アントニオ・ザンキ Antonio Zanchi | |
---|---|
Pietro Antonio Pazziによる肖像画 | |
生誕 |
1631年12月6日 エステ |
死没 |
1722年4月12日 ヴェネツィア |
アントニオ・ザンキ(Antonio Zanchi、1631年12月6日 - 1722年4月12日)はイタリアの画家である。
Giacomo Pedrali , Matteo Ponzoneといった画家に学んだ後、ヴェネツィアの画家、フランチェスコ・ルスキ(Francesco Ruschi : 1610-c.1661)に学んだ。
ルカ・ジョルダーノやジョヴァン・バティスタ・ランゲッティの作品から影響を受け、光と闇のコントラストを強調する「テネブリズム(Tenebrism)」や「キアロスクーロ(Chiaroscuro)」と呼ばれる技巧を用いるヴェネツィアの代表的画家になった。1687年にヴェネツィアの画家組合(Fraglia dei Pittori)の会員になった。
宗教や神話をモチーフにして、劇的な印象を与える絵画を描いた。人物画では病人や犯罪者も描いた。
弟子にはフランチェスコ・トレヴィザーニ(Francesco Trevisani:1656-1746)、ピエトロ・ネグリ(Pietro Negri: 1628-1679、アントーニオ・モリナーリ(Antonio Molinari: 1655-1704)がいる。 息子のジュゼッペ・ザンキ(Giuseppe Zanchi)も画家になった。[1]