、新日本プロレス、レッスル夢ファクトリー、闘龍門Xでタイトルマッチが行われていた。
2004年、空位となって事実上封印状態となる。
歴代 | 選手 | 戴冠回数 | 獲得日付 | 獲得場所 (対戦相手・その他) |
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初代 | ビジャノ3号 | 1 | 1975年12月4日 | メキシコシティ ウラカン・ミラレス |
第2代 | エル・ソラール | 1 | 1977年5月29日 | メキシコシティ |
第3代 | ボビー・リー | 1 | 1978年7月16日 | ヌエボ・レオン州モンテレイ |
第4代 | エル・シグノ | 1 | 1979年6月24日 | バハ・カリフォルニア州ティフアナ |
第5代 | グリンゴ | 1 | 1980年4月13日 | ヌエボ・レオン州モンテレイ |
第6代 | エル・テハノ | 1 | 1980年9月7日 | メキシコシティ 1982年2月10日空位 |
第7代 | ロボ・ルビオ | 1 | 1982年5月30日 | メキシコシティ エル・マテマテコ |
第8代 | エル・マテマテコ | 1 | 1982年10月17日 | メキシコシティ |
第9代 | ブルー・パンテル | 1 | 1984年12月16日 | メキシコシティ |
第10代 | ブラックマン | 1 | 1986年2月9日 | メキシコシティ |
第11代 | レイ・リチャード | 1 | 1987年9月3日 | メキシコシティ |
第12代 | 浅井嘉浩 | 1 | 1988年7月29日 | メキシコシティ |
第13代 | チャルレス・ルセロ | 1 | 1988年10月9日 | ヌエボ・レオン州モンテレイ |
第14代 | エル・イホ・デル・サント | 1 | 1990年4月27日 | ヌエボ・レオン州モンテレイ |
第15代 | エル・エスパント・ジュニア | 1 | 1992年5月12日 | メキシコシティ |
第16代 | セレスティアル | 2[1] | 1992年6月25日 | メキシコシティ |
第17代 | スペル・デルフィン | 1 | 1993年5月7日 | 後楽園ホール |
第18代 | ザ・グレート・サスケ | 1 | 1993年7月24日 | マッハランド駐車場特設会場 |
第19代 | スペル・デルフィン | 2 | 1993年8月24日 | JCTVスタジオ |
第20代 | セレスティアル | 3 | 1993年8月28日 | メキシコシティ |
第21代 | カルロフ・デカルデ・ジュニア | 1 | 1994年1月30日 | メヒコ州ナウカルパン |
第22代 | エル・イホ・デル・サント | 2 | 1994年5月25日 | メヒコ州トラルネパントラ・デ・バス |
第23代 | 保永昇男 | 1 | 1994年11月18日 | 広島県立総合体育館 |
第24代 | 大谷晋二郎 | 1 | 1994年12月13日 | 大阪府立体育会館 |
第25代 | 金本浩二 | 1 | 1995年4月16日 | 広島サンプラザ |
第26代 | グラン浜田 | 1 | 1995年9月22日 | 愛知県体育館 1995年返上 |
第27代 | スペル・クレイジー | 1 | 1995年11月17日 | メヒコ州ネサワルコヨトル レイ・ブカネロ |
第28代 | キッド・グスマン | 1 | 1997年10月 | メヒコ州ネサワルコヨトル |
第29代 | スペル・クレイジー | 2 | 1998年6月15日 | 博多スターレーン |
第30代 | オリエンタル | 1 | 2000年10月13日 | コアウイラ州トレオン 2001年2月返上 |
第31代 | ネメシス | 1 | 2001年9月23日 | コアウイラ州トレオン 6人タッグマッチで勝利チームのキャプテンが獲得[2] |
第32代 | レイ・クエルボ | 1 | 2002年4月14日 | イダルゴ州トゥランシンゴ 2003年5月空位 |
第33代 | 石森太二 | 1 | 2003年5月11日 | メキシコシティ スペル・クレイジー 2004年8月29日王座預かり |
第34代 | 南野たけし | 1 | 2004年9月9日 | 後楽園ホール パイナップル華井 2004年封印 |