アルフレッド・デオダンク Alfred Dehodencq | |
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自画像 (1848年) | |
生誕 |
1822年4月23日 フランス,パリ |
死没 |
1882年1月2日 フランス,パリ |
運動・動向 | オリエンタリズム |
アルフレッド・デオダンク(Alfred Dehodencq 、フルネーム: Edmé-Alexis-Alfred Dehodencq、1822年4月23日 - 1882年1月2日)はフランスの画家である。スペインや、北アフリカに滞在して、その風俗を描いた「オリエンタリズム」の画家の一人である。
パリで生まれた。パリ国立高等美術学校のレオン・コニエの学生になった。
1840年代の終わりにスペインに移り[1] 、5年間滞在し、ディエゴ・ベラスケスやフランシスコ・デ・ゴヤの作品を研究した後、北アフリカのモロッコで9年間暮らした。1853年の夏はタンジェやテトゥアン、アライシュを旅し、1854年はタンジェのフランス公使の邸に滞在し、1855年から1863年の間はタンジェを拠点に、様々な場所を訪れ作品を描いた。1857年にスペインのカディスで結婚し、1860年に生まれた息子のEdmond Dehodencq は画家になった[2]。
パリに戻った後は風俗画や肖像画を描いた。1870年にレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を受勲した。パリで死去した。