アイク・ケベック Ike Quebec | |
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出生名 | Ike Abrams Quebec |
生誕 | 1918年8月17日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ニュージャージー州ニューアーク |
死没 | 1963年1月16日(44歳没) |
ジャンル | スウィング・ジャズ、ハード・バップ、ソウル・ジャズ |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | テナー・サクソフォーン、ピアノ |
活動期間 | 1940年 - 1962年 |
レーベル | ブルーノート・レコード |
アイク・ケベック(Ike Quebec、1918年8月17日 ニューアーク – 1963年1月16日)は、ジャズ・サクソフォーン奏者。評論家のアレックス・ヘンダーソンは、「ケベックは、決して改革者ではなかったが、気息音のまじった朗々たる響きがよく目立った特徴であり、南部風のブルースやセクシーなバラード、アップテンポのアグレッションといった場合でも、徹底していた[1]」と評している。
元々は熟練したダンサーでありピアニストであったが、20代前半に楽器をテナー・サクソフォーンに替え、やがてサクソフォーン奏者として将来を嘱望されるようになった。1940年には録音活動も始めている。その後、フランキー・ニュートンやホット・リップス・ペイジ、ロイ・エルドリッジ[2]、 トラミー・ヤング、エラ・フィッツジェラルド、ベニー・カーター、コールマン・ホーキンスと共演した。1944年から1951年までの間はキャブ・キャロウェイと断続的に共演を続けている。またこの時期に、ブルーノート・レコードへの録音が行われ、さらにA&Rとして同レーベルのスカウトも兼ね、セロニアス・モンクやバド・パウエルらのピアニストが世に出るきっかけを作った。ケベックは初見演奏の能力に恵まれ、多くのブルーノート・レコードのセッションで即席の編曲家を務めることもあった。
部分的には薬物依存症との闘病生活のために、一方ではビッグ・バンドの人気が凋落したために、ケベックは1950年代を通じて散発的にしか録音しなかったが、それでも定期的な演奏活動を続けていた。ケベックはジャズの新たな展開に通じており、後にハード・バップやボサノヴァ、ソウル・ジャズの要素を取り入れて演奏している。1959年には、一連の録音によってブルーノート・レーベルへの復帰作に取り掛かる。同社の最高顧問アルフレッド・ライオンは、ケベックの音楽をずっと気に入っていたものの、十年ほど人目につかなくなっていたサクソフォーン奏者に聴衆がどう反応するかに不安を覚えた。しかし聴衆の好感を得て、たくさんのアルバムが温かく歓迎された。
1963年に肺がんのために早世した。