獲得メダル | ||
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アウドゥン・ボイセン | ||
ノルウェー | ||
陸上競技 | ||
オリンピック | ||
銅 | 1956 メルボルン | 男子800 m |
ヨーロッパ陸上選手権 | ||
銅 | 1954 ベルン | 男子 800 m |
銀 | 1958 ストックホルム | 男子 800 m |
アウドゥン・ボイセン(Audun Boysen、1929年5月10日 - 2000年3月2日)は、ノルウェーの陸上競技選手。1956年メルボルンオリンピックの銅メダリストである。ノルウェー北部北極圏内のトロムス県ビョルコイ出身。ソール・トロンデラーグ県リッサで育った。
ボイセンは、1950年代に、800mを中心に活躍した男子中距離選手である。1955年、1956年と世界ランク2位に位置し、この時代おおむね世界ランクトップ10に位置していた。1955年には、1000mで2分19秒0の世界新記録を樹立。また、同年には800mで、1分45秒9のノルウェー新記録(1939年にドイツのルドルフ・ハルビッヒが出した1分46秒6の世界記録を破るものであったが、同走のベルギーのロゲール・モエンスが1分45秒7で走ったため2着)を樹立。この記録は、1992年に破られるまで37年間もノルウェー記録として残った。また、ボイセンは、肘の使い方がうまくレースでの競り合いにも強かったことで有名であった。
国際大会では、1954年のベルンで開催されたヨーロッパ選手権で銅メダルを獲得。そして、1956年には、メルボルンオリンピックで、アメリカのトーマス・コートニー、イギリスのデレク・ジョンソンに次いで銅メダルを獲得した。また、1958年のストックホルムで開催されたヨーロッパ選手権では、イギリスのマイケル・ローソンに次いで2着でゴール。しかし、その後、ローソンはカーブでインコースをショートカットし失格と判定され、ボイセンが優勝。しかし、イギリスチームがこの判定に不服を申し立て判定が覆り、ローソンは金メダル、ボイセンは銀メダルとなった。すでに帰国していたボイセンは金メダルをローソンに送付した。
ボイセンはその後は、オスロの企業で臨床心理士の職に従事した。
年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
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1950 | ヨーロッパ陸上選手権 | ブリュッセル(ベルギー) | 800m | 5位 | 1分51秒4 |
1952 | オリンピック | ヘルシンキ(フィンランド) | 800m | 4位(sf) | 1分50秒4 |
1952 | オリンピック | ヘルシンキ(フィンランド) | 1500m | 11位 | 3分51秒4 |
1954 | ヨーロッパ陸上選手権 | ベルン(スイス) | 800m | 3位 | 1分47秒4 |
1956 | オリンピック | メルボルン(オーストラリア) | 800m | 3位 | 1分48秒1 |
1958 | ヨーロッパ陸上選手権 | ストックホルム(スウェーデン) | 800m | 2位 | 1分47秒9 |