でんでん | |||||||||||
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本名 | 緒方 義博(おがた よしひろ) | ||||||||||
別名義 | 田所 完一 | ||||||||||
生年月日 | 1950年1月23日(74歳) | ||||||||||
出生地 | 日本・福岡県中間市 | ||||||||||
身長 | 174 cm | ||||||||||
血液型 | A型 | ||||||||||
職業 | 俳優、元お笑い芸人 | ||||||||||
ジャンル | テレビドラマ・映画・舞台 | ||||||||||
活動期間 | 1980年 - | ||||||||||
配偶者 | あり | ||||||||||
事務所 | アルファエージェンシー | ||||||||||
公式サイト | プロフィール | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
テレビドラマ 『コラ!なんばしよっと』 『あまちゃん』 『タクシードライバーの推理日誌』 『緊急取調室』 『おかえりモネ』 映画 『CURE』 『冷たい熱帯魚』 『あゝ、荒野』 | |||||||||||
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でんでん(本名:緒方 義博(おがた よしひろ)、1950年1月23日[1] - )は、日本の俳優、元・お笑い芸人である。福岡県中間市生まれ、水巻町育ち[2]。アルファエージェンシー所属。
高校卒業後、19歳の時に渥美清に憧れ、弟子入り志願のために上京するが、本人には会えず断念[3]。しかし東京に居れば何かしらチャンスが巡って来ると信じて帰郷せず[3]、遠い親戚で丸井に勤めている人のツテで、夏場にあった丸井の就職試験を受けて、丸井に就職。丸井で4年ほど、下北沢→池袋→横須賀と転勤しながらサラリーマンとして働く[3]。
そんな時に丸井時代の後輩が劇団ひまわりの募集広告を見せてくれたのをきっかけに、退社して劇団ひまわりに入団し、エキストラとして3か月ほど活動[3]。ひまわり退団後4年ほど、本人曰くパチンコ店や雀荘に頻繁に通うようなプータロー生活を送る[3]。しかしこのままではやはりいけないと思い立ち、28歳の頃に『金曜10時!うわさのチャンネル!!』のオーディションを受け、最終審査まで進んだものの最終結果が出る前にこの番組が終了し、この時はチャンスを逃す[3][4]。この頃周りから“でんでん”と呼ばれるようになった[5](後述)。
その後1980年、30歳の時に素人として『お笑いスター誕生!!』へ出演して8週勝ち抜き、金賞を獲得したのを機に
お笑い芸人時代はスタンダップコメディ調の芸風で、ディーン・マーティンの「誰かが誰かを愛してる」を出囃子に登場し、「よーうみんなぁー、ハッピーかい?」「(かけているサングラスをサッと外しながら)どうだい? 美しいだろぉー?」「今日はみんなにオイラのすばらしい歌を聞かせてやるぜ」「バーイ、センキュー」などの決め台詞でピン芸人として活動。
しかし、元々お笑い志望ではないため次作のネタが続かず、『お笑いスタ誕』の4本目以降は番組に内緒で放送作家に書いてもらったという[5]。
春風亭小朝と共演した「グリーン仁丹」のCMでも人気を博した。
1981年、森田芳光監督の映画『の・ようなもの』で俳優に転身。
1995年、ラサール石井、小宮孝泰らと「星屑の会」を結成。『星屑の町』シリーズや『ある晴れた日の自衛隊』シリーズなど水谷龍二作・演出の舞台に出演。
2010年には園子温監督の映画『冷たい熱帯魚』で、表では笑顔を見せながら裏では連続殺人鬼という二面性を持った熱帯魚店経営者を演じ、芸歴31年にして初の受賞となった第36回報知映画賞を皮切りに[6]、第35回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞など国内の助演男優賞を次々と受賞し、高い評価を得た。