アルノルト・メンデルスゾーン Arnold Mendelssohn | |
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アルノルト・メンデルスゾーンの石膏像 | |
基本情報 | |
別名 |
ハンス・アンドレス (Hans Andres[1]) |
生誕 |
1855年12月26日 プロイセン王国 シュレージエン州 ラーティボーア |
出身地 | プロイセン王国 |
死没 |
1933年2月18日(77歳没) ドイツ国 ダルムシュタット |
学歴 |
王立教会音楽研究所 (1876-1878) 王立芸術アカデミー (1876-1880) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家、オルガニスト、指揮者、音楽教育者 |
アルノルト・ルートヴィヒ・メンデルスゾーン(ドイツ語: Arnold Ludwig Mendelssohn, 1855年12月26日 - 1933年2月18日[1])は、ドイツの作曲家。モーゼス・メンデルスゾーンの曾孫であり、父ヴィルヘルム・メンデルスゾーンの従兄にフェリックス・メンデルスゾーンがいる。
シレジアのラーティボーア(現在のポーランド領ラチブシュ)に生まれる。ベルリンの王立教会音楽研究所 (Königliches Institut für Kirchenmusik, 1876-1878) と王立芸術アカデミー (1876-1880) で、アルベルト・レシュホルンにピアノを、カール・アウグスト・ハウプトにオルガンを、エドゥアルト・グレルとフリードリヒ・キールとタウベルト(ヴィルヘルム・タウベルト[2]またはエルンスト・エドゥアルト・タウベルト[3])に作曲を師事した[2][4]。
1880年にボンで新福音教会 (現在の聖十字架教会) のオルガニストと合唱指揮者、ボン大学のオルガンと和声学の教師となる。1883年にビーレフェルトに移りビーレフェルト楽友協会の指揮者と市の定期演奏会芸術監督を務め、1886年にケルンに移りケルン音楽院でオルガンと作曲の教師となった。1890年以降はダルムシュタットを拠点とし、1912年にフランクフルト・アム・マインにあるホッホ音楽院の教授となった[2][4]。
著名な教え子にクルト・トーマス、ギュンター・ラファエル、ハインリヒ・シュピッタ、ギュンター・ラミン、フーゴー・ディストラー、パウル・ヒンデミットがいる[2]。