アレックス・シェリー Alex Shelley | |
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2014年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
アレックス・シェリー デビッド・デッカー |
本名 | パトリック・マーティン |
ニックネーム |
メイド・イン・デトロイト インフィニティ・スペック 進撃のシェリー 技の千手観音 チェーン・レスリング・マスター パパラッチ |
身長 | 175cm |
体重 | 90kg |
誕生日 | 1983年5月23日(41歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ミシガン州デトロイト |
所属 | WWE |
トレーナー |
スコット・ダモール ジョー・E・レジェンド |
デビュー | 2002年3月2日 |
アレックス・シェリー(Alex Shelley、1983年5月23日 - )は、アメリカ合衆国の男性プロレスラー。ミシガン州デトロイト出身。血液型O型。本名:パトリック・マーティン(Patrick Martin)。WWE所属。
高校を卒業し大学進学(ほどなく休学)と同時にNWAミシガンのレスリングスクールに入門、2002年3月2日にミシガン州デトロイトでのインディー興行でプロレスデビュー。スコット・デモアと出会い彼の紹介でカンナム・レスリング・スクールでトレーニングを積むことになりその時ジョー・E・レジェンドと知り合ったことによりヨーロピアンスタイルの技術に興味を持った。その後、CZW等、様々なインディー団体に出場する[1]。
2003年の6月28日、ROH主催のレッスルレイヴ(WrestleRave 2003)に登場し、同団体に初参戦を果たす。同団体への誘いはCMパンクによるものとのこと[2]同年にはIWAミッドサウスのキング・オブ・ザ・デスマッチに出場し、その一回戦でサンジェイ・ダットを下して勝ち進むも、二回戦目のタッグ戦で敗退した。[3]
2004年5月22日にオースチン・エイリース、ロドリック・ストロング、ジャック・エバンスらと共にジェネレーション・ネクスト(Generation Next)を結成。新世代軍団として団体を席巻したが、同年12月にユニットを脱退。その後、スポット参戦を続けるものの、突如としてジミー・レイブ率いるジ・エンバシー(The Embassy)に加入し、ヒールターン。新生ジェネレーション・ネクストと抗争を繰り広げるが、TNAでの活動が多忙となったため、徐々にROHからフェード・アウトする。
2004年、スコット・デモアの勧めでTNAのトライアウトを受け[4]6月より同団体への出場を果たし、2005年よりヒールとして本格的に活動を開始。2006年からはパパラッチ(盗撮カメラマン)のギミックを与えられメイン・ストーリーにも登場した。
2004年10月24日、レッスル・エイド・プロジェクトに初来日。2005年5月にはZERO1-MAXでの天下一ジュニアリーグに参戦した。同年9月19日にはサンジェイ・ダットを破り、US無差別級王座を獲得する。2006年8月25日にはクリス・セイビンとのコンビでNWAインターナショナル・ライトタッグ王座を奪取した。
2005年から2007年までは日米を股にかけ活動、その中で相棒のクリス・セイビンとのタッグチームに「モーターシティ・マシンガンズ」というユニット名を命名している。2007年、5月30日にセイビンと共に久々にROHに出場した。
2008年10月、プロレス・エキスポの大陸別タッグトーナメントに北米代表としてエントリーされた。準優勝に終わるが、決勝戦(田中将斗 & 関本大介組)も含め好試合を連発し、更に評価を高めた。2009年1月4日には新日本プロレスの東京ドーム大会、レッスルキングダムIIIに登場する。セイビンとのコンビでNO LIMIT(高橋裕二郎 & 内藤哲也組)が保持するIWGPジュニアタッグ王座を奪取、2010年7月11日には同タッグでTNA世界タッグチーム王座に戴冠した。
2012年5月にTNAを退団、8月26日にSWFに参戦する。AJカーシュと組んで、フォーエバー・フーリガンズ(ロッキー・ロメロ & アレックス・コズロフ組)の保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦したもののカーシュがピンフォール負けを喫し、奪取に失敗した。試合後にフーリガンズの襲撃を受ける中、新日本プロレスのKUSHIDAが救援に駆け付け、これをキッカケに新日本に再参戦を果たす。
10月、同団体で開催されたSUPER Jr. TAG TOURNAMENTにKUSHIDAとのタッグ・チームTIME SPLITTERSとして参加。一回戦で、The World Class Tag Team(邪道 & 外道組)、二回戦でTAKAみちのく&タイチ組を下し、決勝戦でApollo 55(プリンス・デヴィット & 田口隆祐組)と対戦、KUSHIDAが田口からピンフォール勝ちを収め優勝を果たした。
11月12日、POWER STRUGGLEでフーリガンズの保持するIWGPジュニアタッグ王座を賭けて激突、KUSHIDAがロメロからピンフォール勝ちを収めて同王座に戴冠した。以降、同王座を巡ってフーリガンズと抗争を繰り広げた。
2013年2月10日、THE NEW BEGINNINGにて、フーリガンズとのリターンマッチを受けて防衛に成功する。その後、獣神サンダー・ライガー & タイガーマスク組を相手に二度目の防衛に成功した。
3月23日に8人タッグマッチの試合後、プリンス・デヴィットが保持するIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦を表明。4月5日、Road to INVASION ATTACKで、デヴィットと対戦。ブラディサンデーでピンフォール負けを喫し、王座奪取には至らなかったが、7日に開催されたINVASION ATTACKでは、Apollo 55(デヴィット & 田口隆祐組)の挑戦を退け、ジュニアタッグ王座三度目の防衛に成功した。
5月3日、レスリングどんたくでは、再戦を申し入れてきたフーリガンズと対戦したがKUSHIDAがロメロからピンフォール負けを喫し、王座から陥落した。
同月より開催したジュニアの祭典BEST OF THE SUPER Jr.に初出場[5]。初戦でヒールターンを果たし新ユニットBULLET CLUBを結成したデヴィットを相手に敗北するが、その後は着々と勝ち星を重ねていき、公式リーグ最終戦でDRAGON GATE USA所属のリコシェと対戦。この試合に勝利を収め、決勝トーナメントに進出する。6月9日、準決勝でTAKAを下し、決勝で再びデヴィットと相対した。双方のセコンドを巻き込む乱戦を繰り広げたが、最後はデヴィットのブラディサンデーでピンフォール負けを喫し、対デヴィット戦三連敗となった。
9月28日、DESTRUCTIONにてKUSHIDAと組みTAKA&タイチ組と対戦、試合には勝利したが試合中、タイチのタイチ式ライガーボムにより腰を負傷、休場することとなった。
1月4日、東京ドームレッスルキングダム8で復帰。IWGPジュニアタッグ王座に挑戦した。
BEST OF THE SUPER Jr.では予選最終日にタイガーマスクに勝利し、Bブロック1位の成績で準決勝進出を決めていたが、その試合中に左肩を負傷し試合後に病院に直行し治療を受けたが「左肩関節損傷」の診断により、決勝トーナメントが行われる代々木第二体育館大会は負傷欠場することになった。[6]
5月3日、レスリングどんたくで約2年ぶりにケニー・オメガの持つIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦。王者をあと一歩のところまで追い詰めたが、BULLET CLUBの再三に渡る介入により敗北。
BEST OF THE SUPER Jr.に三年連続で出場し公式戦初戦のデビッド・フィンレー戦でスーパーキックを見舞った際に、運悪くフィンレーが軸足に倒れこみ右足を負傷、翌日からのBEST OF THE SUPER Jr.シリーズは全戦欠場。残りの公式戦は全て不戦敗となった。
その他、アメリカのインディ団体を中心として多数のベルト獲得歴有り。