アウグステ・ファン・ペルス(Auguste van Pels、1900年9月29日 - 1945年4月9日)は、「アンネの日記」の著者アンネ・フランクの恋人ペーター・ファン・ペルスの母親。アンネの日記上では「ペトロネッラ・ファン・ダーン」名になっている。ホロコースト犠牲者。
ドイツのゲルゼンキルヒェン生まれ。旧姓レットゲン。アウグステの従兄弟によると「いたって大胆だが、家庭的な面もあり、根っからの中流育ちで他人を傷つけるようなことはほとんどしない女性」であったという。1925年12月5日にヘルマン・ファン・ペルスと結婚する。1926年11月8日に一人息子ペーターを儲ける。夫を「プティ」の愛称で呼び、自分は「ケルリ」の愛称で呼ばれていた。ナチ党政権誕生後の1937年6月にペーターやヘルマンとともにオランダのアムステルダムへ亡命。オランダがドイツ軍に占領されたのち、ファン・ペルス一家はアンネ・フランクのフランク一家とともに隠れ家生活に入り、後にフリッツ・プフェファーも合流する。アンネ・フランクの日記からは、アンネ自身と折り合いが悪く、何かとフランク一家の各人とも衝突する様子や、事あるごとに怯え恐れる様子などが窺える。隠れ家生活は2年余に及んだが、1944年8月4日に密告を受けて出動した保安警察のカール・ヨーゼフ・ジルバーバウアーSS曹長率いる警察部隊により隠れ家メンバーは全員逮捕された。ベルゲン・ベルゼン強制収容所でのアンネとの再会を経て、1945年2月6日にブーヘンヴァルト強制収容所のサブキャンプであるラグン収容所へ移送された後、テレージエンシュタット強制収容所へ送られる途中で死亡したとみられている。