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アナンダ・カレッジ
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所在地 | |
コロンボ、マラダーナ地区 | |
座標 | 北緯6度55分30秒 東経79度52分09秒 / 北緯6.92500度 東経79.86917度座標: 北緯6度55分30秒 東経79度52分09秒 / 北緯6.92500度 東経79.86917度 |
情報 | |
種別 | 国立 |
標語 | パーリ語: අප්පමාදො අමතපදං (注意深さと几帳面さが解脱への道) |
創立 | 1886年11月1日 |
創設者 | H・S・オルコット |
学年 | 1年 - 13年 |
性別 | 男子 |
使用言語 | シンハラ語、英語、タミル語 |
スクールカラー | マルーンと金 |
加盟 | 仏教 |
外部リンク | Ananda College |
アナンダ・カレッジ(英語: Ananda College, シンハラ語: ආනන්ද විද්යාලය, ஆனந்த கல்லூரி)は、スリランカの都市コロンボのマラダーナ地区にある仏教系男子国立学校。初等教育から中等教育までを行う。敷地面積はおよそ10エーカー (40,000 m2)[1]。
1866年11月1日、地元の仏教指導者等によって英語教育を行う仏教系学校「イングリッシュ・ブディスト・スクール」がコロンボに創設された。一期生は37人。1888年の段階で生徒数は130名まで増加し、マリバン・ストリートへ移転した。チャールズ・W・レッドビーターが移転後の初代校長となった[2]。
1889年3月に公式に学校としての登録をした際、生徒数は120人であった。同じ年、J・P・R・ウェーラスリヤが学校で初めてケンブリッジ・ジュニア試験に合格した。この卒業生はその後ケンブリッジ大学を卒業し、校長となった[2]。
1890年3月にはカトリック系学校との接近が問題となり、その後同じ地区の別の場所に移転した。その後も生徒数は増加し続け、1892年9月には200人、1894年には270人となった。また、校長にはドン・バロン・ジャヤティラカが就任した。その年、テュドー・ラージャパクサ氏から3.2エーカー (13,000 m2)の土地の寄付があり、学校はマラダーナ地区へ移転した[3]。1895年8月17日、校名を「イングリッシュ・ブディスト・スクール」から「アナンダ・カレッジ・コロンボ」に変更した。
その後も生徒数は増加し、1918年には450人だったのがその2年後には1,000人を越した。当時の年間予算は約8万ルピーであった[2]。
1961年、アナンダ・カレッジは正式に国立学校となった[3]。
アナンダ・ヴィハラヤは、学校の象徴的な建築物である[4]。
ウィリアム・ゴパッラワの主導で1969年3月6日に完成した[4]。
1924年からナーランダ・カレッジ・コロンボと毎年クリケットの試合を行っている。この2校からはスリランカ代表に数多くの選手を輩出している。
アナンダ・ダーマ・スクール(英語: Ananda Dhamma School, シンハラ語: ආනන්ද දහම් පාසල)は、アナンダ・カレッジによって提供される日曜学校。2004年に開始され、81グループが存在する[5][6][7][8]。
オルコット式典は、学校の創設者ヘンリー・スティール・オルコットを記念して毎年開催される。著名な卒業生が登壇し、自らの経験を話している[9][10][11]。
アナンダ・カレッジ・ウォー・メモリアルはヘンリー・スティール・オルコット・ホールの前に設置されている戦死した卒業生の慰霊碑。1983年7月23日、卒業生で初めての殉職者が出た。記念碑にはスリランカ陸軍所属だった45名に加え、海軍、空軍の殉職者の名前も刻まれている[12]。同窓会が毎年追悼式典を開いている[13][14][15]。