生年月日 | 1990年1月11日(34歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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出身地 | トンガ ハムラ村 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 1.89 m (6 ft 2+1⁄2 in) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 112 kg (17 st 9 lb) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大学 | 花園大学 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
愛称 | NAKI、フィジカルモンスター | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラグビーユニオンでの経歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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アマナキ・レレィ・マフィ(Amanaki Lelei Mafi、1990年1月11日 - )は、ジャパンラグビーリーグワンの横浜キヤノンイーグルスに所属するラグビー選手。
5歳でラグビーを始めると、日本への留学生を多数輩出する高校トンガ・カレッジへ進む[6]。
2009年に日本で開催されたU20世界ラグビー選手権にトンガ代表として参加した際に関係者の目に留まり、2010年に京都の花園大学からの勧誘を受け進学[2][6]。関西学生ラグビーBリーグ(2部)に属するラグビー部でプレー[1]。同級生には、マフィの幼馴染であり、ラグビー日本代表であるアマナキ・ロトアヘアがいる。マフィの支援者からは、月3万円の生活費が出されていたが、その多くを実家に送り、その残りで生活をする苦しい生活を送っていたという。2012年に大学3年生で出場した「関西学生南北対抗戦」での活躍[3] などが認められて、大学卒業後の2014年にNTTコミュニケーションズシャイニングアークス(現・NTTコミュニケーションズ シャイニングアークス東京ベイ浦安)へ加入した[7]。
2014年8月23日のジャパンラグビートップリーグ・ファーストステージ第1節の対宗像サニックスブルース戦で、途中出場ながら同リーグ公式戦へのデビューを果たした[8]。後に、トンガ代表入りを打診されたが辞退。同年11月の日本代表ヨーロッパ遠征で初めてメンバーに選ばれる[2] と、同月13日にブカレストで開かれたリポビタンDツアー2014ルーマニア戦で、日本代表のキャップを初めて獲得した[9]。しかし、帰国後(12月7日)のトップリーグセカンドステージ第2節・対トヨタ自動車ヴェルブリッツ戦で左股関節を脱臼骨折[10]。全治1年6ヶ月の重症と診断された[6]。
2015年には、大学時代から交際していた京都府出身の女性[11](桑原征平の実母の弟の娘の娘)と5月15日に結婚した。8月29日には、東京ガスラグビー部との練習試合で実戦に復帰[12]。9月からイングランドで開催のラグビーワールドカップ2015には、日本代表として出場した[13]。日本代表は3勝1敗ながら1次リーグ・プールBで敗退したが、マフィは南アフリカとの初戦に後半の途中から出場。試合終了間際にマフィからのパスを受けたカーン・ヘスケスがトライを決めたことによって、チームは逆転勝利を収めた[14]。マフィ自身も、先発に起用されたスコットランドとの第2戦[15] および、アメリカとの最終戦[16] でそれぞれ1トライを記録している。さらに、ワールドカップの終了後に開幕した2015 - 2016トップリーグでは、NTTコムのNo8として、2015年内の最終戦までに7試合へ出場。開幕戦からの3試合連続を含む5トライを記録したほか、2試合連続でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた[17]
2015年12月29日には、イングランド・プレミアシップに加盟するバースが、マフィと契約したことを発表した。NTTコムに所属したまま、プレミアシップの2015 - 2016シーズンが終了する2016年4月までの4ヶ月間限定移籍で、2015 - 2016トップリーグが終了した同年1月下旬からバースに合流[18]。同年2月13日の対ウースター戦で、No8としてプレミアシップデビューを果たした[19]。移籍2戦目の対ワスプス戦(同月20日)では、フル出場でプレミアシップ初トライを記録している[20]。
2016年には、5月1日付でバース・ラグビーとの契約を満了[21]。NTTコムへ復帰すると、2016 - 2017シーズンから、トップリーグでのプレーを再開している。また、9月には妻が第一子(長男)を出産した。
2017年からは、NTTコムに所属したまま、トップリーグのオフシーズンにスーパーラグビーへ参戦。2018年シーズンまでレベルズの主力選手として活躍した後に、NTTコムへの一時復帰を経て、2019年シーズンの途中からサンウルブズへ加入していた[22]。レベルズ所属中の2018年7月には、ニュージーランドへの遠征中にチームメイトへの暴行容疑で現地の警察当局へ身柄を一時拘束された[23] が、後に釈放されたうえでNTTコムへ復帰。復帰後は、自宅謹慎などを経て、11月24日のトップリーグ・対サントリーサンゴリアス戦から試合への出場を再開した[24]。
2019年には、日本国内で開催されるラグビーワールドカップ2019の日本代表に選出[25]。開幕直前の9月7日にリポビタンDチャレンジカップ2019 ・対南アフリカ代表戦で右肩を痛めた[26] 影響で予選リーグ(プールA)・開幕戦(同月20日の対ロシア代表戦)の登録メンバーから外れた[27] ほか、スタメンに起用された第2戦(対アイルランド代表戦)で肋軟骨を痛めて途中交代を余儀なくされた[28] ため、プールAでは全4試合中2試合の出場にとどまった。しかし、日本代表が史上初めて臨んだ決勝トーナメントでは、10月20日の準々決勝(対南アフリカ戦)に一時出場。代表チームは準々決勝で敗退したものの、同月23日には、京都市に縁のあるチームメイト(田中史朗、北出卓也、坂手淳史、松田力也)と共に同市から「京都市スポーツ栄誉賞」を授与されることが発表された[29]。
2021年には、トップリーグ開幕後の3月に、NTTコムからキヤノンイーグルス(現・横浜キヤノンイーグルス)へ移籍した[30]。