さかなクン | |
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生誕 |
宮澤 正之(みやざわ まさゆき) 1975年8月6日(49歳) 日本・東京都葛飾区 |
居住 | 日本・千葉県館山市 |
国籍 | 日本 |
研究機関 | 東京海洋大学 |
主な業績 | |
プロジェクト:人物伝 |
さかなクンちゃんねる - FISH BOY - Sakana-kun | ||||||||
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人物 | ||||||||
国籍 | 日本 | |||||||
YouTube | ||||||||
チャンネル | ||||||||
活動期間 | 2020年 - | |||||||
ジャンル | 釣り、魚 | |||||||
登録者数 | 40.8万人 | |||||||
総再生回数 | 4125万9963回 | |||||||
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さかなクン(1975年〈昭和50年〉8月6日[1][2][3] - )は、日本の魚類学者、タレント、イラストレーター、東京海洋大学客員教授。
東京都葛飾区生まれ[4]、神奈川県綾瀬市育ち、千葉県館山市在住[5]。本名は宮澤 正之(みやざわ まさゆき)[1][2][6][7][8]。父は囲碁棋士の宮沢吾朗九段[9]。アナン・インターナショナル所属[10]。
魚の生態や料理法についての豊富な知識で知られ[11]、講演や著作活動などを中心に活動している。2006年に東京海洋大学客員准教授に就任。特定非営利活動法人自然のめぐみ教室海のめぐみ教室室長[12] でもある。一般向けの講演では、広い世代に魚について理解をしてほしいと、難解な言葉を極力使わない解説や自作のイラストを用いるなどの工夫を心掛けている。また、タレントとしても活動の幅を広げている。
綾瀬市立北の台小学校[13]、綾瀬市立北の台中学校[14]、神奈川県立綾瀬西高等学校[15][16]を卒業した。東京水産大学(現在の東京海洋大学)入学を目指したが入試で不合格となり、日本動物植物専門学院(現在は廃校)に進学。当初は水産科を志望していたが、既に廃止されていたためにアニマルケアー科に入った。
水槽がたくさんある「水槽学」だと勘違いして部活見学に行ったことをきっかけに、吹奏楽部に入部。パーカッションが第一志望だったが、緊張でバチを飛ばしてしまい、第二志望のトロンボーンを担当させられる。
中学校3年生の時に学校で飼育していたカブトガニ19個体の人工孵化に成功した[17]。カブトガニの人工孵化は非常に珍しく、新聞にも取り上げられた。「水槽が狭くてかわいそうだなあ」という理由で決まった時間に外に出していたら、カブトガニがそれを潮の満ち引きと誤認したのが原因だという。
高校の吹奏楽部ではバスクラリネットを吹くことになる[18]。そのため、サクソフォンとコントラバスクラリネットの演奏にも長けている。
1993年、高校3年生の時にテレビ東京系のバラエティ番組『TVチャンピオン』の「第3回全国魚通選手権」で準優勝したことを皮切りに、その後同番組で5連覇を達成し、殿堂入りを果たす。その後は、同番組の問題用イラストを提供したり、スタジオゲストや判定員、時には挑戦者の相手役兼審判にまわって魚通選手権に登場した。公式YouTubeチャンネルで本人によると、現在の芸名である「さかなクン」は小学生後半辺りから気づいたら周りの友人達にそう呼ばれていたとの事。さかなクン曰く「自然にみんながつけてくれた」。高校3年生から出演していたTVチャンピオン時代には既に現在のキャラクターと変わらず、少し緊張していたが、正解すると子供のように感情を表に出して元気に飛び跳ねながら甲高い声で明るく喋る姿で人気を博した。当時は現在のトレードマークである帽子は被っておらず、初登場時の姿は高校の詰襟制服だった。
専門学校卒業後は、20歳の頃から聖蹟桜ヶ丘の魚類専門のペットショップで、1階では店舗の切り盛り、店舗の2階では寝泊りという形で、住み込みの雇われ店長として働く。働いていたある日、「1人では寂しいだろう」と、お客さんから猫(品種: エジプシャンマウ)を貰い、以後の16年間をその猫と共に過ごす[19]。水族館や観賞魚販売店など、魚に関係するアルバイトを転々とし、寿司屋で働いていた時、店内で魚のイラストを描いたところ、それらを見た他店舗や企業から絵の依頼が舞い込むようになった。アルバイトを継続しながら兼業イラストレーターとして活動を始める。テレビのドキュメンタリー番組に出演したことで、株式会社アナン・インターナショナル会長の目に留まり、水族館での絵の展示などをサポートしてもらえるようになった。それ以降、魚専門のサイエンスライターとしても活動している。
2006年、東京海洋大学客員准教授に就任する。小学校の卒業文集に将来の夢として「水産大学の先生になることです。研究したことを、いろいろみんなに伝えてあげたいからです」と書いており、その夢が実現したことになる(東京海洋大学の前身のうちの一つが東京水産大学)。
2010年には京都大学教授の中坊徹次の依頼でクニマスのイラスト執筆を担当した際、参考のために近縁種のヒメマスを全国から取り寄せたが、このうち西湖の個体にクニマスに似た特徴をもつものを見つけ、中坊に提示した。このことがきっかけとなり、田沢湖のクニマスが西湖で生存していることが判明[14]。絶滅種とされていたクニマスの再発見(レッドリストでの「絶滅」から「野生絶滅」への指定変更)に大きく貢献した(詳しくはクニマスを参照)。これにより魚類学者でもある第125代天皇明仁より名指しで感謝の意を伝えられた。天皇が日本国民一個人の名前をあげ、このような意を伝えることは極めて稀有である。
クニマスについては、私には12歳の時の思い出があります。この年に、私は、大島正満博士の著書「少年科学物語」の中に、田沢湖のクニマスは酸性の水の流入により、やがて絶滅するであろうということが書かれてあるのを読みました。そしてそのことは私の心に深く残るものでした。それから65年、クニマス生存の朗報に接したわけです。このクニマス発見に大きく貢献され、近くクニマスについての論文を発表される京都大学中坊教授の業績に深く敬意を表するとともに、この度のクニマス発見に東京海洋大学客員准教授さかなクン始め多くの人々が関わり、協力したことをうれしく思います。—天皇明仁、『天皇陛下お誕生日に際し[20]』2010年
また、海に関する研究や啓蒙活動に貢献した「海洋立国推進功労者」として、2012年7月13日に内閣総理大臣賞を受賞した。
2015年3月18日に東京海洋大学から名誉博士の称号が授与され、都内で名誉博士称号授与式が行われた[21]。2015年12月25日に“渚の駅”たてやまの名誉駅長に就任、さかなクンギャラリーが渚の博物館内1階に開設された[22]。
2022年、イシガキフグの研究などが評価され、東京海洋大学の客員教授に昇格[23]。
現在はインタープリター (自然)として活躍しているが、そのイメージとは違い、学校の勉強は非常に苦手であり、小学校から高校まで成績は悪かった。小学校から興味の無い科目がほとんどだった。高校の三者面談では担任から「授業に集中せず、魚の絵ばかり描いている。家庭で注意してくれ」と叱られたが、母親は「魚が好きで、絵を描くことが大好きなんです。だからそれでいいんです」と答えた。担任は「あのね 将来困るのはお子さんなんですよ。絵の才能を伸ばすために絵の先生をつけて勉強させてあげたらいいじゃないですか?」と続けたが、母親は「そうするとその先生と同じ絵になってしまいます。自分の好きなように描いてもらいたいんです。今だって誰にも習わずに自分であれだけのものを描いてます。それでいいんです。」と返した[24]。
さかなクンは母親について「いつもどんなときでも変わりませんでした。その姿勢に、いつもいつも助けられていました。私は一度たりとも、お魚を見たい、飼いたい、描きたいといった自分の中からわき出てくる思いを、ギャマン(我慢)した記憶がないのですから」「今まで、一度たりともこのお魚好きを、自分自身で恥ずかしいとか、変だと思うことがなかったのは、母の力が大きかったかもしれません」と話した[25]。
「
年齢については~歳と答えず「成魚だ」と答えている[27]。
「ご」と読む言葉を「ギョ」と発音する[28]。これは数字にも適用されており、「5年前」であれば「ギョ年前」と変換する[29]。
自身の半生を描いた映画『さかなのこ』の試写会イベントでは40分間で20回以上「ギョ」を連発した[30]。
メディアに登場する際は、頭にハコフグのぬいぐるみ帽子をかぶっていることが多く、これを固持する。国会に登院した際には特例で帽子の着用が認められた。さかなクンは「帽子ではない。私の皮膚だ」と断言している[31]。
2001年4月29日放送の『どうぶつ奇想天外!』に出演した(同番組2回目の出演)際の伊豆の海に潜るロケでかぶったのが最初で、同番組のディレクターから「(さかなクンの)印象が薄い」と言われたことがきっかけで、このロケでは明るくハイテンションだった。当初は帽子とは決めておらず、着ぐるみなども考えていた。幼少期に魚屋の水槽でハコフグが他の魚に迫害されながらも懸命に泳いでいた姿に心打たれたことを思い出し、「ハコフグに元気をもらおう」と5面図を描いて依頼した[32]。
2009年10月11日に開催された日本魚類学会の研究発表会に第125代天皇が出席した際にも、さかなクンは帽子は脱がずに同席している(詳細は後述)[注 1][34]。
ハコフグ帽は冬用、夏用(メッシュ加工され、通気性が良い)、水中用(スキューバなどで海に潜る際着用)、クロマキー用(通常は青だが、クロマキーがブルーバックだと青の部分が透けるので、ハコフグの青の部分が黒くなっている)、教壇用(大学の校章が入っている)などが存在する。
2015年11月30日に亡くなった漫画家水木しげるのお別れの会が翌年1月31日開かれた際に、このクロマキー用を着用したことがネット上で話題となった[35] が、クロマキー用は黒い部分に白い斑点が付いているのに対しお別れ会で着用したものにはそれが付いていないため別のモデルである。
2016年のCM、キリン「氷結 あたらしくいこう さかなクン編」では目、点を除く全体が黒色のハコフグ帽を着用した。またCM内で共演した東京スカパラダイスオーケストラのMVにコラボ出演した際には銀色の物を着用している。
アメリカの人気ラッパーであるスヌープ・ドッグが被った帽子がさかなクンのものに似ているということが話題になり、アメリカの音楽ニュースサイト「Rap-Up」でも、スヌープの帽子は『“Sakana-kun” headwear』と報じられた[36]。
2020年(令和2年) 2月12日、第201通常国会・参議院国際経済・外交に関する調査会で参考人として水産資源の管理などについて意見陳述を行なったが[37][38][39]、その際、帽子を被ることが特例的に認められた[40]。これは帽子、外とう、襟巻、傘、つえの類の着用・携帯を禁止した議院規則[41][42]を踏まえれば異例であり、過去には1991年(平成3年)11月に社会党(当時)の衆院議員・長谷百合子がベレー帽を被ったまま国会議場に登院し、問題になったこともあった[43]。参議院事務局によれば、 さかなクンから「通常の服装でよろしいでしょうか?」と要望があり、2020年2月5日、調査会の前に行われた理事会で、自民党の鶴保庸介会長が、「さかなクンの帽子は、品位、礼節に欠いたものにはならない」との見解のもと各会派に問い合せたところ、各会派の賛成を得たという[44]。調査会に出席したさかなクンは記者団に対し、「ギョギョっと緊張した。帽子は皮膚の一部と申し上げており、私は特殊な部類かと思うが、お認めいただき本当にありがたい。お魚にもっと興味を持ってもらいたい」と述べた[45]。
2024年(令和6年)5月、毎月のように赤坂御用地を訪れ、秋篠宮文仁親王に魚に関する講義をしているとの報道がなされた。その際、トレードマークであるハコフグの帽子をとらずに、秋篠宮邸に入ることを許されていることが判明した。[46]
母親曰く、赤子の頃から絵を描いていたとのことで、絵の才能に長けており、それを活かしてイラストレーターとしても活動、仕事の柱の一つとなっている。細部へのこだわりは凄まじく、魚の背びれの棘の数、鱗の数、側線にあいている穴の数にいたるまで正確に再現している[11]。クニマスの発見も、京都大学の中坊徹次教授からイラストを依頼され、より正確に、生き生きとした姿を描きたいという理由で、近縁種のヒメマスを参考として各地から取り寄せたことがきっかけとなった。
幼少期、特に好きだった漫画家は水木しげる。その後、魚に興味を抱かなかったら「妖怪クン」になっていただろうと話す[47]。好きな妖怪は「やまびこ」。水木しげるの描く妖怪を好きになる以前はトラック(特に清掃車)に夢中であったらしい。現在の愛車は三菱ふそう・キャンターの4代目。
2014年から、プロの指揮者や演奏家とともに、管楽器愛好者が集まって大合奏を行う「ブラス・ジャンボリー」に毎年特別ゲストとして参加、サクソフォンの演奏を披露している[48]。 2016年2月には、キリン「氷結」のCMにて、黒いハコフグの帽子をかぶったバスサックスプレイヤー「GYO」に扮し、東京スカパラダイスオーケストラとのセッションを披露した[49]。また、同年4月14日・15日にはスカパラの公演にてスペシャルゲストとして、同年9月18日には氣志團万博にて、再びスカパラと共演した[50][51]。
5,000種以上の魚やその料理法についての知識がある。魚を食べることも好きであり「あまり見ない魚はとにかく食べ、またその際には骨まで食べ尽くす」という方針で、これまでに食べた魚は500種類を超える[52]。
「一生懸命生きているお魚達のパワーを頂くからには、食べ残さず骨まで美味しく頂く事が一番の供養」であるといい、実際に2024年1月12日放送の、ギョギョッとサカナ★スターではサンマを骨まで食べた。同番組では魚の餌まで食べたいと言い出すなど、共演者の香音が怪訝な顔でさかなクンを見つめる様子もみられる[53]。9月13日放送の同番組ではアカザエビの殻を「硬くない」と言いながらボリボリと食べた。香音は「さかなクンの硬くないは信用できない」と言ったが、さかなクンの言葉を信じて殻を食べようとした。しかし、さかなクンが「あっでもやめたほうがいいかも。硬いかもしれない」と制したことで香音は「やっぱりそうなんだ」と殻を食べるのをやめた[54]。11月15日の放送ではハモ捕獲のための餌であるイカを、突如口にした。さかなクンは「新鮮ですね。おいしいです」と話したが、突然の行動に香音は「え??!!さかなクン??!!え?駄目ですよ!」と番組スタッフに目線を送りながら驚愕し、「さかなクンは新鮮さを確かめるために食べました。真似しないでください」というテロップが表示された[55]。
バラエティ出演時も、時折料理の腕前も披露するほか、カツオやタコなどの捌き方も実践で紹介している。
アルバイト歴は複数あるが、水族館や魚類専門のペットショップ、魚屋、寿司屋など、魚に関係する仕事のみだった。
魚ほどではないが爬虫類・両生類に関してもかなりの知識を持ち、飼育・繁殖の経験もある。
徹子の部屋に初出演した際にも普段のように「ギョ」や駄洒落を連発、いつも通り大きなリアクションでさかなクンらしさを演出したが、黒柳徹子はほとんど反応しなかった。この放送を観た明石家さんまは、これまで観たバラエティ番組で一番面白かったと話している。
2006年12月、朝日新聞が連載していた「いじめられている君へ / いじめている君へ」[56] に短いエッセイ文を寄稿(タイトルは「広い海へ出てみよう」)。吹奏楽部内でいじめられていた友人のそばにいてあげた自身のエピソードと魚たちを小さい水槽に大量に入れたらいじめが発生してしまう経験を「いじめ」と結びつけ「小さな世界に入れられるとどうしてもいじめが起きる。それは人間も魚も同じ。でも世界はもっと広い。居場所を見つけてみよう」という文章が大きな反響を得る[57]。さかなクンのこのエッセイを抜き出して絵本にした『さかなのなみだ』(2007年、リヨン社、ISBN 4-576-07071-1、ISBN 978-4-576-07071-1)が出版された他、2007年1月8日、フジテレビ系バラエティ番組「SMAP×SMAP」の特番『いま、いじめている君へ…』にも出演を果たしている。また、中学校の道徳の教科書(光村図書出版)に「魚の涙」として掲載されている[58]。
イギリスの公共放送局であるBBCのコメディ番組「Adam and Joe」の東京編「Adam and Joe Go Tokyo」で日本のサブカルチャーを紹介する企画に魚に詳しい魚人間として登場している。この際も普段のさかなクンとしてテンションを維持したまま登場した[59]。
携帯電話には、全国の研究者の連絡先がズラリと並んでおり、またそのネットワークは全国各地の漁師町にも及んでいる。オフの日には親しい漁師を訪ねて漁に同行させてもらい、情報を集めることもあるが、船にタダで乗せてもらう恩返しとして必ず漁を手伝うことにしている。
京都大学教授の中坊徹次や写真家の中村征夫とも、共同で本を出版するなど親交が厚い。
お笑いタレントの鈴木拓は中学・高校の同級生である[60]。鈴木からは時折「ミー坊」と呼ばれている。鈴木によると、さかなクンは当時から鉛筆、消しゴム、下敷きなど持ち物は全部魚関係の物で、授業中に隠れて教科書に魚の絵を描いたり、机の中でフグなどの剥製を撫でていたとのこと。また、高校2年頃からテレビ出演もあり周りは「こいつはすごい人なんだ」と意識するようになり、高校3年時にはファンレターが届いたが、女子からモテモテということはなかった[60]。
また、親しい著名人としてはEXILEのMAKIDAI[61]や片岡鶴太郎[62]などがいる。
同じ魚類学者でもある上皇(明仁)と面識があることでも知られる。2009年の日本魚類学会の年会で中坊徹次に紹介され、明仁天皇(当時)と対面し、「お子さまたちのために頑張ってください」と声をかけられた[63]。翌日の天皇誕生日を控えて行われた2010年12月22日の記者会見で、明仁は「この度のクニマス発見に東京海洋大学客員准教授さかなクン始め多くの人々が関わり、協力したことをうれしく思います」と述べ、クニマス発見に功績があった人物として中坊とともにさかなクンらの名を挙げている[64]。これについてさかなクンは「ギョエー!、これは夢じゃないかなと思ってびーっくりしてしまいました。『さかなクン始め』というのは、一緒にたずさわった皆様を激励してくださっているということがすギョく伝わりました」とのコメントをしている[63][65]。明仁から徳仁への皇位継承にあたっては「国民のことをたくさんたくさん思ってくださって、常に私たち一人一人のことを温かく思ってくださった。震災時にはすぐにおみ足を運んでくださり、優しさと安心感にジーンと心があたたかくなりました。日本で生まれてよかったなという気持ちにさせていただける。うれしくありがたい気持ちでいっぱいです。私たちが計り知れないほどのご公務をたくさんたくさんお務めになられていらっしゃると存じますので、少しでもご休息されるお時間をおつくりいただけますように。世界的に偉大なご研究者でいらっしゃるので、これからも、私たちが知らない色々なお魚をはじめ、自然科学の楽しさ面白さ素晴らしさをぜひとも教えて頂きたいです。家族みんなで学ばせていただけるようなご機会をちょうだいできたら幸せと存じます」と述べている[63]。
肉も摂取する[66]。
食用にも観賞用にもならない売れない魚を漁師から貰い受け、フィッシュハウスと呼ぶ魚飼育専用の建物で育てている。なお、テレビ番組などで自宅を公開される際に映されるのは、ほとんどの場合このフィッシュハウスである[14]。また、魚の他にも、ミミという名前の猫(エジプシャンマウ)を飼っている。
『読売新聞』では「子どものファンの夢を壊さないため、本名も公表していない」[67] と報じているが、著書には本名が記載されている[1]。また、TVチャンピオン出場当時は一般人であったため、本名で出場している。
年齢や生年月日についても様々に報じられている。年齢について鈴木拓と中学、高校で同級生だったエピソードがあるほか、著書に記載されている[1][60][68]。
とある番組ロケで司会の共演者から「さっき男の子と一緒にいるのを見て親子みたいだったけど」と言われるも首を傾げつつも否定しつつも、さかなクンというブランドイメージを大事にしておりキャラ設定のためどっちとかのイメージもつけたくなく内緒だと語っていた。好きなタイプを聞かれたときには「明るい女性」と答えたものの「私はお魚に一途なので」とあくまでもさかなクンとしての回答を強調した[69]。
NHK広報局のツイッターアカウントが、絶滅したとされていたクニマス発見の話題を取り上げた際、「さかなクン」と発言したことに対し、「さかなクンには『さかなクンさん』と敬称をつけるべきだ」という内容の投稿が数多く寄せられ、同アカウントにて、NHKの広報局員が「大変申し訳ありませんでした。お詫びして訂正いたします」と謝罪する事態になった[70][71]。しかし、実際に寄せられた投稿の多くに見られる「さんをつけろよデコ助野郎」というのは、大友克洋作の漫画『AKIRA』から派生したネット上で多用されているジョークであり、芸名に敬称を含む知名度のある人物についてでも度々見られるフレーズでもある。つまり、投稿されていた多くは冗談であり、真実を知ったNHKの広報局員は「冗談だとは知らなかった」「みんなひどい」「どうしてこんなに多くの方からお叱りを頂くのか分からず、胃が痛くなっていた」「力が抜けた。安心はしたが(当時深夜まで寄せられた言葉一つ一つに返答、謝罪していたため)電気も空調も止まっている」などと発言した[71][72]。
こうした議論に対してさかなクンは2012年1月13日にBSジャパン『デキビジ』に出演し、司会者の勝間和代から「さかなクンさんと呼んだほうがいいか」と確認された際に「『さかなクンさん』などと敬称を付ける必要はなく、そのまま呼んでほしい」とお願いしている[70]。
第201回国会の調査会に出席した際の議事録には、「さかなクン君」と表記されている[39]。なお、参議院調査会の会長として進行役を務めた鶴保庸介は、「さかなクン」と呼び議事を進めた。