アルベール・エドゥアール・ウジェーヌ・ラモラル・ド・リーニュ(Albert Edouard Eugène Lamoral de Ligne, 1874年12月12日 ブリュッセル - 1957年7月4日 ブリュッセル)は、ベルギーの貴族・外交官。リーニュ公子。
リーニュ公ウジェーヌ1世の四男エドゥアール(1839年 - 1911年)[注釈 1]と、その2番目の妻でテキサス州ニューブローンフェルズの開拓指導者だったゾルムス=ブラウンフェルス侯子カールの娘であるオイラリー(1851年 - 1922年)[1]の間の第1子・長男。
カルティエ・ド・マルシェンヌ男爵の後任として駐米ベルギー大使となり、1927年10月26日、米国大統領への信任状捧呈式を行った[2][3]。1931年に大使職を退いた[4]。
1906年、実業家ガストン・サン=ポール・ド・サンセイの娘マリー・ルイーズ(1885年 - 1968年)と結婚し、1男3女を得た。