アイラ・ギトラー(Ira Gitler、1928年12月18日 - 2019年2月23日)は、アメリカののジャズ史家、ジャーナリスト。レナード・フェザーと共著した『The Biographical Encyclopedia of Jazz』(最新版は1999年に出版)の著者であり、1950年代初頭からジャズ・レコードのライナーノーツを何百本も執筆し、ジャズとアイスホッケーという2つの情熱をかけるものに関する本も数冊執筆した[1]。
ギトラーはニューヨークのブルックリン区でユダヤ人の家庭に生まれた。1930年代後半から1940年代にかけてスウィング・バンドを聴いて育ったが、その後、チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーらによる新しい音楽を発見していった。1950年代初頭には、プレスティッジ・レーベルのレコーディング・セッションにおける音楽プロデューサーとして働いた。1950年代後半にジョン・コルトレーンの演奏を表現するために「シーツ・オブ・サウンド」という用語を作ったとされている[2]。
ギトラーは1960年代に『ダウン・ビート』誌のニューヨーク編集者を務め、『メトロノーム』誌、『ジャズタイムズ』、『ジャズ・インプロヴ』、『モダン・ドラマー』、「ニューヨーク・タイムズ」、『サンフランシスコ・クロニクル』、『ヴィレッジ・ヴォイス』、『ヴァイブ』、『プレイボーイ』、『ワールド・モニター』、『ニューヨーク・マガジン』に寄稿した。海外では、『スイングジャーナル』(日本)、『ムジカ・ジャズ』(イタリア)、『ジャズ・マガジン』(フランス)に寄稿している。1974年にグッゲンハイム・フェローを受賞した[1]。
ギトラーは、ニュージャージー・ジャズ協会(2001年)とジャズ・ジャーナリスト協会(2002年)から生涯功労賞を受賞した[1]。
2017年、ギトラーはNEAジャズ・マスターズ・フェローシップを受賞した[3]。
ギトラーはアイスホッケーに情熱を傾け、このテーマに関する本を数冊執筆してきている。また、ニューヨーク・レンジャースやナショナル・ホッケー・リーグのかつての雑誌『Goal』にも寄稿した。彼は、2019年2月23日にニューヨークにて90歳で亡くなった[4]。