アラン・シヴィル

アラン・シヴィル
Alan Civil
アラン・シヴィル(1980年)
基本情報
生誕 (1929-06-13) 1929年6月13日
出身地 イングランドの旗 イングランド ノーサンプトンシャーノーサンプトン
死没 (1989-03-19) 1989年3月19日(59歳没)
ジャンル クラシック
職業 ミュージシャン、音楽指導者
担当楽器 ホルン

アラン・シヴィルAlan CivilOBE1929年6月13日 - 1989年3月19日[1]は、イギリスホルン奏者[2][3]

ノーサンプトンの出身。少年時代からホルンを始め、10代で軍楽隊に参加した。デニス・ブレインの父オーブリーに師事。指揮者のトーマス・ビーチャムによって、デニス・ブレインの次席奏者としてロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団に採用される。デニス・ブレインがフィルハーモニア管弦楽団に移籍すると、首席奏者を引き継いだ。1955年に、シヴィル自身もフィルハーモニア管に異動し、1957年にブレインが自動車事故で死去すると、首席ホルン奏者に就任した。1960年代に、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団への入団を打診されたが、アラン・シヴィルはフィルハーモニア管弦楽団に留任し続けた。1966年BBC交響楽団の首席ホルン奏者に就任し、1988年に引退するまでその座を守った。また、王立音楽大学でも教鞭を執っている。1985年大英帝国勲章を授与された。

独奏者としてモーツァルト協奏曲や、ベンジャミン・ブリテンの「セレナード」などが著名な録音である。アラン・シヴィル・ホーン・トリオを結成して室内楽曲も録音した。ビートルズのアルバム『リボルバー』において「フォー・ノー・ワン」の間奏でホルンを吹いており、ビートルズのレコーディングで名前がクレジットされた5人のセッション・ミュージシャンの1人となっている。

1989年、ロンドンのキングス・カレッジ病院にて、肝不全および腎不全により亡くなった。

脚注

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外部リンク

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