ほたるまち (Hotarumachi) は、大阪府大阪市福島区福島1丁目にある複合施設である。旧:大阪大学医学部附属病院跡地の再開発計画として2008年(平成20年)5月に開業した。
「水都・OSAKA α」プロジェクトの一環として開業した。現行町名は福島1丁目となっているが、旧町名は堂島浜通3丁目、すなわち、中州としての堂島に当たり、ほたるまち内の多くの施設の名称で「堂島」が使用されている。南西端は堂島川に架かる玉江橋、北西端は曽根崎川(埋立)に架かっていた浄正橋跡(上天神南交差点)となる。
放送局や多目的ホール、超高層マンション、レストラン、カフェ、スポーツジム、キャンパスなど、多様な施設から構成されており、隣接する大阪中之島合同庁舎と共に超高層ビル群を成している。ほたるまちに含まれる施設には朝日放送(テレビ・ラジオ)の本社や多目的ホールのABCホール、堂島リバーフォーラム、マンションのThe Tower Osaka、大阪芸術大学の「ほたるまちキャンパス」、ゴールドジムなどがある。
ほたるまちは、以下の大きく分けて3つの機能を備えた都市として開発された。
リバーレジデンス堂島の3階にはかつて慶應義塾大学の「慶應大阪リバーサイドキャンパス」があったが(現在は北区のグランフロント大阪内に移転している)、この地が同大学の創設者福澤諭吉の生誕地、中津藩蔵屋敷跡であることに加えて福澤は大坂にあった緒方洪庵の適塾で学んでいたという縁によるものである。なお、福澤諭吉生誕の記念碑は街開きの際に朝日放送社屋前に移築されている。
ほたるまちの街区は、江戸時代には中津藩などの蔵屋敷で占められていた。東側のNTTテレパーク堂島にも江戸時代には大村藩や丸岡藩などの蔵屋敷があったが、1871年の廃藩置県以降に破却された。これら田蓑橋北詰一帯の蔵屋敷跡地は大阪駅の建設予定地となったが、結局大阪駅は堂島ではなく梅田に建設された。
ほたるまちの街区にはその後、1883年から1902年まで現在の大阪府立北野高等学校、1902年から1910年まで現在の大阪府立大手前高等学校、1924年から1993年まで現在の大阪大学医学部附属病院が所在した。
1993年に大阪大学医学部附属病院が吹田市に移転した後、大阪市の諮問機関(大阪大学病院跡地利用懇談会)の提言の下、UR都市機構のコーディネートの下行われた事業コンペで計画が決定した。水都・OSAKAαプロジェクト推進協議会(UR都市機構、朝日放送(株)、(株)ビープラネッツ<ビーインググループ>、オリックス不動産(株)、三菱地所(株)、住友商事(株)、関電不動産(株)、京阪電鉄不動産(株))によって再開発が行われた。その後、2008年5月2日に街開きが行われた。