WEWシングル王座(ダブリュー・イー・ダブリュー・シングルおうざ)は、FMWが管理、WEWが認定していた王座。
1995年5月5日、大仁田厚の引退により、始まった「新生FMW」と呼ばれたデスマッチ路線を展開していた。
1997年、大仁田の復帰、外様であった冬木弘道の台頭で迷走を始める。
1998年3月、デスマッチ路線からエンターテイメント路線へと展開を図った。7月6日、新制度として統一機構を発表。
1999年5月31日、冬木がコミッショナーに就任して徐々に進行させていたエンターテイメント路線を一気に推進することを決める。その前段階として統一機構、年間シリーズの予定を白紙撤回する強権発動を行った。6月、冬木はFMWが管理している王座を全て封印して王座認定組織「WEW」を発足してWEW王座を創設。
歴代 | 選手 | 戴冠回数 | 獲得日付 | 獲得場所 (対戦相手・その他) |
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初代 | 冬木弘道 | 1 | 1999年 | 日本 不明 |
第2代 | 田中将斗 | 1 | 1999年11月23日 | 横浜アリーナ |
第3代 | 黒田哲広 | 1 | 2000年1月5日 | 後楽園ホール 2000年5月1日返上 |
第4代 | 冬木弘道 | 2 | 2000年5月5日 | 駒沢オリンピック公園屋内球技場 黒田哲広 |
第5代 | 黒田哲広 | 2 | 2001年4月1日 | 後楽園ホール |
第6代 | ハヤブサ | 1 | 2001年5月5日 | 月寒グリーンドーム |
第7代 | 金村キンタロー | 1 | 2001年8月1日 | 駒沢オリンピック公園屋内球技場 |
第8代 | 冬木弘道 | 3 | 2002年1月6日 | 後楽園ホール 2002年2月15日封印 |