アカデミー・シュイス(フランス語: Académie Suisse)は、19世紀前半(1815年)からパリのシテ島、オルフェーヴル通りに開講されていた私立の画塾。少額の授業料で、貧しい画学生でもモデルに基づくデッサンを学ぶことができた。ジャック=ルイ・ダヴィッドの元モデルであったマルタン=フランソワ・シュイスが開いていた[1]。
自由に描くことが許される気風の中で、後に有名になる多くの画家がここで育った。
ポール・セザンヌは、このアカデミー・シュイスで、画家仲間のカミーユ・ピサロやアルマン・ギヨマン、後に妻となるモデルのオルタンス・フィケと知り合った。
1781年にパリのカツラ屋の息子で、ジャック=ルイ・ダヴィッドのモデルを務めたマルタン=フランソワ・シュイス(Martin-François Suisse)が設立し[2]、1859年まで校長を務め、その没後、甥のシャルル・シュイスが校長を継いだ。シャルル・シュイスもギュスターヴ・クールベのモデルを務めた人物である[3]。
美術学校はパリのオルフェーヴル河岸4番地にあった。シャルル・シュイスが亡くなった後、イタリア出身の彫刻家、フィリッポ・コラロッシが工房を購入し、Académie Suisse-CabressolやAcadémie de la Roseの名前で運営した後、1870年にグランド・ショミエール通りに移し[4]、アカデミー・コラロッシに改名した。