アカンプトネクテス | ||||||||||||||||||||||||||||||
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SNHM1284-R の頸部の断片および頭部
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地質時代 | ||||||||||||||||||||||||||||||
白亜紀 | ||||||||||||||||||||||||||||||
分類 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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種 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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アカンプトネクテス(学名:Acamptonectes)は、イングランドとドイツから知られる、絶滅したオフタルモサウルス科の魚竜の属である。イングランドとドイツの白亜紀前期オーテリビアン期の層や、白亜紀前期と後期の境界であるアルビアン期後期からセノマニアン期前期にあたるイギリス東部のケンブリッジ・グリーンサンドから収集された。アカンプトネクテスは Valentin Fischer らにより2012年に初めて記載された[1]。
アカンプトネクテスには複数の標本があり、成体の模式標本、亜成体の断片、さらに断片化石が知られている。模式標本は断片的な頭頂部、完全な下顎、中心軸の部分的な骨および肩甲骨の断片からなる。形態学的には初期のオフタルモサウルス科であるオフタルモサウルスやモレサウルスに類似・関連している[1]。
アカンプトネクテスは他のオフタルモサウルス亜科と多くの相違点がある。学名は「しっかりと詰まった堅い遊泳者」を意味し、後頭部の骨と頚椎が密に存在し首の柔軟性が低かったことを反映している。同時にこれはアカンプトネクテスが急激に水を打つように泳いでいたことを示唆している"[2]。骨格は異常なほどに堅く、骨格の前部において可能だった横方向の動きは大きく制限されていたとみられている。関連する種よりも吻部は細く、歯も細く尖っていた。肋骨の断面も太く丸みを帯びており、肉体の強度を高め曲がりにくくするための適応であった可能性がある[3]。他の魚竜と同様にアカンプトネクテスは捕食動物であり、魚類やイカを捕食していたと推測され、外見はイルカに類似していた。全長は約3メートルに達した[1][2]。
最初にして最も完全なアカンプトネクテスの標本は1958年にイングランドのノース・ヨークシャーの Speeton Clay 層で発見されたが、公式には公表されなかった。当時その標本を記載した研究者はその化石をオフタルモサウルス科の別の魚竜であるプラティプテリギウスの新種とみなした。2003年にドイツのクレムリンゲンでオフタルモサウルス科の魚竜が新たに発見された。これは新たな分類群に属することが判明し、新標本特有の形質は1958年に Speeton Ckay 層で発見されたプラティプテリギウスにも存在すると分かった。1985年には Speeton Clay 層から2番目の標本が発見されており、最終的にこれら3つの標本を研究した科学者が協力し、1958年のオリジナルの標本(明らかにプラティプテリギウスを代表するものではないとして断定された)を模式標本に、後の2つを従基準標本に用いて2012年にアカンプトネクテスが命名された[3]。1909年に記載された Ichthyosaurus brunsvicensis は、2012年の研究において Cf. Acamptonectes とみなされた。
下のクラドグラムは Fischer らの2013年の論文に基づく[4]。
トゥンノサウルス類 |
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魚竜はジュラ紀の終わりに絶滅したと従来一般的に考えられていたが、特殊化した魚竜がジュラ紀末に完全には絶滅していなかったことの証明になっている点においてアカンプトネクテスは重要である。白亜紀後期に絶滅するまで魚竜は多様性を維持していたことがアカンプトネクテスにより示唆されている。Fischer らが行った系統発生解析により、オフタルモサウルス科は2つの大きく異なる亜科であるオフタルモサウルス亜科とプラティプテリギウス亜科に早期に分岐していたことが示唆されている。両者はジュラ紀・白亜紀の境界を超え少なくとも白亜紀前期アルビアン期まで存続した。