ロシュフォール工廠(Arsenal de Rochefort[2])で建造[3]。 1889年6月15日起工[2]。1893年3月18日進水[2]。1895年8月26日就役[2]。当初の艦名は「シャルネ(Charner)」であったが、1895年3月25日に「アミラル・シャルネ」に改名された[4]。
就役後、「アミラル・シャルネ」は地中海艦隊に編入された[4]。1896年1月、「アミラル・シャルネ」は海上での参謀学校の課程であるÉcole supérieure de guerreに割り当てられた[5]。1897年から1898年の間、「アミラル・シャルネ」はCretan Revoltの際の国際部隊に加わっている[5]。1899年1月には「アミラル・シャルネ」は再びÉcole supérieure de guerreに割り当てられ、それから一時北方艦隊に移り、ブレストへ移動した[5]。
1914年8月22日、モロッコ部隊(Division du Maroc)が編成される[8]。最初は防護巡洋艦2隻であったが、すぐに「アミラル・シャルネ」と装甲巡洋艦「ブリュイ」、「ラトゥーシュ・トレヴィル」も加わった[8]。その任務は北アフリカ沿岸やジブラルタル・カサブランカ間での海上交通路保護であった[8]。
11月5日のオスマン帝国との開戦後は地中海東部でオスマン帝国陸軍への補給阻止任務などに従事する[9]。11月29日、「アミラル・シャルネ」と防護巡洋艦「ダントルカストー」でシリア部隊(Division de Syrie)が編成され、2隻はアレクサンドリア・ヤッファ間を担当することになった[10][11]。
^ abLuc Feron, "The Armoured Cruisers of the Amiral Charner Class", p. 17
^ abcdefghiLuc Feron, "The Armoured Cruisers of the Amiral Charner Class", p. 18
^ abcdLuc Feron, "The Armoured Cruisers of the Amiral Charner Class", p. 19
^John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932, p. 219
^ abcJohn Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932, p. 227
^ abcJohn Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932, p. 233
^John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932, p. 233. 本文にはこのように書かれているが、同ページの写真の説明文には12月に「ダントルカストー」は新編のシリア部隊に編入されたとあり、また「ダントルカストー」と「アミラル・シャルネ」が合流した場所も異なったことが書かれている。
^John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932, pp. 233-234によればシリア部隊は1915年1月31日に第3艦隊(3e Escadre)となる。当初の所属艦は戦艦2隻と「ダントルカストー」となっており、「アミラル・シャルネ」がどうなったのかについての記載はない。
^ abJohn Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932, p. 235
^John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932, p. 235. Luc Feron, Jean Roche, "The Armoured Cruiser Jeanne d’Arc", p. 82
^John Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932, p. 236
^ abJohn Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932, p. 240
^ abcdeJohn Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932, p. 27
^ abJohn Jordan, Philippe Caresse, French Armoured Cruisers 1887–1932, pp. 27, 30