アルフレード・ラモス・マルチネス Alfredo Ramos Martínez | |
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1941年に壁画の前に立つアルフレード・ラモス・マルチネス | |
生誕 |
1871年11月3日 メキシコ、モンテレイ |
死没 |
1946年11月8日 ロサンゼルス |
アルフレード・ラモス・マルチネス(Alfredo Ramos Martínez、1871年11月3日 - 1946年11月8日)は、モダニズム作品や壁画で知られるメキシコの画家である。
メキシコ北東部のヌエボ・レオン州のモンテレイの商店主の息子に生まれた[1]。1890年から8年間、メキシコシティーの国立美術学校(Escuela Nacional de Bellas Artes)で、画家のサンチャゴ・レブル(Santiago Rebull Gordillo: 1829-1902)や彫刻家のヘスース・フルクトゥオーソ・コントレーラス(1866-1902)に学んだ[2]。
ラモス・マルチネスの才能はアメリカの慈善家で、カリフォルニア州、バークレーに人類学博物館を設立したフィービー・ハースト( Phoebe Hearst)が知るところとなり、ハーストの支援でパリに留学することができた[3]。 ヨーロッパには9年間滞在し、ポスト印象派の画家たちの作品を知ることになり、パリのサロン・ドートンヌなどにも出展した[4] 。
1909年にメキシコに帰国し、国立美術学校で働き、1910年からヨーロッパ滞在中の作品の展示会を開いた。
1913年にメキシコシティー近隣の街、Santa Anita Zacatlamancoに、野外絵画学校(Escuela al Aire Libre de Pintura)を開いた[4] 。
1928年に結婚し、翌年娘が生まれたが、先天的な病気にかかっていて、よい治療をうけるために医者の勧めで、1930年ころ、家族とアメリカに移った。ミネソタで治療を受けた後、ロサンゼルスでの治療で娘の健康は改善した。ラモス・マルチネスはアメリカでの活動を続け、ロサンゼルスで展覧会を開き、ハリウッドの映画業界の成功者たちを顧客に得ることができた。アメリカ国籍を取り、アメリカ各地で壁画を制作した。
ロサンゼルスで没した。