ひこにゃん Hikonyan | |
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四番町スクエアのひこにゃん石像 | |
対象 | |
分類 | 市町村のマスコットキャラクター |
モチーフ | ネコ・兜・彦根城 |
デザイン | もへろん |
指定日 | 2006年(平成18年)4月13日 |
指定者 | 彦根市長 |
性別 | 不明 |
備考 | 「国宝・彦根城築城400年祭」で愛称が公募された |
公式サイト | ひこにゃん公式サイト |
ひこにゃんは、平成時代の日本のマスコットキャラクターの一つ。滋賀県彦根市のキャラクター[1]。愛称は1,167点の一般公募から選定された[2]。
江戸時代に同地にあった彦根藩の2代目藩主・井伊直孝に
2007年(平成19年)に築城400年を迎えた彦根城の記念イベント「国宝・彦根城築城400年祭」のイメージキャラクターとして登場し、全国規模で人気を博した。彦根城のマスコットとしての存続を願う多くの声を受け、イベント終了後も引き続き役割を担うこととなった。
「国宝・彦根城築城400年祭」のキャンペーンやグッズ等で登場し、その「ゆるさ」が話題を呼んだ。近年の「ゆるキャラ」ブームの火付け役として知られている。
通常はそのまま「ひこにゃん」と呼ばれているが、マスコットでありながら公式ブログで、スタッフに「モチ」呼ばわりされている。理由は、スタッフの知人がひこにゃんを見て「何?あの餅みたいなの」と発言したこと[4]がきっかけになっている。
経済的な利用方法として、キャラクターを使用する際に通常必要な著作権使用料を当初無料の許可制[注釈 1]にすることで個人・企業を問わず広く参加でき、築城400年祭を盛り上げる効果を狙うという新しい試みが行われた。著作権使用料を無料にすることで小規模企業を含めた様々な企業が参加し、イベントを通じて地域おこしを図る試みとして経済界からも注目された。ひこにゃんグッズとしては、普段は目につきにくい伝統工芸品の銅細工を始め、彦根の特産品や菓子など、様々な商品が閉幕後も販売され、観光客などに喜ばれている。さらに、全国的な認知を得てインターネットなどでも商品が販売された。反面、築城400年祭自体の認知度が「ひこにゃん」に追いついていかなかったという課題も発生した。
イベント終了後の2022年(令和4年)現在でも、ほぼ毎日彦根城に登場するが、他にも彦根市・滋賀県関連、井伊家に関するイベントなどにも参加することがある。
彦根市内にある四番町スクエアには石像が鎮座している。
江戸郊外武蔵国荏原郡世田ヶ谷村(現・東京都世田谷区豪徳寺)の豪徳寺で、彦根藩の2代目藩主・井伊直孝がにわか雨にあって大木の下で雨宿りをしていた際に、手招きをする白猫を見て近寄ったところ、直後に大木に雷が落ちた。この白猫のおかげで難を逃れたと感じた直孝は感謝し、のちに豪徳寺を井伊家の菩提寺とした。この白猫の伝説、いわゆる「招き猫発祥伝説」のひとつを元に想起された[5]。
なお、豪徳寺を含む世田谷の地は、1633年(寛永10年)に江戸幕府からより井伊家に下賜され、彦根藩所領地となっていた。これは現在の世田谷区のうち、面積にしておよそ半分程度にあたる。
2007年(平成19年)11月、ひこにゃんのキャラクターデザインを担当したもへろん(以下「原案者」)が彦根市(以下「市」)と400年祭実行委員会(以下「委員会」)に対し、キャラクターの使用中止を求める民事調停を彦根簡易裁判所(以下「彦根簡裁」)に申し立てた[20]。
この騒動は、委員会が400年祭のキャラクターとして原案者が猫をモチーフとして描いた「座る」「跳ねる」「刀を抜く」の3ポーズの3点のイラストを採用したことに始まる[21]。委員会と原案者が所属するデザイン会社はキャラクター著作権を買い取りの形で委員会へ帰属させる契約を交わし、この結果委員会は地元企業などに原則使用料無料として商用使用等の許可を出してきたものである[22]。
しかしその後、委員会ではなく市が著作権者として登記され、委員会が「お肉が好物」等の原案者が意図しない性格付けをした[23]。この新たな性格は近江牛の宣伝のために付加された[23]。また同件の権利者とされている市は、制作した時点のイラストにはない尾やポーズのついたキャラクター商品について企業から使用許可が申請された際にこれを許可したため、結果として「ぬいぐるみ」などで初期の設定にはない商品が販売された。なお、尻尾とポーズについてはイラストは前方からの3ポーズのキャラクターイメージしか存在せず、背面の設定はない。
そのため原案者は、
- デザイン会社は原案者の代理(表見代理)であり、許可した絵は3枚のイラスト画のみ
- 使用許可期間は委員会の運営期間である400年祭の開催中のみである
- 市の行為は作家の作品への愛着と苦労を無視するものである
と主張して著作者人格権(同一性保持権)を根拠に、市に対して400年祭終了以降の使用禁止の民事調停を申し立てた[24]。
この主張に対し、彦根市側は
- 著作権は契約に基づき委員会に帰属する
- これは財産権であり時間の経過により失効することはありえない
- 委員会が解散する際も手続きに基づき資産は処分される
- 市は委員会の依頼により権利行使を代行しているにすぎない
- 該当する権利行使は「対価を発生しない当該著作権の認可」のみである
- 社会通念上、行政処分においてこれを奇異とするにはあたらない
- 著作権に基づき、商品化の事案が発生するのも特異とするにあたらない
- そこではヌイグルミなどの商品も発生し、当該イメージと異なる場合もある
- 但、尻尾や嗜好は商品のイメージの一部に過ぎない
- この結果を以ってキャラクター全体の特性を変更したとは判断できない
- 契約の際にデザイン会社は『原案者』の代理であると意思表示していない
- この結果、原案者はデザイン会社の下請であると判断される
- この結果、原案者は委託者(原案者の同族会社)に著作者人格権を渡している
と反論、「申立人の主張には法的根拠が全くない」として事実関係を争う答弁書を市長自ら提出した。
2007年(平成19年)12月14日に彦根簡裁において民事調停が成立し、3ポーズ(座る、跳ねる、刀を抜く)の著作権を実行委が買い取り、市が商標登録し、彦根市のキャラクターとしてひこにゃんの使用を続行することが決定した[25]。市は上述の3ポーズのイラストのみ業者に使用を許可できるとすることで両者は合意した。
一方、この調停により、原案者はひこにゃんを絵本に限り創作活動を認められる事となった。[25]。
その後、原案者がひこにゃんと類似のキャラクターを「ひこねのよいにゃんこ」という独自ブランドで和解にあった絵本以外の様々なグッズを販売した[25]。市はこれに対し、2009年(平成21年)7月28日著作権や商標権を侵害しているとして市内の業者に「ひこねのよいにゃんこ」グッズの販売中止を求める文書を送達した[26][27]。
一方、原案者側からも、調停後も市が立体グッズ製作を業者に許可し、立体のぬいぐるみなどが登場している事に対し異論が出され、2011年(平成23年)12月24日、大阪地裁は両者が交わした調停に違反すると認定した。市は着ぐるみの使用についてはもともと争いはなく、着ぐるみと類似するグッズの販売も認められているとして翌1月、大阪高裁に即時抗告した[28]。
さらに市は、2011年(平成23年)3月、原案者やグッズ製造会社などを相手取り、ひこにゃんと類似キャラクターの製造・販売の差し止めや、損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。
1年8ヵ月もの間協議が進められた結果、2012年(平成24年)11月、両者は、類似キャラクターグッズの製造・販売の禁止、グッズを製造・販売した4業者は、解決金計370万円を彦根市に支払う、市が今後ひこにゃんの絵本やアニメをつくるときは原案者の同意を得るなどを条件として和解に至った[29]。
2013年(平成25年)3月18日、これまで使用を許可して来たイラスト3ポーズに加えて、着ぐるみの1ポーズについても使用出来るようになった[30]。和解によって二次的著作物の利用権が明確になったことで、実現に至った[31]。さらにポーズの制約により利用許諾料が3年間で7割を割り込むようになったのを受け、2016年(平成28年)7月25日に市と原作者の間で新たな覚書が締結され、「市からの要請を受けて原作者側が新たなイラストを制作すること」と「そのイラストの著作権も市が買い取り、原作者側は著作者人格権を行使しないこと」が合意された[32]。この合意により、ポーズの制約が事実上なくなり、動画の制作などができるようになった[32]。
2021年6月、同年4月に初当選した就任したばかりの和田裕行彦根市長と原案者もへろんが面会[33]。和田市長からは 「ひこにゃんは彦根城と並ぶ大切な存在。原作者に対し、リスペクトに欠けた部分があった」との謝罪がなされ、両者は未来志向での協力を合意した[34]。そして翌7月には、市長・原案者・ひこにゃんによってPR推進を広報する共同記者会見が開かれた。原案者はこの会見で公の場に初めて姿を見せただけでなく、原作者として市役所を訪れたのも初めてであり[35]、またひこにゃん(着ぐるみ)と初対面であった。会見では 「ひこにゃんのブランド推進に努め、魅力をたくさんの方に知っていただけるよう全力でサポートする」と記された協定書「ひこにゃんへのお約束」に三者がサイン。また同年8月から翌年1月までに毎月1ポーズずつを発表し、計10ポーズとすることが発表された[34][33]。