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名前 | ||||||||||||||
本名 |
アルベール・メヨン・ゼ Albert Meyong Zé | |||||||||||||
ラテン文字 | Albert Meyong | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 | カメルーン | |||||||||||||
生年月日 | 1980年10月19日(44歳) | |||||||||||||
出身地 | ヤウンデ | |||||||||||||
身長 | 184cm | |||||||||||||
体重 | 71kg | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
ポジション | FW (CF) | |||||||||||||
利き足 | 右足 | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
1997-1998 | キャノン・ヤウンデ | |||||||||||||
1998-1999 | ラヴェンナ | 7 | (2) | |||||||||||
2000-2005 | ヴィトーリア・セトゥーバル | 150 | (53) | |||||||||||
2005-2006 | ベレネンセス | 26 | (17) | |||||||||||
2006-2008 | レバンテ | 12 | (1) | |||||||||||
2007 | → アルバセテ (loan) | 13 | (0) | |||||||||||
2008 | → ベレネンセス (loan) | 1 | (1) | |||||||||||
2008-2011 | ブラガ | 65 | (21) | |||||||||||
2012-2013 | ヴィトーリア・セトゥーバル | 25 | (16) | |||||||||||
2013-2015 | カブスコルプ | ? | (50) | |||||||||||
2016-2017 | ヴィトーリア・セトゥーバル | 19 | (1) | |||||||||||
代表歴 | ||||||||||||||
2004-2009 | カメルーン | 12 | (4) | |||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アルベール・メヨン・ゼ(Albert Meyong Ze, 1980年10月19日 - )は、カメルーン・ヤウンデ出身の元同国代表の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。メヨング・ゼとも表記される。
キャノン・ヤウンデからイタリア2部のUSラヴェンナを経てポルトガルのヴィトーリア・セトゥーバルに移籍。セトゥーバルでは、2005年のタッサ・デ・ポルトガル決勝・SLベンフィカ戦で決勝点を挙げ、タイトルを獲得した[1]。
2005年夏にCFベレネンセスに加入。チームは降格間近の下から4番目と苦しんだものの、17得点を挙げ得点王に輝いた。シーズン終了後にレバンテUDへ移籍する[2]も1得点のみと不振に陥り、翌シーズンにレバンテで1試合出場した後にアルバセテ・バロンピエへ貸し出された。
2008年1月にローンの形でベレネンセスへ復帰すると、デビュー戦のアソシアサン・ナヴァル・プリメイロ・デ・マイオ戦 (2-1) でPKを決め勝利したが、この試合に出場したことでメヨン・ゼが1シーズンの間に3チームでプレーしたことになり、FIFAの規約違反となった[3]。このナヴァル戦は0-3の敗戦扱いとなり、さらに勝ち点3減, つまり勝ち点6が減らされ、メヨン・ゼ個人には1000ドルの罰金が言い渡された[4]。
2008年7月31日に同じポルトガル1部のSCブラガへ移籍した。[5]8月23日の開幕戦・ホームのFCパソス・デ・フェレイラ戦 (2-0) で初得点を挙げ、UEFAカップ 2008-09のFCアルトメディア・ペトルジャルカ戦 (4-0) でハットトリックを達成するなど活躍したことで、シーズン中盤に契約を2011年6月まで延長した。2009年3月5日に左足の中足骨を骨折したことで離脱を余儀なくされ、シーズンアウトとなった[6]ものの、翌2009-10シーズンのアカデミカ・コインブラとの開幕戦 (1-0) から得点を挙げ、アウェーのスポルティングCP戦 (2-1)[7]やホームで行われたヴィトーリア・ギマランイスとのミーニョ・デルビ (3-2) で決勝点を挙げるなど不可欠なストライカーとして、チーム最多の11得点を記録した。また、チームとしてはビッグ3の2つを抑え過去最高の2位と躍進した。しかし、2010-11シーズンに入ると、古巣ベレネンセスからロドリゴ・リマが加入したことで出場機会が激減し、2011年12月下旬にロドリゴ・ガロ・ブリト、マルコス・バルボーサ・オリヴェイラ、フラン・メリダと共に放出された[8]。その後、CDナシオナルとCDフェイレンセから関心を寄せられた[9][10]が、最終的に約7年ぶりにヴィトーリア・セトゥーバルへ復帰した[11]。
2012-13シーズンは、ホームのリオ・アヴェFC戦 (3-5) 、ホームのモレイレンセFC戦 (5-0) で2度ハットトリックを達成[12][13]し、FCポルトのジャクソン・マルティネスやベンフィカのオスカル・カルドソ等を一時抑え首位に立つなど好調さを見せていたが、2013年2月初旬にアンゴラのカブスコルプSCPへ移籍した[14]。
2000年のシドニーオリンピックで金メダルを獲得。2004年にA代表デビュー以降5年に渡りプレーした。その間にアフリカネイションズカップ2006に出場し、アルトゥール・ジョルジェ監督の下でサミュエル・エトーとコンビを組みグループリーグのトーゴ戦[15], 準々決勝のコートジボワール戦と2得点を挙げた。コートジボワール戦では、試合終了間際に同点弾を決め追いつくもPK戦 (11-12) の末敗退した[16]。