アリベルト・ミハイロヴィッチ・マカショフ(Альберт Миха́йлович Макашо́в、Albert Mihailvich Makashov、1938年6月12日– )は、ソビエト連邦およびロシアの軍人、政治家。陸軍大将、ロシア連邦共産党会派所属のロシア連邦議会下院国家会議代議員。
沿ヴォルガ・ウラル軍管区司令官などを経て、ゴルバチョフ時代から保守派・タカ派、またナショナリストの軍人として台頭した。1991年ロシア大統領選挙に保守派の独立系(無所属のこと)候補として立候補したが、3.74%の得票率で落選した。その直後の8月クーデターを支持した。1993年モスクワ騒乱事件では、最高会議に立てこもり防衛線を構築した。その後、1995年の下院選挙に共産党から立候補して当選した。1997年には当時下院国防委員会委員長だったレフ・ロフリン中将ら退役軍人や同じ共産党議員のヴィクトル・イリュキンによって結成された軍・国防産業・軍事科学支援運動に参加し、この団体はロフリンを担いでボリス・エリツィン政権の打倒と軍事独裁政権の樹立を画策していたともされる[1][2]。
超国家主義的なネオ・スターリニストで有名であり[3][4]、極右のウラジーミル・ジリノフスキーよりも過激な言動で反ユダヤ主義のヘイトスピーチを行ってるとユダヤ人団体や議会の一部から批判[5][6]されており、1999年にアメリカの著名な白人至上主義者の政治家デービッド・デュークと会見し、デュークはマカショフ支持を訴えた[5]。