アドリアン・ドーザ Adrien Dauzats | |
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![]() Claude-Marie Dubufeの原画による肖像版画 | |
生誕 |
1804年7月16日 フランス、ボルドー |
死没 |
1868年2月18日 (63歳没) フランス、パリ |
運動・動向 | オリエンタリズム |
アドリアン・ドーザ(Adrien Dauzats、1804年7月16日 - 1868年2月18日)は、フランスの画家、イラストレーター、版画家である。19世紀前半に中東を旅し、中東の風景を描いたことや、スペイン、フランスの風景を描いたことで知られている。
ボルドーで生まれた。父親はボルドーの劇場の舞台美術家だったとされる[1]。アンジェの工芸学校(École des Arts et Métiers)で学び、展覧会に風俗画や室内がを出展を始めた。
1829年ころにドーザは、劇作家で旅行作家のイシドール・テイラー(Isidore Taylor: 1789-1879)の中東の旅に記録画家として同行した[2]。フランスに帰化したイギリス人の父親を持つテイラーは1825年にフランス国王シャルル10世によって貴族に叙せられ、ルイ・フィリップのために美術品を収集する仕事をしていて、この旅はテーベのオベリスクの購入を交渉をする任務も担っていた。1830年に半年ほど交渉は行われた。ドーザはテーベやカイロ、ナイル川の渓谷、シナイ、パレスチナ、シリアを訪れ、ヤッファ、エルサレム、ジェリコ、サン・ジャン・ダクル(Saint-Jean-d'Acre)、パルミラ、バールベックも訪れた。ドーザの描いた絵を版画にして挿絵にしたテイラーの中東旅行記は1830年代終わりに出版された。
オリエンタリズムの画家として活動するようになり、中東旅行の後、小説家のアレクサンドル・デュマ・ペールと共著で『シナイ山への5日間(Quinze Jours au Sinai)』を出版した。
ルイ・フィリップの王子、フェルディナン・フィリップの腹心のアドルフ・アスリーヌ(Adolphe Asseline)と親しかった。1830年からのフランス軍のアルジェリア侵略の間に、アルジェリアを訪れ、フェルディナン・フィリップが率いたフランス軍の活動を描いた[3]。
1831年に設立された南フランス考古学協会( Société archéologique du Midi de la France )の会員になった[4]。1835年にイシドール・テイラーとスペインを訪れ、版画家のファラモン・ブランシャール(Pharamond Blanchard: 1805–1873)と知り合い、ブランシャールからスペインの芸術家の一族、マロドーソ家に紹介され1837年までスペインに滞在し、スペインの画家とも知り合った。1830年代にはテイラーが出版したフランスの名所図集「Voyages pittoresques et romantiques dans l'ancienne」の挿絵も描いた。
1837年にレジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した。1856年にはスペインのカルロス3世勲章も受勲した。
1856年にパリで没した。