Xマル・ドイッチラント Xmal Deutschland | |
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出身地 | 西ドイツ ハンブルク |
ジャンル |
ノイエ・ドイチェ・ヴェレ ポストパンク ゴシック・ロック ダーク・ウェイヴ ニュー・ウェイヴ オルタナティヴ・ロック ドリーム・ポップ |
活動期間 | 1980年 - 1990年 |
レーベル | ZickZack、4AD、X-ile、Metronome |
共同作業者 | ディス・モータル・コイル |
旧メンバー |
Anja Huwe Manuela Rickers Fiona Sangster Rita Simonsen Caro May Wolfgang Ellerbrock Manuela Zwingmann Peter Bellendir |
Xマル・ドイッチラント[1](イクスマル・ドイッチラント、Xmal Deutschland)は、しばしば「X-Mal Deutschland」とも表記される、1980年から1990年まで存在した西ドイツ・ハンブルク出身の音楽グループである[2]。1980年に全員が女性メンバーというラインナップで結成され、母国ドイツばかりでなく国内外でチャートにおけるヒットメーカーとなった[3]。バンドのリード・シンガーはボーカリストのAnja Huwe。Xマル・ドイッチラントの最終アルバムは1989年にリリースされた。
Xマル・ドイッチラントは1980年にドイツのハンブルクでAnja Huwe(ボーカル)、Manuela Rickers(ギター)、Fiona Sangster(キーボード)、Rita Simonsen(ベース)、Caro May(ドラム)によって結成された。最初のシングル「Schwarze Welt」は、1年後にAlfred HilsbergのZickZackレーベルからリリースされた[3]。バンドはまた、レーベルのオムニバス・アルバム『Lieber Zuviel Als Zuwenig』(ZZ 45)にも収録された。この頃、Rita Simonsenが、Wolfgang Ellerbrockに交代した[3]。
1982年に、バンドはゴシック・ロックのクラシックである「深淵 (Incubus Succubus)」をリリースした。ドラマーのCaro Mayがバンドを脱退し、新しいバンドを結成することになった。同年、空いたドラマーのポジションは、Manuela Zwingmannによって埋められた。ドイツのリスナーは初めの頃は受容的ではなかったが、コクトー・ツインズのためのイギリス・ツアーのオープニング・アクトが独立レーベルの4ADとの契約をもたらした[3]。彼らのデビュー・アルバムである『フェティシュ』と、シングル「Qual」と「Incubus Succubus II」が1983年にリリースされ、ドイツ語で書かれた楽曲を演奏したにもかかわらず、3作品すべてが全英インディーチャートに載ることとなった[3]。
Manuela Zwingmannが1年後にバンドを脱退し、Peter Bellendirが交代した[3]。この時の、Huwe / Rickers / Sangster / Ellerbrock / Bellendirというラインナップが最も長く続いた。シングル「Reigen」とアルバム『突進』が1984年にリリースされ、続く1985年にワールド・ツアーが行われた。『突進』は全英アルバムチャートで86位に達した[4]。
『Sequenz EP』は、実際のところ、1985年4月30日に録音され、1985年5月13日に放送された「ジョン・ピール・セッション」のリメイクだった。EPには、「Jahr Um Jahr II」、「Autumn」(「Qual」「Young Man」「TagfürTag」に登場した英語の短いフレーズを除けば、英詞が入ったバンド初の楽曲)と「Polarlicht」が収録され、「ジョン・ピール・セッション」で演奏された「Der Wind」は省略された。
ストラングラーズのヒュー・コーンウェルがプロデュースしたシングル「Matador」は、1986年にリリースされた。Xマル・ドイッチラントは、ロンドンのウェンブリー・アリーナにおけるコンサートでストラングラーズのオープニング・アクトも担当し、ストラングラーズのイギリス・ツアー全公演をサポートした。彼らの次作となったアルバム『Viva』はハンブルクでレコーディングされて、1987年にリリース[3]、その後にシングル「Sickle Moon」が続いた。『Viva』には、エミリー・ディキンソンの詩を含む、多数の英語による歌詞が収録されている。この時期に、バンドはファンジン『House of Dolls』のためにJamie Meakesからインタビューを受けている。
『Viva』リリース後、Manuela Rickers、Fiona Sangster、Peter Bellendirがグループを脱退した。Anja HuweとWolfgang Ellerbrockは、ギターのFrank Z(Abwärts)と一緒にバンドを続けた。音楽プロデューサーのHenry Starosteがキーボードを演奏、スタジオ・ドラマーのCurt Cressが加わることでラインナップがまとまり、1989年のアルバム『Devils』と[3]、シングル「Dreamhouse」「I'll Be Near You」をレコーディングした。これはXマル・ドイッチラントの最後のリリースでもあり、メインストリーム・ポップへの方向転換を示している。
グループは1990年に数回のライブに出演してから、同じ年の後半、最終的に解散した[3]。