Alan Warriner-Little | |
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人物情報 | |
愛称 | "The Iceman" |
生誕 |
1962年3月24日(62歳) ランカシャー州 ランカスター[要曖昧さ回避], イングランド |
居住地 | メアリーポート カンブリア[要曖昧さ回避], イングランド |
ダーツ選手情報 | |
ダーツ | 22g RedDragon |
利き手 | 右利き |
入場曲 | "Cold as Ice" by Foreigner |
入会組織 (分裂騒動参照) | |
BDO | 1985–1993 |
PDC | 1993–2009 |
現世界ランク | - |
BDOメジャー - 最高成績 | |
世界選手権 | 準優勝: 1993 |
ワールドマスター | 準優勝: 1998 |
PDCプレミアイベント - 最高成績 | |
世界選手権 | 準決勝: 1999, 2003 |
ワールドマッチプレー | 準優勝: 1997, 2000 |
ワールドグランプリ | 優勝 (1): 2001 |
デサートクラシック | 準々決勝: 2003 |
UKオープン | 準々決勝: 2004 |
他トーナメント勝利 | |
トーナメント | 年 |
他実績 |
アラン・ウォリナー=リトル(Alan Warriner-Little、1962年3月24日 - )は、イングランドの元プロダーツプレイヤー。
WDC (現PDC) の初代ランキング1位のプレイヤーであり[1]、通算在位日数でもフィル・テイラー, マイケル・ヴァン・ガーウェンに次いで歴代3位の1558日を誇る。
ウォリナーの世界選手権デビューは1989年のBDOにおいてであり、第2ラウンドで最終的なチャンピオンであるジョッキー・ウィルソンにサドンデスレッグの末敗れた。間もなくウォリナーはBDOのトッププレイヤーの一人に名を連ね、1991, 92年と世界選手権で続けてベスト8に入ると、翌93年は決勝まで進み、そこでジョン・ロウに敗れた。
WDC結成後もウォリナーは一貫した状態を維持し、1994年から2004年までの10年間でメジャートーナメントの準々決勝に19回進出し、その内決勝には4度進んだ。特に90年代後半から2000年にかけての状態はよく、優勝した2001年のワールド・グランプリでは第1ラウンドでトーナメント記録となる対戦平均値106.45をたたき出すなど、その驚異的な得点力で度々フィル・テイラーを脅かす存在であった。
ウォリナーの最後の世界選手権出場は2008年のPDCワールド・ダーツ・チャンピオンシップにおいてであり、第2ラウンドでピーター・マンリーに敗れた。同年のUKオープンを最後に主要なダーツトーナメントには参加していない。2024年現在、ウォリナーはイギリスの放送局であるITVの解説者として、ダーツ界で活躍している。